高杉とはいつも穏やかな愛を育んでいる。 穏やかな愛の底辺には、情熱的な感情が隠れている。 それが爆発してしまうと、しばしば、ふたりの間に炎が燃え上がる。 「ゆき、すまないが、また当分会えない」 「お仕事ですか?」 解りきっているはずなのに、ゆきはつい嫌味のように訊いてしまう。 最近はいつもそうなのだ。 仕事、仕事、仕事! 仕事でなければ、仲間のために奔走をする。 元々、仁義をとても大切にするひとだから、仕事や仲間を優先する。 恋人だけれども、家族以上に強い絆で結ばれているゆきは、決して壊れないと言う安心感があるからか、高杉はいつも優先順位の低いところに置いている、ような気がする。 それが何だか寂しい。 ゆきだって高杉は必要だ。 高杉の成分が足りなくなると、途端に動けなくなってしまうのだから。 きっとそれを高杉は知らない。 ゆきは、誰よりも高杉のことを求めている自信があるから、余計に胸が苦しくて、切ないものになってしまうのだ。 そのあたりを、高杉は気づいているのだろうか。 こんなに何度も扱いが軽いものになると、ゆきとしても苦しくなる。 爆発しそうなぐらいに不安に思っていることを、恐らくは知らないだろう。 ゆきは、拗ねながら、高杉を真っ直ぐ睨んだ。 「……私だって、たまには最優先事項になりたいです。いつも高杉さんは私のことは二の次なんですよね。私が高杉さんを、最優先にしているとしても……。そんなの、不公平ですよ……」 ゆきはなるべく爆発しないように気を配りながら言うと、バッグを手にした。 「もう、帰るのか?」 「高杉さんが、私を低く扱うなら、私も優先順位を低くする。それだけです」 ゆきはなるべくさらりと言うようにすると、背筋を伸ばして、玄関へと向かう。 本当は、ゆきも高杉との貴重な時間を過ごしたかったが、こんなにもいつも、いつも、高杉の事情に振り回されるのは余りに辛い。 仕事と自分のどっちが大事かと、そこまで言う気はないし、仕事が大切なことも解っている。 だからこそ、たまにはこうして抵抗してみたいとすら思った。 「帰ります。また、機会があれば。お仕事を優先させて下さい」 ゆきはわざとクールな女を装って、高杉の家から出た。 都合の良いときだけに呼び出される、相手に深く依存したような、そんな女にはなりたくはなかった。 自分の女としての価値が低いのは嫌だった。 ゆきは高杉が引き留めてくれるのを期待していたが、やはりそのようなことはなかった。 高杉にとって自分はその程度の価値しかないのだろうかと、ぼんやりと考えることしか出来なかった。 自分から颯爽と高杉の家から出てきたというのに、気持ちはとても暗くて重い。 ゆきは駅まで歩きながら、何度となく溜め息を吐いた。 本当は一緒にいたかった。 一緒にいたいのは山々だったのだが、結局は許されないことだったのかもしれない。 「……何だか、私ばっかりが好き過ぎるみたい……」 ゆきはひとりごちながら、気持ちを表すような鈍色の空を見上げた。 空は今にも雨が降りだしてきそうだ。 ゆきもまた、雨と同じように今すぐにでも泣き出したかった。 だが、家にたどり着くまではどうしても泣けない。 ここで泣いてしまえば、勇気をもって起こした行動が、総て台無しになってしまうような気がしたから。 だからこそ、家までは何とか我慢をしようと思っていた。 泣いてしまえば敗けなのだから。 ゆきは付き合い始めてからずっと高杉を一番大切にしてきた。 しかし、肝心の高杉はそうではなかったのだ。 ゆきは二の次。 そんな雰囲気すら、最近の高杉には感じられた。 高杉の行動を見ていれば、総て明白だ。 苦しい。 どうして、こんなひとを好きになってしまったのだろうか。 恋人よりも、仲間や仕事を大切にするひとを。 だが、仁義を通す高杉にゆき自身が惹かれていたのは確かだ。 頬に冷たいものを感じる。 ゆきは一瞬、自分の涙だと思った。 だが見上げると、雲の涙だ。雨が降ってきたのだ。 「……雨……」 このタイミングで雨が降ったのならば、神様がゆきも泣いて良いと言っているように思える。 涙が零れ落ちるタイミングで、雨が激しくなる。 最近の温暖化が原因なのか、スコールのように激しい雨だ。 痛いぐらいに激しい雨は、ゆきの恋情を表しているようにも思えた。 胸が苦しい。 ゆきは走ることもせずに、そのままとぼとぼと歩いてゆく。 高杉はやはり予想通りに追いかけてはくれない。 ゆきの存在はそれぐらいのものなのだ。 それを思い知らされて、ゆきは益々落ち込んでしまう。 苦しい。 そして辛い。 ゆきは高杉から気づいて離れてしまうことが得策なのではないかと、思わずにはいられなかった。 高杉に恋をして、愛して、こんなことは初めてだ。 一途に大好きなひとに、それほど思われていなかったなんて、こんなにも苦しいことは本当にない。 ゆきはぐるぐると暗い想いを引きずっていた。 もうすぐ駅だ。 電車に乗っても、急に雨に降られたひとどぐらいにしか思われないだろう。 それは助かった。 泣いていることに気づかれなくて済むから。 角を曲がれば駅だというところで、ゆきの身体は雨に濡れなくなった。 雨がやんだのだろうかと顔を上げると、そこには傘がある。 振り返るとそこには高杉がいた。 「……ゆき、戻るぞ」 ゆきが抵抗したり、逃げたりする前に、高杉は腕を強く掴んでくる。 その強さに、ゆきは息を飲む。 「……帰ります。だから、離して下さい……」 「離さない」 高杉は低い声で力強く呟くと、傘を投げ出して、ゆきをいきなり抱きすくめてきた。 雨の中、こんなにも力強く抱きすくめられるなんて、思ってもみなかった。 激しい包容に息が出来ない。 同時に、雨に濡れてふたりとも濡れ鼠になっていることすらも、気にはならなかった。 高杉の唇が近づいてくる。 深く唇を重ねられて、ゆきはそこから高杉の謝罪と贖罪の気持ちを深く感じた。 甘くて切ないのに、情熱を感じられるキスは、ゆきの頑なな心を溶かしてくれる。 赦せる。 いいや、そんな高飛車な感情では本来はないのかもしれない。 ふたりは深いキスを何度も繰り返しながら、心がとろけあってゆくのを感じた。 ようやく唇を離すと、ふたりで息を乱しながらも、微笑み合う。 「……すまない、ゆき。帰ろう……」 高杉はゆきの頬に手のひらをあてながら呟く。 「……はい」 ふたりは微笑みあった後、手を繋いで、相合い傘で高杉の家に向かう。 重い感情は総て雨によって洗い流された。 |