*感情の意味*


 恋をしているのかどうかは、解らない。

 ただ、小松に冷たくされると、切なくてたまらなくなる。

 これが恋なのだろうか。

 だが、ゆきは真剣に誰かを愛したことはないから、これが恋なのだろうかと思うと、小首を傾げてしまう。

 だが、視線は常に小松に向いてしまう。

 いつも小松だけを見つめてしまう。

 視界に入らないと不安になり、つい視線で一所懸命高杉を探す。

 視界に入っていないと不安だなんて、今まで思ったことはなかった。

 ゆきは胸が甘く切なくなるのを覚えながら、ただ小松だけを見つめていた。

「……だから、ゆき君、君は私と一緒に行って」

 小松だけを見つめ過ぎていたからか、話をゆきは全く聞いてはいなかった。

 振られて、ゆきは焦るように小松を見た。

「あ、あの、こ、小松さんっ、私は何を!?」

 焦るゆきに、小松はガッカリするとばかりに、呆れ果てたような溜め息を吐いた。

「……ゆき君、聞いていた?」

 小松は溜め息混じりに、あからさまにガッカリだとばかりに呟く。

「……聞いてませんでした……」

 ゆきはしまったと思いながら、項垂れるしかなかった。

 また失敗してしまった。

 ゆきは自分のバカさ加減に溜め息が出そうになる。

「……ったく、合議の時ぐらいは、きちんとひとの話を聞いていて欲しいね……」

 小松はお話にならないとばかりに溜め息を吐いた。

 小松に言われても、半ばしょうがないことをしていたのだから、しょうがない。

「だからね、君は私と一緒に、薩摩藩邸に向かって欲しいと言ったの」

「は、はいっ。ありがとうございます、小松さん」

 ゆきは小さくなりながら返事をしながら、様子を伺うように小松を見た。

 冷めきった目でゆきを見ている。

 誰よりも厳しい小松であるから、きっとゆきのことは、神子失格だと思うぐらいは見ているだろう。

 身から出た錆だとはいえ、ゆきは哀しくてしょうがなかった。

 不甲斐ない。

 こんな神子はいらないと言われるかもしれない。

 それはそれで嫌だ。

「ゆき君、すぐに出る。支度をして」

「は、はいっ」

 これ以上、小松をがっかりとさせたくはない。

 ゆきは直ぐに支度をした。

 小松に冷たい目線を注がれるのが、居たたまれなかった。

 ゆきが支度を終えて宿の外に出ると、小松は腕を組んで待ち構えている。

「ゆき、行くよ」

 小松は静かに歩き始め、ゆきもその後を追った。

 胸が切ないぐらいに痛い。

 小松の後ろを追っていると、まるで拒絶されている気分になる。

 小松は元々、ゆきよりもずっと大人で、こうして一緒にいることすらもない相手だ。

 恐らくは小娘風情とぐらいにしか思われてはいないのだろう。

 そう思うと、とても苦しくて、切ない。

 甘くて、切なくて、苦しいのに、何処か華やかで幸せな感情の意味は、いったい何なのだろうかと思わずにはいられない。

 ゆきはこの感情が、小松以外に抱いていないことに気づいたのも、最近のことだ。

 トクベツな感情。

 ようやくそれは理解することが出来るようになったが、ゆきはそれが何なのかが、イマイチ解らなかった。

 ふと小松が振り返る。

 その仕草だけでドキリとしてしまう。

「さっさとして、ゆき」

「はい」

「私の視界に入る位置にいなさい。危ないでしょ」

「はい」

 小松が厳しい切れるような眼差しを向けてくるものだから、ゆきはその間を詰めた。

 ほんのりと嬉しい。

 小松の後ろにいるよりも、より近い場所にいたかったから。

 ゆきはにんまりと笑いながら、小松の横に立った。

 小松とこうして対等の位置で歩くことが出来るのが、ゆきにはとても嬉しかった。

