*決戦前夜*


 いよいよ天海と逢い見えることになる。

 決戦前になっても、ゆきはまだ心に蟠りがある。

 天海を救えるのではないか。

 天海と分かり逢えるのではないか。

 そんなことばかりを考えてしまう。

 だが、それが難しいことは、徒に過ぎた時間が物語っているのだ。

 八葉の誰にも信じては貰えない、天海との本当の出会い。

 天海がゆきを助ける為に幕府を永らえる為の呪詛をかけられ、ずっと幕府を支える為に堪え忍んでいるなんて。

 こんなことを誰も信じるわけがない。

 特に天海を恨んでいる高杉やチナミは、信じる筈がないだろう。

 出会ったばかりのゆきに無償の愛を捧げてくれた天海を救うことが出来るのならば、ゆきは幸せだと思わずにはいられなかった。

 天海と闘う。

 それがどんな意味があるかは、ゆきが一番解っているつもりだ。

 救いたい。

 だが、誰もゆきの気持ちを解ってくれるひとはいないだろう。

 ゆきは落ち着かなくて、雪が降る中、宿の庭に立つ。

 こうしていれば頭が冷えてちょうど良いのかもしれない。

 そんなことを考える。

 天海を倒さなければならないと思っているのに、救いたいとも思っているなんて。

 この複雑な感情の名前は、いったい何だというのだろうか。

 ゆきは複雑な気持ちで雪空を見上げた。

 八葉たちには容赦無く力を見せつけてきた天海であるから、救うことなんて出来ないし、倒されて当然の部分も持ち合わせている。

 なのに赦せるならば赦してあげたいなんて。

 助けてくれたから、その恩に報いる為だろうか。

 いや、そうではない。

 そうで無ければ、こんなにも感情が複雑に絡み合うことはなかったというのに。

 ゆきは深呼吸をすると、胸がピリピリと痛んだ。

 天海に逢いたい。

 逢ってもう無駄なことを伝えなければならない。

 こんなことを起こしても、もう何もならないのだから。

 何をしたいのだろうか。

 ゆきは自分でも訳が分からなくなっていた。

 何をしたいのかも、解らない。

 どうすれば自分の本当のすべきことが分かるのだろうか。

 天海に逢えば、総てのことが分かるようになるのに。

 明日には総てが分かるというのだろうか。ゆきには解らなかった。

 

