月下のプロポーズ


「望美、七里が浜に行って、誕生日を祝おうぜ」
「うん!」
 手を繋いで家を出ると、将臣の自転車のハンドルには幾つも袋がかかっている。
「ちょっとしたお祝いをしようぜ」
「うん、楽しみだよ!」
 将臣に自転車を乗せて貰い、望美はその背中に縋り付く。今年は、恋心を確かめあってから初めてのバースデーだ。
 気合いを入れようと思いながらも、結局は何時もと同じスタイルになってしまう。
 自転車でゆらゆらと揺られながら、極楽寺の駅へと向かった。
 闇がふたりを追い掛けるようにおりてくる。
 今の時間が、一日で最も美しい。
 将臣の背中を通して見る夕日は、魂がぐらつくほどの感動を与えてくれ、望美は思わず背中に抱き着いていた。
「凄く素敵な夕日だね」
「そうだな。色んな夕日を見たけれど、やっぱり鎌倉の夕日が一番綺麗だって思うよな」
「うん」
 鎌倉で、しかも将臣と一緒に見る夕日が、望美は何よりも美しいと感じている。これ以上の夕日なんて、本当はないことぐらい解っている。
 自転車を駅に置いて、ふたりは当たり前のように江ノ電に乗り込む。
 自転車でも行ける距離だが、やはり旅情を大切にしたい。
 ふたりて並んでシートに腰を下ろし、海に沈み行く夕日の風情を楽しんだ。
「綺麗だね、やっぱり」
「そうだな。極楽寺から鎌倉高校前までが、一番綺麗だからな」
「そうだね、本当に綺麗だもんね」
 電車に乗り込んでも、繋いだ手をふたりは離さない。しっかりと重なった強さは、自分たちの絆の深さを教えてくれる。
 鎌倉高校前で下車をして、道路を突っ切り、海岸へと下りる。
 この時間になると、サーファーもほとんどいない。
「おい、気をつけろよ」
「大丈夫だよ。ちゃんと将臣くんに手を繋いで貰っているからね」
 望美の弾んだ声に、将臣は苦笑いを浮かべると、髪をさらりと撫で付けてくれた。
「いつも見ててやるよ。これからは」
「うん。こうやって手を繋いで、将臣くんが見ていてくるるから、いつも安心出来るんだよ。本当にどうも有り難うね。いつも」
 不意に将臣は望美を抱き寄せて、その腕に閉じ込める。
「こっちこそ、有り難うな。マジで。お前がいるから癒されるんだよ」
 暫く将臣の腕の中で温まりながら、望美は目を閉じた。
 こうしているだけで、心に安寧が訪れる。鼻孔を擽る香りも心を甘くとろけさせる。
 月を見なくても何をしなくても、ただこうしているだけで、幸福だった。
 いつの間にか紫の闇に包まれる。
「…月が出てくるな。そろそろ、誕生日を祝うか」
「そうだね」
 いつもの場所でふたり肩を並べて、腰を下ろす。
 ぽっかりと黄金色をした月が、ふたりを優しく照らしてくれていた。
「茶も出したしな。後は譲特製のお弁当も出さないとな」
「譲くんは本当に料理が旨いよね。私なんて一生敵わないよー」
「自慢になるか、んなこと。自慢といえば、お前のお陰で鋼鉄の胃になったのは自慢かもな」
「もう、やめてよー」
 心地良いリズムの会話を楽しみながら、将臣が晩餐の準備をしてくれる。
 こうして海を見ながらお弁当を食べて、月を見る誕生日は、望美の希望だった。
「さてと、誕生日といえば、バースデーケーキだよな。今日はバースデーケーキならぬ、バースデーどら焼き!」
 将臣は紙袋から丁寧に取り出した箱を、うやうやしく開けてくれた。
「うわっ! 本当にどら焼きだあ! しかも凄く大きくて食べ応えもありそう!」
 望美の顔と同じぐらいの大きさのどら焼きが顔を出す。
「譲と俺の合作。美味そうだろう? それ」
 望美は嬉しくてにんまりとした笑みを浮かべる。しかもどら焼きを裏返すと、望美の似顔絵と、”HAPPY BIRTHDAY!”という言葉が書かいる。
「凄い! ねえ、似顔絵はどうやって書いたの!?」
「どら焼きの生地にココアを交ぜたやつで俺が似顔絵を描いて、譲がそこに生地を流し込んでオーブンで焼いたんだよ」
「記念にちゃんと写真を撮っておかないとね!」
 望美は何枚もデジタルカメラで写真を撮った後、ようやく味見をする。
「中身も美味いからな。食えよ」
「うん!」
 ドキドキしながら、巨大どら焼きをぱくつくと、甘さを抑えたちょうど良いつぶあんに、栗の甘露煮が入っている。
「凄い! 物凄く美味しいよ!」
 懐かしい甘味は、望美を幸せな気分に浸らせてくれる。巨大どらやきをぱくりとかじると、ほわほわした笑顔が浮かんで来た。
 口の周りを小豆だらけにしながら、望美は何度も「美味しい」と言いながら食べる。
「将臣くん、本当に美味しいよ。ひとくち食べる?」
「ひとくちか…」
 将臣は望美を抱き寄せると、唇の端にキスをし、舌で小豆を回収した。
「あ…」
「すげぇ甘くて美味かった」
 文字通りの甘いキスに、望美は胸のドキドキが全く止まらなくて、俯いてしまう。
「まだ、ついているみてえだな」
 将臣は望美の頬を更に強く抱き寄せると、再び重ねるだけのキスをくれる。
 初々しいものから、熱いものになる。
「んっ…」
「中身も頂かないとな…」
 宣言通りに深いキスが下りてくる。
 舌を入れ込まれて、口腔内を擽られた。上顎のうえをなぞられるだけで、背筋がざわめく。
 深く抱きしめて、抱きしめられて、文字通りに甘いキスを貧りあった。
 月に見られている。
 それだけで幸福を感じた。唇が離れた後も、望美の胸は上下して落ちつかかない。
 ギュッと抱き着くと、将臣は微笑みながら抱きしめてくれた。
「…ごちそうさん」
「…もう」
 将臣は、望美をライダースジャケットのなかに閉じ込めると、まるで月光から隠すように望美を抱き抱えた。
「お月見の誕生日なんて、凄く幸福だよ。有り難う、将臣くん」
「まだまだプレゼントはあるからな」
「プレゼント?」
「そ」
 将臣は望美の左手を取ると、約束ね指である薬指を撫で付ける。
 片手で望美を抱きしめながら、将臣は望美の薬指に、指輪をはめた。
「ハッピーバースデー。その指は俺が予約するから」
 望美は自分の左手を見るなり、息を飲む。
 幸せ過ぎて言葉が出て来ない。
 言葉の代わりに涙が零れ落ちた。
 嬉し涙は、とても熱くて清々しい。
 指に光るのはムーンストーン。
 月のひかりを吸い込む、ぴったりな石。
 望美は月光に指を照らすと、将臣に甘えるようにもたれかかった。
「…有り難う。左手薬指の予約、承ったよ」
「サンキュな」
 月のひかりをめいいっぱいに吸い込む石を見つめながら、望美は微笑む。
 これほどの幸福はないと思いながら、将臣の手を握り締めた。
 これ以上ない、至上の幸福。
 仲秋の名月は、それを叶えてくれるような気がした。




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