*さよならは言えない*


 明日には別れなければならない。

 理性では分かっているものの、なかなか頭で上手く整理をすることが出来ない。

 きちんと笑顔で別れなければならない。

 さよならなんて言う気はないのに。

 だが、運命はそれを許してはくれないようだ。

 小松とずっと一緒にいたい。

 心に秘めた想い。

 それを口にすることは、何処か烏滸がましいような気がする。

 小松には、守らなければならないものがたくさんある。

 大儀がなったとしても、それは変わらない。

 藩を任されている。

 いや、この国を任されていることに、違いはないのだ。

 それを分かっているからこそ、なかなかそばにいたいと口には出来ない。

 このまま別れてしまうのだろうか。

 それを考えるだけで、ゆきの気持ちは暗く切ないものになった。

 さよならなんて言えない。

 言わなければならないのは、分かっている。だが、なかなかそれを言葉に出来ない。

 出逢った頃は、後、どれぐらい一緒にいられるのだろうかなんて、考えもしなかった。

 だが、出逢えば、どのような形であれ、別れはやってくるものだ。

 その別れは、今、目の前にある。

 回避なんて出来ないほど近くに。

 ふたりの想い出を辿っても、幸せで輝かしいものにしか見えない。

 楽しいひととき、危機的状態、助けられたこと、反目しあったことや喧嘩をしたことまでも、総てが素敵な想い出になっている。

 どれも欠かせないほどに。

 ゆきは、想い出を心のなかで重ねては、溜め息を吐いた。

 小松と離れなければならないことが哀しくてしょうがない。

 本当は天海を倒すこと。

 この世界の未来を明るくすることに、集中しなければならないというのに。

 なのに小松のことばかりを考えてしまう。

 どうすれば、小松と離れずにはすむのだろうか。

 そればかりを考えては、ゆきはついつい溜め息を吐いてしまった。

「どうしたら、良いのかな……」

 寒空のなか、ゆきは月を見上げる。

 月を見上げたからといって、答えが見つかるはずなんてないのに。

「こんなことばかり考えていると、つくづく自分がわがままに思えてくるよ……」

 ゆきは自分でもつい呆れてしまう。

 神子としての責務を果たさなければならないのに、つい、つい、小松の考えてしまう。

 そんなことでは、神子としてここにいる資格なんてないのに。

 本当に泣きたくなる。

 ひとりごちるほどに、ゆきは追い詰められていた。

 膝を抱えて縁に座っていると、優しい気配がした。

 落ち着きと優しさ。

 それが誰かは直ぐにわかる。

 小松だ。

 それ以外には考えられない。

 だが、顔をあげる勇気はない。

 泣いてしまいそうだから。

「どうしたの、そんなところで、猫のように丸くなって」

 小松の優美なのに透明で、何処か突き放したような声が聞こえる。

 こんなにも魅力的な声を、抗うことなんて出来ない。

 ゆきはそっと顔をあげた。

「小松さん……」

「なんだか随分深刻な顔をしているね」

「……そうですか?」

「最後の戦いに怖じ気づいた?」

 小松らしい皮肉な言葉の裏に、本当の意味での優しさが秘められている。

 それがゆきの心に甘く染み透る。

「決戦のことではないです。みんなで心を合わせれば、絶対に勝てるって、思っています」

 ゆきは凛とした表情を浮かべながら、半ば笑顔で話す。

 最後の戦いは、仲間たちと心を合わせる最後の機会なのだから。

 ゆきはそれを楽しもうとすらしていた。

「流石は神子殿。その言葉に偽りはないのは、私が誰よりも分かっているよ」

 小松はフッと笑うと、ゆきを厳しい眼差しで見た。

「戦いのことを気にしていないのに、どうしてそのような顔をするのかな……」

 小松は、ゆきの考えることなどお見通しとばかりに、静かに呟く。

「それは……」

 まさか。

 小松は、総てを気付いているのだろうか。

 気持ちに気付いてからも、ゆきは自分では上手く言えないでいた。

「ゆきくん、戦いの行方は、もう決したも同然かもしれないね。君も私たち八葉も、心をひとつに出来ているからね。ただ、君が憂いでいるのが気にかかる。なにか、気になることでも?」

 小松の声が、スッとゆきのなかに入ってくる。その優しい温かさに、つい本音を言いたくなる。

 さよならなんて、言いたくないし、言えないと。

「……これで、八葉のみなさんと一緒に戦うのが最後だと思うと、寂しいなって思ったんですよ」

 ゆきは、肝心のことを隠しながら、ただ静かに微笑む。

 その微笑みも、ついつい切なさが滲んでしまう。

「そうだね……。これで最後だ……。天海を倒した後、私たちはそれぞれの場所で、それぞれの天命を全うする。それだけだよ」

 小松は何の感情も浮かべることなく、静かに目を伏せた。

 小松の口から、そんな言葉を聞くと、ゆきは余計に寂しく切なくなった。

「小松さんは、闘いが終われば、薩摩に戻られるのですか?」

 ゆきはさりげなく言ったつもりだったが、声が僅かに震えてしまった。

「……そうだね……。薩摩藩の家老に戻る気は、もうないかな……」

 小松はまるで未来を見据えるように微笑む。そこには寂しさはかけらもなかった。

「皆さん、必要としていますよ!」

「彼らは大丈夫だよ。私がいなくてもね……。それに、私は旧体制の人間だからね。私がいるのは、合理的じゃないよ」

 小松はフッと微笑むと、ゆきをじっと見つめてきた。

「私が必要としているだろう場所へと向かうのは悪くないと思っている……」

 小松は、綺麗な手を、ゆきのまろやかな頬に柔らかく置いてくれる。

 手のひらから滲む温もりに、ゆきの心は潤む。

 不思議と気持ちが満たされてゆく。

「君にはきちんと話をさせてもらうから……。闘いが終われば……。私の神子殿だからね……」

 小松は甘く微笑むと、そっとゆきの頬に口づけた。

 様々なことを考えて、暗い気分になる前に、甘く、満たされた気持ちになった。

「私は、さよならを言うほど、バカではないよ」

「え……?」

「何でもないよ。早く寝なさい。明日は早いからね」

 小松は静かに呟くと、縁から離れた。

 切なく暗い気持ちになる前に、小松は安心させてくれる。

 明日になれば、総てが終わる。

 それが、薔薇色の明日に繋がれば良いと、ゆきは思った。

 総てが終わった後、さよならを言うことのない、明日に。



モドル