*ホワイトデイ協奏曲*

土浦編


 ホワイトデーだなんて、バレンタインデーに比べるとあまり重要ではないと思っていた。
 だが、いざ、ホワイトデーできちんと返さなければならない立場に立たされたら、重要なイベントのように思えてくる。
 それは、恋をする相手の素晴らしい笑顔を見てみたいから。
 それだけのために、色々と考えてしまう。それがまた、ドキドキしたり、甘い気分になったりして楽しかったりもする。

「手作りクッキーなんて、イケてないよな。やっぱりここは気合いを入れないと…」
 菓子の本を凝視しながら、土浦は溜め息を吐いた。
 ホワイトデーのお返しにクッキーだなんてありきたり過ぎる。ここは気合いを入れて、甘くて美味しい菓子を作りたかった。
 料理は好きだし、得意分野のひとつだとは思っている。しかし、甘いものは進んで食べるわけではないから、作ったことなんてほとんどなかった。
 本のページをペラペラと捲っているうちに、“天使のチョコレートケーキ”と書かれているものを見つけた。
「…“天使のチョコレートケーキ”か…。アイツにピッタリかもな」
 自分で言っておいて、思わず赤面をしてしまう。
「…材料を揃えないとな」
 本格的な菓子を作るなんて初めてだから、緊張する。
 しかも美味しいものでないと作った意味はないと思う。
 見たいのは香穂子の笑顔。ただそれだけだから。
「後は、試験休み中にどうやって渡すか…、だよな」
 土浦は溜め息を吐くと、タウン誌などを読みながら、何をメインにデートに誘うか、じっと考え込んだ。
「あっ!」
 名画座の上映予定を見ると、“アカデミー賞特集”と書かれ、ホワイトデーは“スティング”が上映されると書かれている。
「“エンターテナー”を弾いたとき、この映画を見たいって言っていたもんな…」
 土浦は早速チケットを手配しに、町へと出掛けることにした。

 香穂子を誘うときは妙に緊張する。
 たかが携帯に電話をするだけの話なのに、胸の奥がきゅんと締め付けられ、何らかしらの重力が掛かってしまう。
 落ち着かなくなり、まるで熊五郎のようにうろうろと歩いてしまうのも難点だったりもする。
 今も自室でただただうろうろと落ち着きなくしている。
 サッカーで走っているわけではないというのに、息が乱れてしょうがない。
「ったく、俺ってバカだよな」
 女の子と付き合うのは初めてでない。
 だが、自分から欲して付き合いたい、好きでたまらないと思ったのは、香穂子だけだった。
 だからこそ、まるで少女マンガに出て来るヒロインのように、ドキドキしてしまう。
 何度も携帯電話に手をかけようとしても、指先が震える。
 何度かそれを繰り返した後で、ようやく香穂子に電話を掛けることが出来た。
「あ、香穂か? 俺だ。14日だけれど、名画座で“スティング”をやっているんだが、見に行かないか?」
「“スティング”! 見たかったんだよ! 嬉しいな! 行こうよ」
 あんなに電話をする前は緊張したというのに、香穂子からの返事は明るく良いものだった。
「…じゃあ、9時に駅前で。楽しみにしてる」
「私もだよ。梁太郎くん、またね」
 電話を切ったあとも、ついツーツー音をずっと聴いてしまう。
 まだ香穂子と繋がっているような気がするから。
 ふわふわとしたピンク色の感情に暫くの間支配されて、ついぼんやりとしてしまう。
 香穂子の声や言葉はそれほどまでに威力があった。
「俺もぼんやりとはしていられないな。ホワイトチョコレートケーキを作る準備に取り掛からないと」
 乙女のようなお返しかもしれない。
 しかし香穂子が喜んでくれることを考えると、これほど素敵なプレゼントもないような気がした。

 ホワイトデーデートの前日、土浦はチョコレートケーキ作りに奮闘していた。
 元々厨房に立つのは好きなほうだから、楽しんで作ることが出来る。
 しかもケーキというのは、きちんと量って、しっかりと泡立てたりすれば上手く出来るとあって、好みの作り方ではあった。
 生地を作るのが一番楽しかった。
 体育会系を自負する手前、生地を練るという作業は最も楽しいもののひとつだ。
 しかもしっかりとやればきれいに膨らむのだから楽しかった。
 ケーキをオーブンで焼いている間、コーティングのチョコレートの準備や、飾り付けの準備をする。
 誰かのために何かをするというのは、なんて楽しいことなのだろうかと、思わずにはいられなかった。
 ケーキが焼き上がり、慎重にコーティングをし、飾り付ける。我ながらきれいに出来たと思う。
 後は渡すだけ。
 香穂子の喜ぶ顔を思い浮かべるだけで、ほのぼのとした幸せを感じた。