 そばにいるだけで、ゆきは心が弾むのを感じていた。

 ゆきは小松の横にいて、その歩く速度に合わせるのに、躍起になる。

 小松の歩く早さはかなりのもので、ゆきは小走りをしなければならなかった。

 ほんのりと切ない。

 だが、小松が直ぐにゆきの少し早歩きのリズムにあわせてくれた。

 これはかなり有り難かった。

 ゆきも小松も何も言わずに、そのまま薩摩藩邸まで歩いて行く。

「色々と神子殿が一緒だと都合が良いならね」

 小松はさらりと言うと、ゆきの手をいきなり取った。

 余りに突然の出来事だったので、ゆきはびっくりして思わず躰を震わせた。

 嫌な震えではない。

 むしろ、胸が締め付けられるぐらいに甘ったるい震えだ。

 ゆきは息苦しくて、だが、甘酸っぱい気分で小松を見た。

 ドキドキして、睫毛がチラチラと震えて、肌が華やかにざわめく。

 ずっとこうしていたいだなんて、そんな期待すらも抱いてしまう。

 ゆきが頬を柔らかな桃色に染め上げて小松を見つめると、フッと意地の悪い笑みを向けてきた。

「ゆき、君が愚図だからだよ。薩摩藩邸には急いで往かなければならないからね」

 小松はなんの意図はないとばかりに、さらりと呟いた。

「ゆき、急ぐよ」

 小松は、ゆきの手を先程よりも強く握りしめて、歩みを早める。

 不思議なことに、小松に手を繋がれると、先程よりも軽やかに早く歩けるようになった。

 そして、何だか羽根が生えたように軽くてふわふわして、楽しい。

 ドキドキして胸は苦しいのに幸せで楽しいこの感情の意味は、いったい何なのだろうか。

 ゆきは分からなくて、困惑する。

 決して嫌な感情ではないから、ゆきはこの感情の意味を知りたかった。

「もうすぐ藩邸だよ」

「はい」

 もうすぐこの手を離さなければならないのだろうかと思うだけで、何だか胸が痛い。

 名残惜しくて、ゆきはいつまでも離したくないと思った。

 ゆきは呼吸を整えながら、離したくない余りに、小松の手を思わずギュッと握りしめてしまった。

「……どうしたの?」

 小松が何処か楽しそうに声を掛けてくる。

「あ、あの、もうちょっと、こうしていたいって……。あ、ご、ごめんなさい……。何なんでしょうね?何だか、訳が解らなくて……。……こんなの、小松さんだけなのに……」

 感情の起伏が激しくて、ゆきは自分でも何を言っているのかが、分からなくなる。

 そんな様子を見ていたからか、小松は喉を軽く鳴らして笑った。

「君は、私と手を離したくない理由が解らないの?」

 まるで愉快なものを指摘するように言った後、小松は溜め息を吐いた。

「……なるほど……。だから君は、私の感情にも、全く気づかなかった……、ということなんだ……」

 小松はひとり納得するように呟くと、ゆきを艶やかな瞳で見つめる。

「ゆき、藩邸に着いたら、その意味を教えてあげる」

「は、はい」

 小松に言われて、ゆきは鼓動を高まらせながら返事をした。

 

 藩邸に入ると、ゆきは小松に執務をする部屋に連れて行かれる。

 部屋でふたりきりになると、全身に甘い緊張が駆け抜ける。

 小松に腰を抱かれると、いきなり顔を近づけられた。

「……こういうことだよ」

 小松は甘さが滲んだ低い声で囁くと、ゆっくりとゆきに近づいてくる。

 そのまま口付けられて、ゆきは真っ赤になって目を丸くした。

 ゆきがドキドキするものだから、小松は可笑しそうに笑う。

「……後はね、君の心に訊いて?」

 小松の言葉も、ゆきは甘い感情で、頭がいっぱいで、上手く理解することが出来ない。

 この意味が解るようになるまでは、もう少し時間が必要だった。





モドル