十六夜の幸せ


 十六夜の月が最も好ましいのかもしれない。完璧ではないところが気に入っている。
 今宵は十六夜。
 この世界に来てから識った透き通った酒よりも、今宵は濁り酒が好ましい。
 ばたばたとアパートの廊下を走るのが聞こえる。こんな賑やかな音を奏でるのは、ただひとりしかいない。
 雅な月の夜に響く音にしては、余りに不粋だけれども、それがまた心地良かった。
 こんな心境でいられるのは、きっとたったひとりの女のせい。
「ちーもちゃーん! 来たよ!」
 賑やかな声と共に、望美が元気良く部屋のなかに入ってきた。
「月見だんごだとか、譲くんに作ってもらったおにぎりとかを持ってきたよ!」
「…入れよ」
「うん」
 パタパタと相変わらず小気味よい音を立てながら、望美は知盛の横にちょこんと腰を下ろす。
「お酒、飲んでいたんだ。あ、ダメだよ。何か食べながら飲まないと」
「…そうだな…」
 家から色々とおかずを持ってきたのだろう。知盛の前に肴になるおかずを置いていく。
「長生きしてもらわないと困るもんね」
 知盛が苦笑いをすると、望美は強引に箸を差し出してくる。
「ちゃんと食べなよ」
「はい、はい」
 差し出された箸を受け取ると、望美はにんまりと笑う。
「さてと。私もおだんごを食べながら、月を見ようかなあ」
 望美はぴったりと知盛の横に腰を下ろし、甘えるようにして肩にもたれ掛かる。
 先程までは、しんみりとしたひとりの観月だったのに、今は望美と一緒に賑やかに月を愛でることが出来る。
 ひとりで見るよりも、こうして望美と一緒にいるほうが好ましい。
「昨日はダメだったけれど、今日は綺麗に見られて良かったねえ」
「…そうだな…」
 望美は大きく口を開けると、だんごを美味しそうに食べている。
 月を愛でるのも良いが、望美の様子を見ているのもまた一興だ。
 月と望美を交互に見つめながら、酒を舐める。いつもよりもずっと美味しく感じた。
「ちもちゃん、月が綺麗だね。満月も良いけれど、やっぱりこうして十六夜の月を見るのも素敵だなって思うよ」
「…そうだな…。こんなに賑やかな月見は…、初めてかもしれないな…」
「静かに見るほうが良い?」
 望美は小首を傾げながら、知盛を見つめる。こんな表情をするときには、まるで小動物のように見えた。
 見つめる旅に、望美の雰囲気は変わる。ころころと変わる表情は、全く飽きなかった。
 黙っている知盛に、望美は不安げに見つめてくる。
 知盛は望美を抱き寄せると、その温もりを抱きながら月を眺めた。
「本当に綺麗だね…。こうしてちもちゃんと一緒に見られるのが、凄く嬉しいよ」
 望美はダンゴをはぐはぐと食べながら、ニッコリと微笑んだ。
 こうして望美の笑顔を独占出来るのが、何よりも幸福な気分になる。
「…望美?」
「何?」
 望美が顔を上げたタイミングで、知盛は唇を奪う。
 月見だんごを食べているせいで、望美の唇は何時もに増して甘かった。
 唇を離すと、望美は恥ずかしそうに目を伏せる。
「甘い…」
「あ、当たり前だよ。おだんごを食べていたんだから」
「…美味いけれどな」
 ニヤリと薄笑いを浮かべると、望美は耳を真っ赤に染め上げながら、おずおずとだんごを差し出してくる。
「はい。おだんご。とっておきだから、美味しいよ」
「…直接食べるよりは…」
 知盛は望美の口にだんごを入れると、再び唇を重ねた。
「…んっ…!」
 小さな月見だんごを自分の舌に乗せて、知盛は口に運ぶ。その間、望美は真っ赤になりながら、知盛の背中を何度も叩いた。
 からかうような視線を向けると、望美は背中を余計に強く叩く。
 知盛が唇を離す頃には、望美は真っ赤になって怒っていた。
「もうっ! バカっ!」
「美味いぜ…だんご…」
 笑いながらだんごを噛み砕くと、何時もよりも甘い味が広がった。
「もうっ! 知らないっ! ちもちゃんにおだんご上げないんだから」
 望美が拗ねれば拗ねるほど、知盛は可笑しくて笑い、髪をかきあげて首をのけ反らせる。
「ったく…望美は可愛いな…」
「そ、そんなことを言ってもダメなんだから…」
 拗ねる望美を抱えるように抱き寄せて、知盛は耳たぶにキスをする。
 こんなに甘やかせるのは、ふたりきりだからだ。
 離れないように背後から抱き寄せると、望美は素直に座っている。
「…ダンゴに夢中になる…お前が…悪い…」
「悪くないもんっ!」
「…お前が夢中になるのは…俺だけで良い…」
 殺し文句のような甘い言葉を吐けば、望美は恥ずかしそうにしながらも、知盛に総てを預けてくる。
「…折角の月見だから…お月様を見よう?」
「ああ…、見るか…」
 ふたりでくっついたままで、窓の向こうに輝く見事な月を眺める。
 黄金色に輝く月は、息を呑むほどに美しい。
 少しばかり欠けた十六夜の月は、胸の奥に切ない甘さを齎してくれる。
 完璧でないからこそ、好ましいのかもしれない。
「十六夜の月は綺麗だな…」
「うん。望月も好きだけれど、こうして優しく輝く十六夜の月も綺麗だね」
「…完璧じゃないからこそ…美しい…か…」
 知盛がしみじみと呟くと、望美はゆっくりと一度頷いてくる。
「満月も良いけれど、やっぱりこうやって、知盛と一緒に十六夜の月を眺められるのが、嬉しいよ」
「…俺もな…。六波羅の屋敷で…よく月を見た。福原でも見た…」
「今よりも、ずっと綺麗だったでしょう? あっちは空気が澄んでいたから…。こっちは色々なもので、汚れちゃっているものね…」
 望美はどこか淋しげに呟き、月を眺める。その横顔がはかなげで、何よりも美しいと知盛は思った。
 独占したい。独り占めにして、誰にもその姿を曝したくはない。
 独占欲が燃え上がる余りに、抱きしめる腕に力を込めて、その手を握り締めた。
「…ね…知盛…、帰りたい…?」
 望美の声が震え、結ばれる指もそれに反応するかのように揺れた。
 どこからそんな突飛なことを言い出すのかと思いながら、知盛は耳たぶにキスをする。
「…月は…、今、見ているものが一番美しいと…俺は思う…」
 知盛は望美を抱き抱えると、立ち上がる。
 窓辺に向かい、空に浮かぶ月を見上げた。
「…何よりも、お前と見る月が…一番綺麗だ…」
「私も、ちもちゃんと見る月が、一番綺麗だって思うよ」
「…だが、一番綺麗な月を…俺は識っているからな…」
「ち、ちもちゃん!?」
 知盛は月に背を向けると、スタスタとベッドに向かって歩く。
 天体の月は充分だ。ここからは愛おしい本物の月を愛でたい。
 焦る望美を尻目に、知盛はベッドに寝かせて、その上に覆い被さった。
「…綺麗な月を愛でさせてくれ…」
 知盛が愛を込めて囁くと、望美は両手で抱きしめてくれた。
「…よろこんで」




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