*理想の時間*


 小松と一緒になって、間もなく一年になろうとしている。

 この一年間、小松は、ゆきが寂しくないようにと、せいいっぱいの愛情を注いでくれた。

 そのお陰で、愛に満たされた時間を過ごしている。そこに幸せを見いだす時間を、のんびりと過ごしている。

 小松と平田殿の生活。

 そして、今、もうひとつの希望と楽しみが育ってきている。

 本格的にこちらの世界で生きて行くようになって、それだけの時間が経過しているということなのだ。

 こちらの時空での習慣も、慣れつつある。

 携帯電話だとかパソコンだとか、便利な情報端末などない世界。

 テレビはもちろん、ラジオすらない世界だ。

 だが、このような世界で暮らすことこそ、望んでいたものではないかと、ゆきは今更ながら思ってしまう。

 あのようなものがなくても、充分に生きて行けるのだと、ゆきは強く実感する。

 本当にそうなのだ。

 逆に、便利だと思っていたことが、かえって煩わしいものかもしれないとすら、思った。

 今の時空こそ、本当は自分にあっていたのではないかと、ゆきは実感していた。

 

「平田さん、帯刀さんは、きょうもかなり忙しいようですね」

 膝に乗せた猫の平田殿を撫でながら、ゆきは拗ねるようにいった。

 小松の激務は相変わらず続いている。

 本人は早く休みたいと言っているが、やはりそうはさせては貰えない。

 小松ほど、先を見越した冷静な物の見方が出来る者がなかなかいないからだろう。

 本人は、貿易などをして、政治の表舞台からは立ち去りたいと思っているのに、なかなかそれが許されないようだった。

 小松を待ちながら、猫に話しかけた後、ゆきは突き出てきたお腹を優しく撫でていく。

 小松との間に授かった命を、ゆきは愛しく思った。

「お父様は遅いね。わたしたちのために、国のために頑張ってくださっているのだけれどね。ただ、お身体を崩さないように、それだけが心配だね」

 ゆきは子供に優しい気持ちで語りかける。

 子供に話したりするだけで、幸せな気分だ。

 火鉢に当たりながら小松を待つというのも、また幸せだ。

「ご家老がお帰りになりました」

「平田さん、お迎えに行こう!」

 ゆきがゆっくりと立ち上がっている間、平田殿は素早く起き上がり、玄関先まで駆けてゆく。

 以前は平田殿と競争をしていることもあったが、流石に今は、それも出来ない。

 このお腹を見ると、しょうがないのではあるが。

 お腹を見て、ふと思う。

 生まれた世界にいる両親のことを。

 ゆきがこんなにも早く結婚をして、子供を産むなんて、きっと思ってもみなかっただろう。

 こちらの世界なら至極当たり前のことではあるが。

 ゆきが玄関先に到着すると、既に平田殿が、小松に抱っこして貰い、ゆきに自慢げに鳴いていた。

「おかえりなさい、帯刀さん」

「ただいま、ゆき。平田殿には、先にただいまを言っておいたけれどね」

 小松は抱いていた平田殿を離すと、ゆきに寄り添う。

「お勤めご苦労さまでした」

「明日は久しぶりに休暇を貰ったよ。流石に少し休まなければね」

「疲れていますか?」

「肉体的な疲労よりも、精神的な疲労が大きいかな」

「身体は平気なんですか?」

「平気ではないけれど、だが、君との時間が少ないという打撃のほうが、私にはひどいけれどね」

 小松はくすりと笑うと、ゆきを更に強く抱き締めた。

 こうしていると、ゆきもホッと安心する。子供ごと、小松に守られているのだと、強く実感せずにはいられなかった。

「今日は息災だったかな?」

「はい。今日も、漬け物をつけたりしましたよ。最近は、漬け物作りがすっかり趣味になってしまいました」

「確かにね。だけど、気を付けなさい。皆、君のことを心配しているよ。もうすぐ子供が生まれるのに、あまり無理はしないようにとね」

「流石に漬け物石は持たなくなりましたけれど」

「君ね。無理は禁物だから」

 主人である小松を筆頭に、この家のひとたちは心配性だと、ゆきは思う。

 それがまた有り難いことといえば、そうなのだが。

「大丈夫ですよ。皆さんもとっても心配して下さっていて、とても有り難いです」

 ゆきは小松に甘えるようにその胸にもたれながら、目を閉じた。

 こうして小松に抱き締められながら過ごす時間は、ゆきにとってはかけがえのない時間になっている。

「ゆき、もう少しこうしていても構わないかな?」

「はい。私ももう少しだけ、こうしていたいです」

 小松にしっかりと抱き締められていると、たくさんの幸せと、たくさんの満たされた想いで心のなかがいっぱいになる。

 これはゆきにとっての支えだ。

 この時空に頼れるひとは、最早、小松しかいないのだから。

 小松がいるからこそ、ゆきは頑張れると思う。

 ゆきはギュッと小松に抱きつく。まるで小さな子供のように、抱きついた。

「ゆき、どうかしたの?」

「少しこうしていても良いですか?帯刀さんを近くに感じていたいんです」

「……どうぞ。いくらでも」

「有り難うございます」

 ふたりきりの時間を、小松は渇望していると言ってくれている。

 だが、本当は、ゆきのほうが渇望しているのだ。

 もう龍神の神子ではない。

 小松帯刀の奥方。

 ゆきの世間に認知されているのは、ひとりの男性に寄り添う妻の姿だ。

 今は、それがとても心地が良いのだ。

 小松と一緒にその愛を育むことが、何よりも幸せだ。

 そっと平田殿が、ふたりに寄り添ってくる。

「家族の輪ですね。帯刀さんと私と、平田さんと、子供」

 「そうだね。私たちはかけがえのない家族だね」

 かけがえのない家族。

 何て素敵な響きだろうか。

「これからも、増えてくるだろうね。私たちの家族は……」

「そうですね……」

 家族が増えて、笑顔になる日が増えてくるだろう。

 子供たちが増えると共に、ひょっとして猫の家族も増えてくるかもしれない。

 可愛い猫の家族が。

「私たちは家族が増えるけれど、平田さんも家族が増えると良い?」

 平田殿は興味がないとばかりにあくびをすると、暢気に毛繕いをしていた。

 その姿を見て、小松と顔を見合わせて、思わず笑ってしまう。

 つい、くすくすと笑うと、平田殿は知らんぷりをして、ふたりから目をそらした。

 猫も含めた優しい家族。 

 ゆきは、小松とふたりで、もっと温かな時間を沢山作ることが出来れば良いと思わずにらいられなかった




モドル