*桜日和*


 小松がこの世界にやってきて初めての桜の季節がやってくる。

 薄紅色に覆われる美しい世界を、小松と一緒に見たい。

 満開な桜。

 そして今宵の月はとても美しい。

 仕事がかなり忙しい小松であるから、一緒にお花見をするのはとても難しい。

 時間を作るのすらもかなり大変なゆきの大好きなひとであるから、こちらからはなかなか頼むことが出来ないのだ。

 ゆきは携帯電話と睨めっこをしながら、花見のデートはいつ言い出せば良いのかと、真剣に考えてしまう。

 そのタイミングで、ゆきの携帯電話が鳴り響く。

 着信音で解る。

 小松だ。

 ゆきは大好きなひとからの電話に喜びながら、慌てて出た。

「もしもし、ゆきです」

「ゆき、私だけれども、今夜時間が出来たんだ。君の都合さえ良ければ、一緒にお花見をしないか?」

「勿論! 嬉しいです! 小松さん!」

 ずっと花見デートをしたいと思っていたから、なんて素敵なタイミングだろうかと、ゆきは思った。

「そう。それは良かった。だったら都合がついたら直ぐに会社に来て。それと花見の準備はこちらでしておくから、君は何もしなくても良いから」

「解りました。では、今から行きますね」

「待っているよ」

 電話を切った後、ゆきはその場で踊り出したくなる。

 大好きな人と初めて見られる桜に、ゆきは楽しみになり過ぎて、まるで小さな子どものように走っていった。

 受付でいつものように声を掛けると、社長室まで通してくれる。

 小松な逢うまでの時間がまどろっこしい。

 一気に小松のそばにいけたら良いのにと、ゆきは思わずにはいられなかった。

 社長室のドアをノックすると、いつものように小松の突き放したような声が聞こえる。

 ゆきは笑顔で「失礼します」と言いながら、社長室へと入った。

「小松さん、こんばんは」

 ゆきが笑顔で挨拶をすると、小松の厳しくて冷たい表情が甘くなる。

「どうしたの? そんなにも息を乱したりして」

 小松はゆきをからかうように言うと、そっと近付いてくる。

 紅潮した頬に触れられて、ドキリとする。

「走ってきたの? 全く君は相変わらず子どもみたいだね」

 小松は柔らかな笑顔を浮かべながら、ゆきの頬を何度も触れた。

「……楽しみだったんですよ。小松さんと桜を見るのが」

 ゆきがにっこりとはにかむと、小松も微笑んでくれる。

「私も楽しみだよ。少し待っていて。直ぐに仕事を片付けてしまうから」

「はい」

 小松は手早く仕事を片付けてゆく。

 その様子を見つめながら、本当に隙がない合理的なひとだと思わずにはいられなかった。

「さあ終わったよ。君が楽しみなお花見に行こうか」

 小松が手をさしのべてくれ、ゆきは笑顔でその手を取る。

 桜色のロマンティック。

「小松さんと一緒に夜桜が見られるのが、とても楽しみです」

 「楽しみにしていて。とっておきの場所に連れていってあげるから」

 小松に連れられて、ゆきは駐車場まで降りてゆく。

 こうしてしっかりと手を握り締めて貰うと、本当に恋人同士なのだと実感出来るのが嬉しい。

 小松の車に乗り込み、ゆきは背筋を伸ばして、前を笑顔で見つめる。

「何処に行くんですか?」

「言わないとダメなの?」

「そ、そんなことは、ないんですけれど……」

「内緒にしておいたほうが楽しみは大きいでしょ? 着いたら解るよ」

「はい」

 ゆきは小松のことだから、きっと素晴らしい場所に連れていってくれるだろうと、楽しみにすることにした。

 小松の車が停まったのは、会社からもそんなにも遠くないところだった。

「ゆき、降りるよ」

「はい」

 小松に連れられて入ったのは、モダンな和が麗しい建物だった。

 静かなそこは、賑やかな花見会場とは一線を劃しているようだ。

