あなたと見る月


 月が綺麗な夜だから、あのひとに甘えて、素敵な場所に向かう。
 気に入ってくれるかしら。
 私が育った”京都”を。

「どちらに行かれるのですか? あかね」
「まだ、敬語が抜けないね、頼久さんは」
 くすりと笑いながら、あかねを頼久の手をしっかりと握り締めた。
 大きな手はゴツゴツしていて、力強い。温かさは武骨な優しさが光る。
「頼久さん、京にいたときに、町を見渡せる素敵な場所を教えてくれたでしょ? だから今度は私の番です。ビルだとかそんな不粋なところじゃなくて、もっと素敵にロマンティックなところをご案内します」
「ろ、ろまんてぃっく…ですか…」
 言葉の意味を上手く汲むことが出来ずに、頼久は戸惑いながら口にする。
「うん。今日は仲秋の名月だから、京都を見渡せるところで月を見たいんだ」
「…それは、きっと趣があるものでしょう」
「うん。阿闍梨餅も持ったし、水筒には温かいお茶も入れたし、準備は万全だよ」
「それは楽しみですね」
 頼久はあかねの手をしっかりと握り締めると、穏やかに微笑んだ。
 銀閣寺の横を抜けて、山道に入っていく。
「女の子同士じゃ危ないけれど、頼久さんは強いから大丈夫だよ」
「何があってもお守り致しますから」
 どこか緊張を湛えた頼久は、背筋を伸ばして、緊張をほとばしる。凜として構えているような雰囲気すらあった。
「そんなに構えなくても大丈夫だよ。頼久さんは強いから」
「あかね…」
 頼久はより強くあかねの手を握り締めた。
 緩やかな山道ではあるが、歩き馴れていないとやはり息は弾む。
「大丈夫ですか? 足元には充分に気をつけて下さい」
「有り難う」
 自分がナビゲーションをするつもりだったのに、いつの間にか頼久に腕を引っ張られている。
 こうしてお姫様扱いをしてもらえるのは、どこかくすぐったくて嬉しい。
 この時代に合わせて切られた髪は、頼久の整った顔を、爽やかに見せている。精悍な横顔に、今のヘアスタイルはとても似合っていて、あかねは思わず見とれた。
 甘さと厳しさが同居する美貌は、言葉に出来ないほどに美しい。
 魂ごと奪われてしまいそうな気分になる。
「きゃあっ!」
 ぼんやりと頼久ばかりを見ていたせいで、あかねは足元に全く気付かなかった。
 木の根に足を取られてしまい、思わずバランスを崩す。
 それをすんなりと逞しい腕が伸びて来て、あかねの躰を受け止めてくれた。
「…大丈夫ですか!? あかね」
「大丈夫だよ。ごめんね、足元が悪いのを気付かなかったよ」
「危なっかしいですね…」
 頼久は心配そうに笑うと、いきなりあかねを抱き上げた。
「きゃあ!」
 抱き上げられて、今度は甘い悲鳴を上げる。
「こうしていれば、躓いて怪我をされることはないでしょう?」
「そ、そうだけれど」
「私と一緒にいる時は、怪我をされないようにしたいのです」
 頼久はあかねを護るためなら羞恥心など関係がないとばかりに、スタスタと歩く。
 がっしりとした腕に支えられて、あかねは逆に心臓が激しく跳ね上がる。
 余裕がないぐらいに呼吸が出来なくなっていた。
「…あ、重いし、歩けます」
「ダメです。またこけそうになるかもしれないでしょう」
 頼久はあくまで真剣だ。精悍に整った横顔は、強張るほどにきまじめだ。
「こけませんよ」
「あかねのことだから、そうとは限りません」
 キッパリと言い切る頼久には、照れなど全くない。あかねは恥ずかしいのやら、ときめくやらで、思わず俯いてしまう。
「しんどいでしょう?」
「しんどくはありませんよ。心配されないで下さい」
 頼久は本当に心配性だ。
 あかねに何かあってはと、いつも気をつかうのだ。
「…もう、私たちは主とか従だとか関係ない、対等な関係なんだよ」
「だからこそ、以前に増してあなたが大切なのです」
「…頼久さん…」
 嬉しいのやら、恥ずかしいのやらで、あかねは真っ赤になってしまい、頼久を真っ直ぐに見ることが出来ない。
 あかねは広くて逞しい胸に、そっと頭を寄せると、甘えるように目を閉じた。
 闇が迫る大文字山の竹やぶ、まるで仙人が住んでいるように見える。
 京都らしい趣のある場所。
 ここだけは、時間とは関係のない流れを作っているような気になる。
 空気も、町中に比べると澄み切っており、瑞々しい緑の匂いがする。
 躰の奥深いところまで澄んでゆくようだ。
 あかねを抱いて山道を上がっているというのに、頼久の足取りは全く変わらず、息すらも乱れなかった。
 逞しい男なのだと感じずにはいられなくなる。
 あかねの視界の前方が、明るい闇で開けてきた。
「頼久さん、もうすぐだよ」
「はい。今夜は綺麗な夜空のようですね」
 しっかりとした足取りで山を登りきると、眼前に見事な京都の夜景と、愁いなく輝く望月が見えて来た。
「…綺麗…」
「そうですね」
 大文字山の頂きに着くと、あかねは頼久に抱かれたままで、京都の市街地を眺めた。
 きらきらと躍動感溢れて輝く地上の星。空には優しさが秘められた望月。そしてそれを彩るように星が幾つか認められる。
 あかねは暫く、総てを忘れて空を見入ってしまう。
 魂の奥から感動してしまうように美麗な夜空に、あかねは酔いしれていた。
 ふと胸の奥が甘く苦しくなるような視線を感じて、頼久に顔を向ける。
「…あかね…」
 夜の闇のようになまめかしい声が、頭上から下りてくる。
 余りに艶があるものだから、あかねは喉がからからになるのを感じてしまう。
「…綺麗ですね」
「そうだね、今夜は仲秋の名月だもん」
「…いいえ、あなたが」
い きなりこちらがドキリとするような言葉を、深みのある低い声で言われてしまい、あかねは耳まで真っ赤にした。
 脈打つ全身を止めることなど出来やしない。
「あ、あの、よ、頼久さん、あ、有り難う」
 あかねの初々しい照れに、今度は頼久が真っ赤になり、事の重大さに気付いたようだった。
「あっ、あ、あの、その、座って阿闍梨餅でも食べましょう」
 声がひっくり返り、うろたえる頼久も可愛いと思いながら、あかねは真っ赤になりながらくすりと笑った。
 ふたりで腰を下ろして、月を愛でながら夜空を見上げる。
 綺麗過ぎて、頭がぼんやりとしてしまいそうだ。
 番茶をコップに注ぎ、片手には阿闍梨餅を持って、ふたりはじっくりと月見を楽しんだ。
「…ここから見る、夜の京都は綺麗ですね…」
「うん、ここからの夜景はとっておきなんだよ。以前に船岡山に連れていって下さった御礼です」
「そんな眺めよりもここからの眺めは美しいですよ」
「頼久さん…」
 抱き寄せられて肩を並べて、月を見ながら”満月”を食べる。
 甘くてロマンティックな夜の仕上は、勿論。
 頼久はあかねを抱き寄せると、そっと甘いキスをくれる。
 この素敵な記憶は、きっと望月と一緒に大切な場所に収納される。
 仲秋の名月。
 別名を恋の月。




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