*願い事は一つだけ*


 いつから寂しがり屋になってしまったかは解らない。
 そばにいてくれないと不安で、寝付きも浅くなる。
 千尋は溜め息を吐くと、バルコニーに出た。
 柊がいつか何処かに行ってしまうような気がして、堪らなく不安になる。
 本当に消えてしまいそうな気がするから。
 千尋は夜空を見上げると、無数の星々に訊いてみる。
「…ねえ、柊はいなくならないよね? いなくなっちゃったら困るから…。柊がいなかったら、本当に寂しくなってしまうから…」
 優しい低さを持った甘い声は、千尋にとっては最高の子守歌になる。
 その声を聴きながらでないと、眠れなくなってしまった。
 我が儘な感情。
 そんなことをねだれば、柊が困ってしまうことは分かりきっているのに。
 まるで刷り込みのように、柊が何処かへ行ってしまうのではないかと、ひとり不安に思ってしまう。
 そんな想いを外したくて、深い深呼吸をした。
 夜空に瞬く星を見つめながら、千尋は願いを投げる。
 どうか。いつまでも柊がそばにいてくれますように。
 星に願いをかければ必ず叶うと、遠い昔に教えてくれたのは、誰だっただろうか。
 とても柔らかくて甘いよく響く美声を持っていたひと。
 いつもは、ひとをからかうようなことしか言わないのに、千尋にだけは優しかった男性。
 とても優美な雰囲気で、憎まれ口を叩くくせに、姉が大好きだった男性や仲間たちを、本当はとても大切にしていたひと。
 千尋は目を閉じる。
 封印されていた柔らかな光に照らされた記憶を、暗い迷宮に辿った。
 優しい、優しいひとだった。
「…二の姫…」
 風早に名前を呼ばれても安心したが、その男性に名前を呼ばれると、安心と同時にドキドキしたのを覚えている。
「…二の姫…」
 記憶の奥で誰かが呼んでいる。
 どうか。
 どうか、思い出させて欲しい。
 千尋は記憶の迷路へと足を踏み入れた。

