*懐かしき*


 手を繋ぐ。

 その行為は、とても親密だと思う。

 素直な“好き”だという気持ちが、沢山詰まっているから。

 義務ではなく、自ら手を差し伸べたい時、自ら手を繋ぎたいと思うとき、溢れかえるぐらいの“好き”という気持ちが満ちてくる。

 だが、ゆきの大好きなひととは、手を繋ぐことが出来ない。

 理由は、そのひとの幻としか、関わったことがないから。

 幻だから、掴もうと思っても、ゆきからは全く掴むことすら出来ない。

 触れることが出来ないなんて、こんなにも切ないことは他にはない。

 触れたい。

 大好きなひとに。

 だが、なかなかそれが出来ないのが実情だ。

 大好きなひとと手を繋ぐことが出来たならば、お互いの心をもっと近づけるかもしれない。

 触れることが出来たら、ゆきはただそれだけで幸せを感じることが出来ると、思わずにはいられなかった。

 

 

 月光が麗しく輝く夜、ゆきは宿の中庭で一人ぼんやりとしていた。

 こうしてたまに一人になりたくなる。

 そして、誰にも知られずに、大好きなひとのことをこっそりと考えたくなる。

 ゆきがぼんやりと庭を眺めていると、白い影が目の前を通るのが見えた。

「……天海……」

 ゆきの目の前に、天海が静かに現れる。

 天海の姿を見つめるだけで、ゆきは泣きそうになる。

「何をなさっているのですか? 愛しい子」

「月を眺めていました」

 ゆきが素直に言うと、天海は静かにゆきに近付く。

 天海からは香がかぐわしく感じた。

 神秘的な花の香りにゆきはつい、うっとりとしてしまう。
 麻薬だ。
 天海と同じ。

「どうされましたか?」

「天海の香りが、いい香りだと思っていました」

「……私の香りが?」

 天海は苦笑いを浮かべると、切なそうな表情になった。

「……このような実体のない身体……、香りなどつくはずはないことぐらい、君は存じていると思っていましたが……」

「天海は実体がないわけじゃないよ。だって、ここにいるじゃないっ!?」

 ゆきは天海が実体でないことを認めたくはなくて、つい激しい口調でまくし立ててしまう。

「私がいるのは意識だけですよ、ゆき……」

 天海は哀しそうに呟くと、ゆきを真っ直ぐ見つめる。

 実体がないというのに、そんなことが微塵にも感じられないぐらいに、天海はリアリティーのある感情を顔に漂わせている。

 ゆきはそれが余計に哀しかった。

「天海の心はここにあるのでしょう?」

「……そうですね……。確かに、私の心は……、気持ちは……、ここにあります……」

 天海は何処か遠い眼差しで月を見上げる。

「だったら、天海はここにいるよ!? だって、心が、気持ちがここにあるんだから!」

 ゆきは切なさと愛しさと苦しさの狭間で、感情が昂るのを感じながら、自分の気持ちを強く伝える。

「……ゆき……」

 天海は驚きと切なさを滲ませながら、苦しげな表情を浮かべてゆきを見つめた。

 こんなにも切なくて苦しげな天海の表情を見るのは、初めてだ。

 月光に照らされる天海の横顔はとても美しくて、ゆきはついうっとりと見つめてしまった。

 神様なのに、本当に人間らしい表情をする。

 少しでも天海に近づけたのではないかと、思わずにはいられない。

 ゆきは大好きな天海を見つめながら、涙を一筋流す。

 どうして、こんなにも天海に心が近いのに、触れられないのだろう。

 手を繋ぎたくても繋げないのだろうか。

 ゆきはそれが苦しくて、哀しくて、堪らなく辛い。

 心臓をギュッと掴まれて捻られたような苦しみが、魂にのし掛かって行く。

 ゆきは苦しくて、そのまま目を閉じることしか出来なかった。

 何も話さない。

 だが、お互いに求めあっているということが、犇々と感じられる。

 誰よりも求めている。

 君を。

 あなたを。

 だが、今は触れることすら許されない。

 ゆきは声を圧し殺しながら、泣くしかなかった。

 苦しい恋を選んだ。

 だが、それは天海も同じなのだ。

 苦しまなければならない恋をお互いに選んでしまったのだ。

 これだけでも泣いてしまいそうだ。

 苦しくても、哀しくても、切なくても、お互いに愛することを止めることは出来ないと、ふたりは感じた。

 触れられなくても構わないから。

 こうして愛する許可を下さい。

 そんなことすら、ゆきは思う。

 天海をただ愛しく感じる。

 お互いに告げることはなくても、その気持ちを、ふたりは互いの心に向けていた。

 

 手を繋ぎたい。

 なのに繋げない。

 そんな切なくも懐かしい、清らかな想い出が、夢に出てきた。

 許されない恋。

 触れあうことが出来ない恋。

 あの頃は、ひたすら苦しくて、声を圧し殺して泣いていた。

 だが、今はもうそんなことをしなくても良いのだ。

 大好きなひとに、いつでも触れることが出来るのだから。

 何時でも「愛している」と、言うことが出来るのだから。

 こんなに素敵な幸せは他にない。

 今も隣で大好きな天海が眠っている。

 今、お互いに一番近い場所にいられるのだ。

 こんなにも嬉しいことは本当にない。

「……ゆき、起きたのですか?」

 天海はゆっくりと美しい異瞳を開けると、そこにゆきだけを映してくれる。

「今起きたよ」

 ゆきが笑顔で囁けば、天海も笑顔でいてくれる。

 それが嬉しい。

「ゆき、今日はお休みですからゆっくりと出来ますね。君が行きたい場所があれば、遠慮なく仰って下さい」

「ありがとう、天海。私は何処に行きたいというわけではないんだけれど、……天海と手を繋いで、歩きたい。それが出来るのならば、本当に何処でも良いよ」

 ゆきが静かに言うと、天海は優しい軟らかな笑顔で頷いてくれた。

「……私も大賛成ですよ。でしたら、ふたりで手を繋いで、緑の美しい公園をのんびりと散歩するのはいかがでしょうか?」

「うん、それが良いよ!」

 ゆきは嬉しくて、天海に抱きつくと、思わずその頬にキスをした。

 今はこうして、天海と触れあうことが出来る。

 だからこそ今まで出来なかった分まで、ゆきはしっかりと手を繋ぎたいと思った。

「……ですが、その前に……、君をしっかりと感じたいです……。ひとと言うのは、最高の愛の表現を持っているのですね……。気に入りましたよ、最高に」

 天海は甘くささやくと、ゆきをたっぷりと愛して触れて行く。

 お互いの愛に隙間などないことを証明するために。

 

 昼過ぎから、ふたりはのんびりと手を繋いで出掛ける。

 こうしてしっかりと手を繋ぐことを、どれだけ憧れたことか。

 お互いにしっかり結びあった親密な行為なのだ。

 ただこうしてお互いに手を繋いでいるだけで、ゆきは最高に幸せな気分を味わう。

 それは天海も同じこと。

 ふたりはお互いの温もりを感じながら、見つめあう。

 こうして愛を重ねて確かめあうのだ。

 永遠に。

 





モドル