 いよいよホワイトデーデートの当日。
 昨日は遠足前の子供のように緊張して興奮して、眠れなかった。
 そのせいか目が真っ赤になっている。
 自分の純情さに、苦笑いせずにはいられなかった。
 待ち合わせ場所で立っていると、香穂子が走って現れた。
 一瞬、ドキリとする。
 春の優しくて温かな陽射しを浴びながら走る香穂子は、春を告げる女神のように綺麗だ。
 春色のワンピースに、髪を愛らしくアップしている。いつもはカジュアルなスタイルが多い香穂子には珍しいガーリーなものだ。
 これもカレシだから見ることが出来るのだろう。そう考えると、飛び上がりたくなるぐらいに嬉しかった。
「梁太郎くん、お待た…せっ!」
 土浦の前で躓いた香穂子を、咄嗟に受け止める。
 ふわりとした花の香りと、柔らかい躰。
 思わず鼻血が出てしまいそうだ。
「だ、大丈夫か?」
「うん、平気だよ。有り難う」
 頬を染める香穂子が可愛くてしょうがない。またこころの一番熱い場所がズキンと高まった。
「行こうぜ、映画」
「うん、行こう」
 緊張して手のひらに汗をいっぱいかきながら、香穂子の手をすっぼりと覆う。
 こけたり、離れたりしないようにしっかりと手を繋ぎあった。
 ときめきと緊張で熱くなる。
 何を言っていいのか、正直なところ分らなくて、無言になってしまった。
 なのにどうしてこんなに幸せで、楽しく思えるのだろう。
 恋のマジックだった。

 映画を見るものの、横にいる香穂子のことばかりが気になって、内容は全くといって良いほど、頭には入らなかった。
 見たことがある映画で本当に良かったと思う。
 ただ楽しげに流れる“エンターテナー”だけが、頭のなかでぐるぐると回っていた。

「映画、面白かったね。誘ってくれて有り難う」
 香穂子は鼻歌で”エンターテナー”を奏でるほどに、気に入ったようだった。
 さり気なくまた手を繋ぐ。
 香穂子は恥ずかしそうにしていたが、受け入れてくれた。
 いよいよ、ホワイトデーのプレゼント、ホワイトチョコレートケーキをプレゼントしたい。
 公園に差し掛かったところで、土浦は立ち止まった。
「…あ、香穂、渡したいものがある」
 保冷剤をちゃんと入れて持って来た甘いホワイトチョコレートケーキ。
 きれいに箱につめたものを、ぶっきらぼうに手渡した。
「バレンタインのお返しだ。手作りだから、口に合わないかもしれないが…」
「有り難う! 梁太郎くんっ」
 香穂子は本当にこころから嬉しいとばかりに声を上げてくれる。
 土浦もついつられて微笑んだ。
「開けて良い?」
「ああ」
「嬉しいなあー」
 まるで小さな女の子のように包みを開ける香穂子が可愛くて、思わずくすりと笑った。
「すごーい! 今すぐ食べたいー!」
 絶賛の声に、照れくさくなる。
「食べても良いぜ。プラスチックナイフも用意しているから」
「流石!」
 土浦はプラスチックナイフを使って、香穂子のためにケーキを切ってやる。
 どこかウェディングケーキの入刀作業を思い出して、思い切り照れてしまった。
「ほら食べろよ」
「うん、有り難う!」
 香穂子は瞳をきらびやかに輝かせて、早速ケーキを頬張る。
 緊張する一瞬だ。
「美味しいよ! ホントにもの凄く美味しい!」
「マジで?」
「うん、味見する?」
 はにかんだように香穂子が話した後、ほんの一瞬唇が触れた。
 甘い甘いたとえようもないほどに甘いキス。
「バレンタインのお返しだよ」
 不意をつかれた攻撃に、流石の土浦も言葉を失う。
 だが幸せが滲んでくるのが分かり、最高の笑顔を香穂子に向けた。
「旨い!」
 甘い甘いホワイトデー。
 デートはまだまだこれから。





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