バレンタインは女の子のための大切なお祭。 よくぞ作って下さったと思わずにはいられない。 千尋は、バレンタインに向けて、色々と考える。 恐らくアシュヴィンにはピンとは全く来ない行事だろう。 だがこの素敵な催しを是非大好きな男性にも知って貰いたい。 それよりも千尋がしたいからなのだが。 流石にここではチョコレートなんて準備することが出来ないから、せめて甘い焼き菓子でも用意が出来ればと、思う。 アシュヴィンのことがとても好きであることをーやはり一生懸命伝えたいから。 そう思うと、バレンタインはやはり女の子のためのとっておきのイベントなのだろう。 千尋はバレンタインに甘いお菓子をアシュヴィンに贈ることを想像するだけで、幸せで幸せでしょうがなかった。 女官たちに混じって、何とか甘いお菓子になりそうな材料を探す。 中つ国と違って、常世にはお菓子を作れそうな食材には恵まれている。 レシピはカリガネに送って貰ったのだ。 カリガネのレシピはとても解りやすくて美味しそうで、千尋はそれを元に美味しいお菓子を作ることにしたのだ。 「…えっと…、材料はこんな感じで大丈夫かな? 後はカリガネのように上手く作ることが出来るかなんだけれど…」 千尋がレシピを見ながら溜め息を吐いていると、アシュヴィンが部屋にやってきた。 「千尋、何をしている?」 アシュヴィンにいきなり声を掛けられてしまい千尋は、思わず飛び上がりそうになってしまった。 「あ、アシュヴィン!」 千尋は慌ててアシュヴィンからレシピを何とか隠す。 アシュヴィンは、慌てて隠す千尋に何を思ったのか、苦笑いを浮かべていた。 「最近、お前がパタパタとしていて忙しいそうだと聞いたが、余り根を詰めるなよ」 「有り難う」 千尋が素直に言うと、アシュヴィンは笑いかけてくる。 「無理は禁物だ。解っているな? ただでさえ、お前は働き過ぎるきらいがあるからな。気をつけろよ」 「うん、有り難う」 アシュヴィンに頬を柔らかく触れられて、千尋は思わずにっこりと微笑む。 大好きなひとに心配されるというのは、なんて素晴らしいことなのだろうかと思った。 「…女官たちも心配しているから」 「うん」 千尋は頷くと、真直ぐアシュヴィンを見上げた。 「アシュヴィン、来週の14日ね時間を空けて欲しいんだ。アシュヴィンと一緒にゆっくりと過ごしたいんだよ」 「解った。その日は空けよう」 「有り難う!」 バレンタインを一緒に過ごす事を約束出来たのが嬉しくて、千尋は輝かしいほどの笑顔を浮かべた。 千尋が宮殿でお菓子作りの予行演習をしていると、仲の良い女官が声を掛けてきてくれた。 「何をなさっているのですか?」 「あのね、私が暮らしていた世界には“バレンタイン”っていうイベントがあって、その日は、女の子から男の子に告白をして良い日なんだよ。その告白する時のプレゼントに、チョコレートっていう甘いお菓子をプレゼントするんだ。“逆チョコ”って言って、男の子から女の子に甘いお菓子をプレゼントする場合もあったんだけれどね」 「そうなんですか。なんて素敵な行事なんでしょう。私たちの間でもやってみたいですわ」 女官たちも頬を染めてはにかんでいる。恐らくは意中の男を思い浮かべているのだろう。 千尋は、女官たちの様子を見ながら、微笑ましいと思った。 「では千尋様はアシュヴィン様に甘いお菓子を贈られるのですね?」 「そうだよ。こうして甘いお菓子を作っているのも、とても嬉しいよ」 「瞳が輝いていますよ。嬉しいって」 女官長に笑顔で指摘されると、千尋は恥ずかしくてしょうがない。 「本当に陛下と千尋様は良いご夫婦でいらっしゃる」 「…有り難う」 傍からそう思われているのは嬉しい。 