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恋を自由に出来ない時代があった。 だが、そんな時代でも、自分の想いを貫いた恋が確かに存在した---- ゆきはかごに揺られながら、胸が緊張でどうにかなってしまうのではないかと思った。 今から、小松帯刀のところに行くのだ。 差し出されると言っても過言ではない。 ゆきは背筋を伸ばして、緊張せずにはいられない。 相手は薩摩藩の家老なのだ。どうしてそんなにも地位が高い男が、自分を請うのだろうか。 ゆきにはよく分からなかった。 龍神と話が出来るからだろうか。 利用価値があるからだろうか。 そんなことを考えてしまい、ゆきはまた凹んでしまった。 素敵な恋をしてそのひとと結ばれる。 そんなことを夢見ていたこともあったが、それも今は難しいことをゆきは察してしまう。 小松帯刀。 日の本一の合理主義者で、冷徹な男であることを、ゆきも噂で聞いている。 侍社会の頂点に立つ、かなりの切れ者だと。 そんな男にどうして請われたのか。 ゆきは結局、答えを見つけ出すことが出来ないままで、屋敷へと連れていかれてしまった。 「姫様、到着致しました」 「有り難うございます」 ゆきは今まで着いてくれた女性に、ゆっくりと手を取られて籠から外に出た。 やはり、日の本随一の男だと言われるだけあり、立派な屋敷に暮らしている。 ゆきは緊張してしまい、どうして良いのかが分からなくなるぐらいに、固くなってしまっていた。 「さあ、姫様、お殿様がお待ちでございます。こちらへどうぞ」 ゆきはカチカチになりながら、ゆっくりと小松帯刀が待つ部屋に向かった。 本当に結婚するのだ。会ったことすらない相手と。 それは、ゆきのような娘には、半ば当たり前のことであるのに、いざ、そのようなことが起こってしまうと、なかなか受け入れることが難しかった。 背筋を伸ばして歩いてゆく。 切れ者だと呼ばれている、ゆきの夫に、道具のように思われたくはないから。 ただ、それだけだ。 小娘だからと、小馬鹿にされた扱いはされたくなかったから、ゆきはそれ相応の立ち振舞いをしようと決めていた。 「さあ。こちらでございます」 「有り難うございます」 ゆきは部屋に通されて、背筋を伸ばして座った。 三つ指をついて、身体を折る。 当たり前の仕草。 だが、ゆきにはこのへりくだった仕草が、合理的でない、と、思っていた。 「殿のお成りでございます」 「はい」 ゆきの緊張は頂点に達し、呼吸が上手く出来ない 「面を上げて。そこまでする必要はないよ」 凛とした冷たい声が上から降ってきて、ゆきは思わず顔を上げた。 そこには、理知的な美しさを醸し出した、整った容姿の男が立っている。 眼鏡の奥の眼差しがとても冷徹だ。 「楽にして、ゆき。私は小松帯刀。今日から君の夫だ」 小松は事務的に言うと、ゆきにゆっくりと近づいてきた。 これ程までに、綺麗な男の人だということに、ゆきは驚いていた。 「本当に楽にして。そんなに固くされても困るから」 小松は冷たさしか感じられない声で、淡々と呟くと、ゆきに手をさしのべた。 「行くよ。屋敷を案内する。君は、今日からうちの女主なのだならね」 「はい」 小松が真っ直ぐ目を見て話してくるため、ゆきは思わず素直に頷いた。 「有り難うございます」 こまつの冷徹なのに優しさと美しさが滲んだ横顔に、ゆきは思わず見つめてしまう。 ドキリとした。 今までに経験したことがないときめきに、ゆきは心臓が勝手に走り出してどこかへといってしまう。 こんなにも甘くて激しいドキドキは、ゆきにとっては、初めてだった。 「ゆき、明日と明後日は、温泉に行くよ。君と私もよく知り合わないといけないだろうしね」 「温泉……ですか?」 「……そう。西洋では、婚姻の後、夫婦ふたりで旅に出る習慣があるそうだよ。だから、私も倣っておこうと思ってね。荷物は既に纏めさせているから、心配しなくても構わない」 「はい」 いきなり小松と旅行に出るなんて、ゆきは思ってもみなかった。 そもそも西洋にはそのような、しきたりがあることも、ゆきは知らなかったのだから。 「この屋敷は今からあなたは自由にして良いから」 「有り難うございます。だけど、自由にするって、どういうことだか、分からなくて」 ゆきは正直な気持ちを小松に伝える。すると、冷たそうな表情が、ほんのりと緩んだ。 「……そう。あなたは正直だね。だからこそ、あなたを私のところに来て貰ったんだけれどね」 小松の言葉に、ゆきはドキリとする。 ずっと小松は、ゆきのことを知っていたということなのだろうか。 「……あ、あの、と、殿様は、私のことをご存知だったんですか?」 「そうだよ。龍神と話が出来るらしい不思議な子がいるとは、聞き及んでいたからね。あなたのことを調べさせて貰い、私はあなたを私の妻にと決めた。それだけだよ」 「……そうですか……」 やはり、龍神と話が出来るから、妻に選ばれた。 そう考えるだけで、ゆきの胸はズキリと痛んだ。 息苦しくなる。 要は利用価値があるからということだけなのだろう。 その事実を突きつけられて、ゆきは重い気持ちになった。 苦しくて辛い。 そんな重たい気持ちが、ゆきの中に満ちてくる。 苦しかった。 ゆきが、一瞬、暗い顔をしたことに気づいたのか、小松は手をしっかりと握り締めてきた。 まさか、こんなにも温かくて強く手を握り締められるなんて、思ってもみないことだったから、ゆきは鼓動を跳ね上げた。 「あなたがここを気に入ってくれると良いけれどね」 「はい」 小松の手の温もりを感じながら、不思議な安堵感とときめきを感じている。ゆきは信じられる気持ちになる。 「……それと、私を呼ぶ場合、殿って言いにくいようだったら、名前で構わないよ。帯刀で」 「た、帯刀さま……ですか?」 「さん付けで構わないよ。ゆき」 「はい、帯刀さん……」 「まあ、及第点かな」 小松は僅かに微笑んだが、その表情がとても魅力的だった。 「……さてと、一通り案内をするよ。この屋敷のことは、少しずつで良いから、覚えていって。あなたが仕切ることになるのだからね」 「はい」 緊張する。 このように大きな屋敷を仕切るのは初めてだから、緊張せずには、いられない。 不安な気持ちを抱いたのが解ったのか、小松が手をしっかりと握り直してくれる。 大丈夫だ。 不思議な勇気がゆきのなかで涌いてくる。 このひとがいればきっと上手くいく。 ゆきは小松を見つめながら、このひとについて行けば、何とかなるような気がした。
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