 ゆきが日光に到着した。

 気配で解る。

 誰よりも愛しくて清らかな気を持った少女だから、直ぐに分かるのだ。

 解っている。

 ゆきとの道は既に隔たれてしまったことぐらいは解る。

 徹底的に対立をする道に分かれてしまったのだ。

 それなのに、ゆきとは闘いたくないと、天海は強く思わずにはいられない。

 天海にとって、“愛する”という感情を初めて教えてくれた女性なのだから。

 自分が神である前に、男であることを知らしめた女性であることは間違いないのだ。

 だからこそ、人の子と同じように、ゆきと愛し合う機会が与えられたら良いのにと思わずにはいられない。

 愛しくて、愛しくてしょうがないゆきと、明日は対峙しなければならないのだ。

 負けられないとは思いながらも、ゆきを葬ることなんて出来る筈がなかった。

 ゆきを連れさって自分のそばにおきたい。

 だが、あんなジメジメとした地下に、ゆきを共に捕らえさせるわけにはいかないのだ。

 それこそ南光坊の想い描くこと以上になってしまうではないか。

 ゆきにそんなにも辛い想いをさせたくはない。

 天海はどうにもならない溝に、胸が苦しくて堪らない。

 ずっと神には喜怒哀楽なんてないと思っていた。

 そんなことは考えられないことだったのだ。

 今は、ひとりの男として苦しんでいるのは確かだった。

 だが、逆に、人間はこのような感情があるからこそ、短い人生の中でも、幸せでいられるのだろう。

 だが、神にはそんな物は全く必要としていないのだ。

 永く生きる神には、恋をするだとか、誰かと愛し合う感情などは、邪魔でしかないというのだろうか。

 天海は、ゆきに恋する感情を決して要らないとは思わなかった。

 ゆきを愛したこと。

 ゆきに恋したことは、最も幸せな感情だとすら言い切ってしまるのしれない。

 天海はそっと目を閉じて、ゆきの気配を感じた。

 ゆきが様々なことに対して、天海からの答えを求めていることを、考えていられなかった。

 きっと困っているだろう。だからゆきは切ない想い気持ちを抱かずにはいられないのだろう。

 どうかして救ってやりたい。

 だがそれはゆきを愛しているからこそ言えるのだ。

 ゆきを愛していなければならない。

 ゆきを愛することが、ゆきを追い詰めるのだ。

 それだけは嫌だった。

 本当ならば、ゆきのそばにいって思い切り抱き締めてやれたら良いのにと。

 それは今の自分にはしてやりたくてもしてやれない。

 出来ることと言えば、ゆきと対峙してやることしか今はないのだ。

 全力で立ち向かってくるゆきの相手をしてやること。

 それしかないのだ。

 ゆきと初めて出会った日のこと。

 再会をした日のこと。

 世界を純粋に救いたいと思っていた日のまなざし。

 天海に裏切られても尚、絶望に近いところに追いやられても尚、ゆきは世界を救う為に食らいついてきた。

 あの瞳の強さを思い出す度に、天海は優しい笑みを浮かべずにはいられなくなる。

 本当に美しく、そして何処か切ない笑みだった。

 あの横顔を思い出すと、何故だか嬉しくもある。

 守ってあげなければならない子どもだと思っていたゆきが、いつの間にか強い女性に変わっていた。

 天海が憧れさえする女性に。

 だからこそ、こちらも全力で向かわなければならない。

 全力でぶつかってくるゆきを、こちらも全力で受け止める。

 それがゆきへの愛の証だ。

 強くなり、天海を惹きつけて止まないひとりの女性への。

「……愛しい子……。全力でぶつかって来なさい……。君が私に全力でぶつかってきてくれることを……、私はとても楽しみにしていますよ……」

 天海はゆきを近く感じる。

 逢いたいと切なく想うゆきの想いを受け取りながらも、あえてそばには行かない。

 ゆきが求めていても、天海が求めていても、今は逢ってはならない。

 抱き締めたいと思っても、抱き締めることすらも出来ない自分は、ゆきに逢わないほうが良いのだ。

 天海は静かに目を閉じる。

 捕らえられた永き時間の中で、一番心が落ち着き、澄み渡っていると、天海は感じていた。

 

 空を見上げていると、少しずつ心に迷いがなくなっているのを感じた。

 天海と闘う。

 今はそれしかない。

 そこに救いが残されているのであれば。

 きっと何処かに天海を救える手立てがある筈だと、ゆきは想う。

 大きくて純粋な愛をくれた天海に、あの頃に戻れるように、救うことが出来るのならば。

 ゆきは真っ直ぐ未来を見つめれば、きっと何処かに良いからことが見つかる。

 ゆきはそれだけを想う。

 迷いがすっと心に落ちてくる。

 ゆきは背筋を伸ばすと、庭から出て、自室へと戻る。

「蓮水」

 名前を呼ばれて振り返ると、高杉は鋭い視線をこちらに向けている。

「高杉さん、明日は総力戦になるから頑張りましょう」

「ああ」

 高杉はしっかりと頷くと、ゆきを真っ直ぐ見つめる。

「蓮水、もう悩みはないんだな。お前の視線を見つめていると、悩みがないことが解る」

「はい。迷いはありません」

「ああ、良いことだ。じゃあ明日な」

「はい」

 ゆきは背筋を伸ばしてゆっくりと自室に向かう。

 迷いがなくなったこと。

 きっとこれは天海との共鳴。

 愛するひととの共鳴の強さをゆきは感じずにはいられなかった。





モドル