*そばにいるだけで*


 ゆきがいる世界ならば、小松にとっては何処でも良かった。

 自分の時空であっても、他の時空であっても。

 とにかく愛する者がいれば、それだけで構わなかった。

 この世界にやってきて、刺激的な毎日を送っている。

 相変わらず合理的な考えではあるが、よりそれがしやすくなった。

 ただひとつ、合理的な考えが通じないものがある。

 それは、愛するゆき。

 冷たく先を見据えた考えなんて、全くといって良いほどに通じない相手なのだ。

 だからといって、振り回されているのかと言われると、それは違うのだ。

 小松は起き上がると、手早く朝の支度をする。

 今日も仕事に集中しなければならない。

 師走を迎えると、途端に慌ただしくなるのだから。

 これはこちらの世界でも変わらないことであるようだ。

 食事も手早く準備が出来るのも良い。

 勿論、出身時空では朝食の準備なんてしたことは無かったのだから。

 今は素早く出来る方法を覚えてしまった。

 こんなに便利で手間がかからないのだから、誰かを雇わなくても充分にやっていけると思う。

 本当に素晴らしい。

 一人でいる者が多いのも頷ける。

 小松は、素早く準備を整えて、仕事へと向かった。

 

 今日も有意義に仕事を進めることが出来た。

 仕事だけに関しては、今日はやり残しがない。

 だが、物足りないと感じるのは、愛する者に会えないからだろう。

 愛する者に会いたい。

 疲れを癒すように抱き締めたい。

 だが、それはなかなか叶わない。

 それがこの世界の日合理的なところだと、小松は思わずにはいられない。

 ゆきに逢って抱き締めたい。

 それだけだ。

 抱き締めていることが叶わないのであれば、せめて声だけでも聴きたいと、小松は思う。

 声だけならば、何時でも聞くことが出来るのが、小松にとっては嬉しいことだ。

 ゆきの声が聴きたい。

 携帯電話を手に取ると、小松はゆきに連絡をした。

「はい、ゆきです。帯刀さん!」

「こんばんは、ゆき」

「今、大丈夫?」

「大丈夫ですよ。今、小松さんの会社の前にいるんです。大学の帰りに、ボランティアセミナーに参加をして、その通り道だったので、まだお仕事していらっしゃるのかなあって思って」

 ゆきは幸せそうに声を弾ませている。

 その声が温かくて、とても素敵だ。

 だが、声だけでは満足しなくなってしまう。

 呼び寄せて、ゆきを抱き締めたい。

 ただそれだけだ。

「直ぐ近くにいるなら、迎えに行くから、待っていなさい。送っていくから」

「有り難うございます」

 ゆきは楽しそうに返事をする。

 素直で温かくて、そして意志を持った強さを秘めた女性。

 こうして声を聞くだけでも、小松を幸せにさせてくれる。

「じゃあ待っていて。直ぐに行くから」

 小松は直ぐにオフィスから出ると、ゆきのいる場所に向かった。

 何だかごく自然と早足になる。

 それは、それだけゆきに会いたいということなのだ。

 会社の高層ビルの下まで出ると、ポンチョで防寒をしたゆきが寒そうに立っていた。

 だが、何処か楽しそうに見える。

 とても幸せそうだ。

「帯刀さんっ!」

 本当に嬉しそうに手を振るものだから、小松はつい表情を綻ばせてしまう。

 ゆきが可愛くて表情が緩む。

 部下の前では、こんなにも蕩けるように甘い表情をしたことはなかったから、残業をしている部下たちに見つかったら大変だ。

「待たせたね、ゆき」

 小松は挨拶をするのと同時に、ゆきの手をしっかりと握り締めた。

 柔らかい。

 だが、外にいたからか、とても冷たかった。

 こうして手を握り締めて、温めてあげたかった。

「冷たいね、君の手は」

「だけど、帯刀さんが温めて下さるので大丈夫ですよ」

 ゆきはほわほわとした柔らかな笑顔で言うと、こちらが笑顔になってしまうぐらいの温かな笑みをくれた。

「じゃあ、私が温めてあげなければね。ゆき、少しオフィスで休憩してから、帰ろうか?」

「はい! あ、帯刀さん。お仕事は平気ですか?」

「大丈夫。もう終わらせたから」

「だったら、良かったです」

 ゆきの笑顔に、全身が、心が温まる。

 師走は寒いのは相場が決まってはいるが、こんなにも暖かいとは思わなかった。

 温暖化しているだとか、昔に比べると暦の時期がずれていることぐらいは、解っている。

 だが、それだけでは説明が出来ない温かさであることは、小松には充分過ぎるぐらいに解っている。

 ゆきがいるからだ。

 ゆきが心の中まで、しっかりと温めてくれているからだ。

 だからとても暖かいのだ。

 小松が手をギュッと握り締めると、ゆきもまたはにかみながら同じように握り締めてくれる。

 これだけなのに、心から幸せになれる。

 ゆきの存在が、それだけ大きいということなのだろう。

 小松は、それほどまでの相手に巡り会えたことに、感謝せずにはいられなかった。

 二人で手を繋いで、オフィスに向かう。

 会いたかった、感じたかった温もりがすぐ近くにあるのが嬉しい。

 ゆきがそばにいるだけで、優しい気持ちになれた。

 オフィスに入ると、ゆきに来客用のソファに座るように促す。

「直ぐに帰る支度をするから、待ってて」

「はい」

 先程まで、ひどく殺風景だと思っていたのに、ゆきがいるだけで、優しい空間になる。

 いつまでもここにいたいと、思わずにはいられない。

 小松は気付く。

 ゆきがいる場所に、いつまでもいたいと思うのだ。

 帰りたいと思うのだ。

 同じ場所でも、ゆきがいなければ、ただの場所。魅力なんて感じないのだ。

 帰りたい場所というよりは、ひとに帰りたいのだ。

 いくら心地が良いペントハウスであったとしても、同じなのだ。

 小松は帰る支度を終えると、ゆきの座るソファの横に腰掛け、華奢で柔らかな暖かい身体を抱き締める。

「帯刀さんっ!?」

 ゆきが困惑するのも構わずに、小松はしっかりと抱き締めた。

「……少しこのままで一緒にいて……」

「……はい」

 小松が甘えるように抱き着くと、ゆきはしっかりと抱き締めてやさしく包み込んでくれる。

 いつもとは逆だ。

 こんなこともたまには良い。

 甘やかせる役のほうが好きだけれども、たまにはこうして甘えるのも良い。

 ただし、愛する者だからこそ出来るのであるが。

 小松は、じっとゆきの温もりを感じる。

 こうしているだけで、この上なく幸せだと、小松は感じていた。




モドル