*トクベツ*


 恋なんて戯れ。

 正直、あり得ない。

 これほど合理的ではない感情が、この世に存在するのだろうか。

 そう思ってしまうほどに、非合理な感情だ。

 お互いに愛し合っていながら、身分や家の柵で、結ばれなかった男と女を、いやと言うほどに見てきた。

 そんな世界を早く打破したいと、誰もが自由に愛し合い、誰もが自由に好きな仕事につき、国を動かしていく世界にしたい。

 強くそう思っている。

 そうなったとしても、恋は非効率的なものだと、ずっと考えていた。

 それがどうだろうか。

 自分自身が、非効率的な恋の罠にはまってしまっている。

 恋に夢中にさせる女性とは今までで出逢うことはないと思っていた。

 それがどうだろうか。

 今、ひとりの女性に夢中になってしまっている。

 その相手は、龍神の神子。

 あり得ない。

 しかも、この時空ではない、異世界からやって来たのだから、始末に終えない。

 こんなはにも難しい相手と恋をすることになるなんて思ってもみなかった。

 しかも、主導権が全く取れない。

 一方的に好き過ぎているのは、自分だからだ。

 最近では、その姿を見ない日は、心が沈んでいくのを自分でも感じずにはいられない。


 小松は、ゆきの姿を見るために、つい、宿に出向いてしまう。

 家老として薩摩藩に尽力を尽くさなければならないことは、充分に分かっているし、そうしているつもりではある。

 それでも、ゆきが心に締める比率は日に日に大きくなってきており、自分でも上手くコントロールが出来なくなってきている。

 宿に出向くと、ゆきが笑顔で出迎えてくれた。

 屈託のない明るい笑顔に、小松は癒されると同時に、満たされた気持ちになる。

 笑顔だけで心が充たされるなんてことは、今まで無かったのだ。

「ゆきくん、神子殿に同行させて頂こうと思ってね……。出掛ける?」

「はい。怪異の噂を桜智さんが聞き付けて下さって、今からそこに向かおうかと思っています。小松さんも、一緒に来て頂けますか?」

 ゆきが柔らかな花のような笑顔を小松に向けてくれる。その笑顔に魅せられて、小松は思わず見惚れてしまう。

 誰にも見惚れてしまったことはないというのに。

 やはり、それだけゆきは特別な存在だということだ。

「じゃあ、一緒に行こうか」

「はい」

 小松は、チナミや瞬、桜智や高杉と一緒に、ゆきのお供をする。

 本当はふたりきりでいたかったが、それは、八葉総て同じことを思っているだろう。

 その手を取って、ここからゆきとふたりで抜け出すことが出来たら良いのに。

 自分でも、こんなことを夢想するとは思ってはいなかった。

 全く始末が終えない。

「……私も桜智が笑えないということだね……」

 小松はひとりごちると、苦笑いを浮かべるしかなかった。

 ゆきを中心に、怪異の噂が出ているところまで、仲間たちと出向く。

 ごく自然に、ゆきの傍にいられることが、小松にはとても嬉しかった。

 小松にとって、ゆきは今や最高に幸せな気持ちにさせてくれる相手だった。

「……小松さんが、ご一緒して下さってとても嬉しいです。本当にありがとうございます。助かりますよ」

 ゆきは小松を本当に頼りにしてくれているようで、それが嬉しかった。

「まあ、私も何処まで役に立てるかは分からないけれど、ここに同行している時ぐらいは、私の力を存分に使うと良いよ」

「ありがとうございます」

 ゆきの笑顔を見つめるだけで、もっと傍にいたいと思わずにはいられない。

 だが、それは非合理過ぎる、我が儘で危険な感情なのだ。

 小松は、息苦しさを感じながら、上手く空気を吸えない自分に、もどかしさを感じていた。

 

 噂の怪異をゆきの力で封印した後、少し休憩を取ることになった。

 言い出したのは小松だが、そこにいた総ての八葉が同じことを思っていたのは、確かだった。

 ゆきの体力の消耗が、日に日に厳しいものになっていることを、誰もが感じている。

 ゆきはひとりで岩場に腰掛けて、じっとしていた。

 瞬が、ゆきの医者として様子を診に行ったが、大丈夫だと本人が笑うだけだと、悔しそうに語った。

 ゆきは、八葉には、誰にも見せる本当のところを言わない。

 誰もが心配するのを、分かっているからだろう。

 優しいゆきらしい。

 だが、それが、更なる心配を生むことを解ってはいないのだろう。

 小松は然り気無く、ゆきの側へと出向いた。

 ゆきは清んだ瞳を澄み切った青空に向けている。

 その横顔は完璧なまでに美しい。

 菩薩のようだと思わずにはいられない。

「体力は回復出来ている?ゆきくん」

 小松が声をかけると、ゆきはハッと息を呑んだ後で、笑顔になった。

「こうしていると、随分、回復してきました。大丈夫ですよ、小松さん」

 笑顔で答えるゆきを、小松は冷徹な眼差しで厳しく見つめる。

「……嘘でしょ」

 小松が低くよく通る声で断言すると、ゆきは一瞬、目を見開いた。だが、慣れているのか、直ぐに笑顔になる。

「そんなことはありません」

「あるでしょ。まあ、正確に言えば、半分は本当で半分は嘘でしょ?」

 小松は真っ直ぐ言葉をゆきに返して、その様子を真摯で冷静な眼差しで見据える。

 小松の眼差しに観念したのか、ゆきは苦笑いを浮かべながら、小松を見つめる。

「……小松さんには嘘が吐けないですね……」

「君は嘘を吐けないよ。少なくとも私の前では……。他人のことを思って嘘を吐くのは、悪いことではないよ。けれどね、その気遣いや優しさが、他人をさらに心配させたり、傷つけたりすることがある。それを君は忘れないようにしないといけないよ」

 小松は、淡々と冷たく静かに呟く。

ゆきはそれを唇を咬みながら聞いていた。

「ゆきくん、だからね、私にだけは嘘を吐かないこと……。それだけで、君の気持ちは少しは救われる。そして、他の八葉も、少しは安心してくれるかもしれない。どうかな?」

 小松は囁くように甘い声で言う。

 ゆきは一気に目が覚めたように見開いたが、直ぐに笑顔にはなる。

「……はい。小松さんには嘘が吐けないから、素直になります」

「……そう。良い子だね……」

 小松はそっと囁くと、ゆきをギュッと抱き締める。

 ゆきは真っ赤になって、最初こそは驚いたが、直ぐに甘えるように小松に抱きついてきた。

「……素直になって。私が総てを受け止めてあげるから……」

 恋がまた進む。

 ゆっくりと確実に。

 小松はこの恋を大切にしていかなければならないと、強く思った。




モドル