「一の姫はかなり優秀でいらっしゃるというのに、二の姫様は、その片鱗すらお見せになられませんわね」
「神子としての能力は…、総て一の姫様にいってしまったのかもしれませんわね…」
「そうですわね」
 また女官たちが噂をしている。
 いつもかつも同じことを言っている。
 姉の一の姫は神子としても女王としての能力も優れており、妹の二の姫はかけらも備わっていないと。
 いつもこればかりだ。
 二の姫が小さいことを良いとばかりに、噂話ばかりをしていた。
 幼いながらも意味ぐらいは解る。
 千尋は姉が本当に大好きだし、この中つ国の女王は、一の姫以外には考えられないと思っている。
 ただそばにいられれば良いと、それだけを思っているのに。
 なのに周りの女官は、ふたりを比べることしか頭にないように思えた。
 いつもかつも、女官の言葉に傷付いて、小さくなるしかない。
 自分より大人で好きなひとは、姉、風早、そして岩長姫の弟子たちだけ。
 それ以外のひとは好きになれなかったし、こころを閉ざすことしか出来なかった。
 千尋は溜め息を吐くと、小さな躰を震わせながらしょんぼりと歩く。
 何だか大人の世界は疲れてしまう。
 こんな世界ならいらないのにと、思わずにはいられなかった。
 とぼとぼと歩いて中庭を出ると、天に無数の星々がちりばめられている。
 おっこちそう。
 そんなことを思いながら、千尋は大きく口を開いた。
 星が落ちてきたら、口を大きく開いて飲み込んでしまったら、美味しいだろうか。
「…如何されましたか? 二の姫。このようなところにいらっしゃると、女官が心配しますよ」
 優しい声に振りかえると、柔らかな笑みを持った美しい男性が立っていた。
 思わずその姿を見つめてしまう。
 いつも風早たちと一緒にいる、綺麗な男の人。
 時々、千尋にも笑顔を浮かべてくれるひと。
 この人なら素直になれる。
「…女官たちは心配しないよ…。だって…、私のことなんて…、気にしていないもん」
 今まで堪えていた涙が瞳に滲んでくる。
 何をやっても認められない。
 いつも優秀な姉とばかり比べられてしまう。
 存在自体も認められていないのではないかと、いつも思っていた。
 そんな切ない感情が、千尋の中に湧き出てきて、涙が滲んだ。
「…二の姫…」
 その人は優しいリズムで名前を呼んでくれると、千尋の頬を大きな手で包み込んでくれた。
「大丈夫ですよ。あなたは清らかな心とまっすぐな気性をお持ちですから、一の姫以上の神子様になられますよ」
「ホントに?」
 そんなことを言ってくれたひとは、今までいなかったから、千尋は嬉しい驚きに、麗しい男性を見上げる。
「はい。龍神様がまだ貴女様に必要がないと判断されたのでしょう…。だから大丈夫ですよ」
「…うん。有り難う」
 顔は知ってはいても、名前は解らない美しい年上の青年。
 その言葉が嬉しくて、千尋は思わず微笑んだ。
「有り難う。お陰で元気が出たよ」
「それは良かったです」
 優美な青年は、こちらがドキリとするような笑みを、千尋の顔のギリギリの近さまで近付けてくれる。
 胸の奥が甘く苦しくなり、千尋は喉がからからになるのを感じた。
 この男性がいつまでも近くにいてくれたら良いのに。
 そんなことをごく自然にぼんやりと思った。
「…二の姫様は、星をご覧になられておいででしたか?」
「うん! 星を見ていたんだ。綺麗だなって、おっこちそうだなあって! こんなに沢山お星様が見られるのは、嬉しいなあって」
 千尋は素直な気持ちで青年に呟くと、ニコリと微笑んだ。
「…そうですね…。星は美しいと同時に、残酷な真実を教えてくれるのですよ…?」
 残酷な真実。
 それが何かは千尋には解らない。
 この青年がどのような意味で言っているのかも。
 ただその綺麗な横顔は、とても重い寂しさを持っているような気がした。
 だが一瞬で、先程と同じ笑顔になる。
「…二の姫…。星を見上げて、あなたの願いを強く念じて下さい。そうすればあなたの願いは叶いますよ」
「ホントに?」
 こんなにも優しく温かな声で言われると、本当にそうなるのではないかと思ってしまう。
 不思議な不思議な人。
「だったらお願いするよ」
「二の姫の願い事ならばきっときいて下さいますよ」
 願い事。
 いざ考えても思い付くのはひとつだけ。
 この男性がそばにいてくれたら良いと、それしか思い付かない。
 たったひとつの願い事をした後で、千尋は青年を見上げた。
「あなたのお名前はなんて言うの?」
 すると青年は落ち着いた甘い笑みを浮かべた。
「柊…と申します。二の姫」

 そこまで思い出してハッとする。
 やはり柊だったのだ。
 星に願い事をすれば叶えてくれると教えてくれたのは。
「…我が君、風邪を引きますよ…」
 低くよく響く声に、千尋が振り返ると、そこには大好きな柊がいた。
「…柊…」
「早く、寝室にお帰りあそばしませ」
「…星に願い事をしていたんだ」
 千尋の言葉に、柊はフッと微笑む。
「…誰かさんに星に願い事をすれば必ず叶うって、教えて貰ったから」
 千尋が含み笑いを浮かべながら言うと、柊は眩しそうに頷いた。
「…それで…、何を願われたのですか? 我が君は…」
「秘密だって言ったら?」
 悪戯めいた笑みを浮かべながら千尋が呟くと、柊は意味深な笑みで返してくれる。
「…あなたが願うことは現実になりますから、聞かなくても大丈夫ですね。きっと…」
 柊は夜空を見上げながら呟く。
「うん。きっと叶うよ…」
 千尋も同じように夜空を見上げながら微笑む。
 きっと願い事は叶う。
 千尋は隣にいる大好きなひとが、いつまでも一緒にいてくれるようにと、切なく祈りを捧げた。


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