 静かなそこは、中に入るとお香の匂いがしてロマンティックだった。

 通されたのは、落ち着いた離れのような部屋で、小さな庭が見える。

 中に入った途端に、ゆきはつい笑顔になった。

 小さな庭には桜の樹が植えられていて、花見をしながら、食事が出来るようになっていた。

「ここならば、静かに桜を見つめることが出来るよ。私も君とふたりきりで桜の花を眺めていたいからね」

「……綺麗です……」

 ゆきはついうっとりと桜を見つめてしまう。

 都会の隠れ家のような場所に、ゆきは笑顔になった。

 今まで、こんな場所があるなんてことを、ゆきは知らなかった。

 「気に入ったみたいだね。庭にも出られる」

「はい」

 庭に出られるように、掃き出し窓の下には下駄が置いてあり、ゆきはそれを履いて外に出る。

 ゆきが桜の幽玄さに魅せられていると、食事が運ばれてくる。

 春らしい献立に、お腹のほうも魅せられる。

「食べながら桜を見ようか」

「はい」

 ゆきは庭から戻ると、座敷にちょこんと座った。

 すると小松が微笑みを浮かべながら、ゆきを見る。

「有り難うございます。こんなにも素敵なお花見に連れて来て下さって」

「私も君とふたりだけで静かな花見をしたかったからね。賑やか過ぎるのはどうかと思ってね」

 小松は桜を眺めながら、穏やかに呟いた。

「食事にしようか」

「はい」

 いただきますをして、ふたりで食事をしながら、桜を眺める。

 掃き出し窓からは幾分か冷たい風が吹き渡って、とても心地が良かった。

「ゆき、君は私よりも桜が大事なの?」

 小松がわざと怒っているように言うものだから、ゆきは焦ってしまう。

「そ、そんなことはないですよっ。小松さんとふたりきりで見る桜だからこそ、私もついうっとりと見つめてしまうんです」

 ゆきが慌てて言うのがおかしいのか、小松は喉を鳴らして笑った。

「本当に焦っている君を見るのは可愛い」

 最初からからかわれているのは解っているけれども、それはそれで何だか恥ずかしくて悔しい。

「私は小松さんと一緒に、桜を眺めていたいだけなのに、知らないっ!」

 ゆきがわざと頬を膨らませてプイッと顔を背けると、食事中にもかかわらず、小松はいきなり背後から抱き締めてきた。

「……怒ったの?」

 小松はゆきを抱き締めたまま、耳元で甘く囁いてくる。

 こんな風にされると、やはり反則だと思わずにはいられない。

「そ、そんなには怒ってはいないですけれど……」

 ゆきがもじもじと言うと、小松は自らの腕の中でゆきを回転させて、じっと見つめてきた。

「お仕置だね……。桜を見られない罪だね」

 くすりと小松は笑うと、ゆきの唇にゆっくりと顔を近付けてきた。

 しっとりと重ねられて、ゆきは小松が与えてくれるキス以外は、何も考えられなくなった。

 何度もキスをしていると、桜のことも食事のことも、ゆきは何もかも忘れてしまう。

 唇を離された後も、ゆきはまだキスに酔い痴れていて、頭がぼんやりとしていた。

「……ゆき、今は桜どころではないようだね」

「……だって……」

 ゆきは何も反論出来なくて、俯くばかりだった。

 小松は、ゆきの頬を撫で付けた後、フッと微笑んだ。

「桜よりも綺麗な色だね……。桜を見ているよりも、私は君を見ているほうが、素晴らしい花見になるけれどもね」

 小松はからかうように言うと、ゆきを抱き締めた。

「桜の花そのものよりも、君という桜を、私はずっと見つめていたいからね……」

「小松さん……」

 小松はロマンティックに呟くと、ゆきに甘えるように抱き締めた。

「花見なんて、愛しいひとに逢いたいと思う口実に過ぎないのかもしれないね」

 小松はくすりと笑うと、ゆきを更に抱き締める。

 こうしているだけで、ロマンティックなひとときが過ごせるのは、小松のお陰だとゆきは思った。





モドル