千尋は甘いお菓子を作り、そこにはアシュヴィンへの想いを込めていた。 女官たちがいつもよりも華やいで見える。 それが不思議で、アシュヴィンは、女官長に訊いてみた。 「女官たちは何やら華やいでいるみたいだな?」 「はい、陛下。千尋様から“バレンタイン”というものを教えて頂いたからなんですよ。何でも女性から殿方に甘いお菓子を贈って、想いを伝える日なのだとか。男性から女性からでも良いとのことでしたわ。もうみんな華やいで。本当に良い事を教えて頂いて良かったと思っています」 女官長も幸せそうに微笑んでいる。 アシュヴィンと千尋が結婚をしてから、宮殿内でも市井でも、恋は自由になった。 お互いに好きあっている相手と結ばれて良いのだ。 「千尋様にはナイショですよ、お話をしたことは。アシュヴィン様を驚かせようとしていらっしゃるのですから」 「解った」 千尋が広めた甘い行事。 恐らくは誰もが幸せな気分でいられるのだろう。 アシュヴィンは先ずそれが嬉しくてしょうがなかった。 女官が立ち去った後、アシュヴィンは物思いに耽る。 千尋にもバレンタインの甘いお菓子をプレゼントしてやりたいと思う。 それが一番望んでいることだ。 千尋のために甘い菓子を用意させよう。 そこにはとっておきの甘さと想いを込めておこうと思った。 愛する千尋のために。 毎日の“有り難う”を伝えるために。 アシュヴィンは早速リブを呼ぶと、常世で一番美味な甘い菓子を手配させた。 いよいよ本番のお菓子を作る。 リハーサルはなかなか上手くいったので、千尋は更に上手くいくようにと願わずにはいられない。 アシュヴィンが気にいってくれるだろうか。 そんなことを考える。 アシュヴィンが笑ってくれたら、このプレゼント作製は大成功なのだ。 千尋にとって何よりも大切なのは、アシュヴィンが幸せいっぱいに笑う事なのだから。 千尋はお菓子を作り終え、綺麗にラッピングをして渡す事にする。 バレンタインはアシュヴィンも1日休みを取ってくれているから、これ以上に素晴らしいことはなかった。 アシュヴィンとふたりきりで過ごすために、千尋はラフだが甘いスタイルの衣服を身に纏う。 アシュヴィンとふたりで、綺麗な青空の下で手を繋いで散歩をした。 こんなにも気持ち良い時間はない。 やはり青空の下は素敵だ。 「久し振りだね、こうやって一緒に手を繋いで散歩を出来るのは」 「そうだな」 アシュヴィンと手を繋ぎながら、千尋はいつ甘い菓子を出せば良いのかを考える。 果たしてアシュヴィンは気にいってくれるだろうか。 それが不安になり、ときめきになったりもした。 美しい百合が咲き乱れる小高い丘に差し掛かった時、千尋は今がチャンスだとアシュヴィンに言う。 「アシュヴィン…、わ、私が住んでいたところには、女性が大好きな男性に甘いお菓子を贈って告白をする 風習があるの。だから、今日は、あなたに甘いお菓子を持って来ました」 千尋はドキドキしながら、アシュヴィンに甘いお菓子を贈る。 ドキドキして反応を待っていると、アシュヴィンは甘い菓子を受け取り、そのまま千尋を抱き寄せた。 「…あ…」 「有り難う、凄く嬉しい」 アシュヴィンは甘い笑みを浮かべると、千尋に小さな箱を差し出した。 「俺からもバレンタインとやらだ」 「有り難う」 箱を開けてみると甘い甘いお菓子だ。 本当に美味しそうだ。 「有り難う…」 嬉しくて涙が零れ落ちてくる。 千尋が洟を啜っていると、アシュヴィンは困ったように笑った。 「泣くな」 「だって幸せだから」 千尋が涙ぐみながら微笑むと、アシュヴィンはフッと笑って唇を近付けてきた。 甘いキスは思い出の中のチョコレートよりも美味しかった。 |