思えば頼忠のことを何も識らない。 好きな食べ物すらも解らない。 花梨は時間が空いたのを良いことに、武士団の詰め所に向かった。 今日は職務で朝から来られない頼忠の顔も、ひとめ見ることが出来る。それが何よりも嬉しかった。 真摯に職務を全うしている頼忠を見つめていると、それだけで何故だか幸せな気分になる。 もう少しだけ頼忠の姿を見つめてから、声をかけようと思っていた。 まるでストーカーだ。 逢って話をするのも楽しいけれども、こうして見つめていられるのは何よりもご機嫌なことだと、花梨は思った。 「…神子殿?」 良く通る素敵な声が背後から響いてきて、花梨は驚く余りに飛び上がってしまった。 「何か御用ですか?」 目の前にある優しさが滲んだ微笑みには勝てない。 花梨はドキドキしながら、頼忠を見つめる。 自分よりずっと大人で落ち着いた頼忠。素敵な笑顔を持った花梨の想い人は、優しく瞳を覗き込んでくれる。 「お仕事中、申し訳ありません」 「いいえ。神子殿が最優先ですから」 「ダメだよ。私を甘えかせたら。図に乗っちゃうからね。今もこうして図に乗っているんだもん」 花梨ははにかんだ笑みを浮かべると、頼忠を真っ直ぐ見つめた。 「そんなことはありません。私は病気にかかっていますから。一日一度はあなたにお会いしたい病に。だから逆に、あなたとお会いすると、 私の仕事効率が上がりますから、むしろ助かっているのです」 穏やかな受け止め方は、やはり大人の男だ。自分が余りに子供だということを思い知らされるような気がして、花梨は堪らなくなった。 「…いつも邪魔して申し訳ありません。また、出直します」 「神子殿!?」 頼忠は困惑したようにこちらを見ている。そんな心配そうな顔をさせてはならない。 「失礼します」 頼忠のせいでも何でもないというのに、つい沈みこんで暗い気分になってしまう。 花梨は視線を落としたままで頭を下げると、そのまま衝動的に駆け出してしまっていた。 「神子殿!!」 呼ばれても、聞こえないふりをした。 頼忠は仕事には厳しく、忠実な男だ。 きっと花梨が白龍の神子だからこそ、毎日逢いにきても何も言わない。 頼忠が天の青龍。八葉だから。 こちらは主従とは思ってはいないが、頼忠はそう思っているだろうから。 だからこそこうして我が儘な花梨の行動を受け入れてくれるのだ。 恋をしているからこそ我が儘になる。 一方通行に自分だけが好きなような気がして、花梨は泣きたくなった。 どうしてこんなにも頼忠が好きなのだろうか。 どうしてこんなに子供なのだろうか。 勢い良く走り、花梨は涙を風で飛ばそうとした。 ヒズメの音が激しく聞こえる。 花梨は気にも止めず、一生懸命走った。 「神子殿!」 腕が伸びてきて、ふわりと躰が宙に舞う。 「きゃっ!」 突然抱き上げられて、花梨は悲鳴を上げた。恐ろしくて目を閉じる。 「神子殿…」 優しく困った声に、花梨はそっと目を開けた。 視界に頼忠が映り込む。困っているのに、どこか甘い表情でこちらを見ている。 気付けば、頼忠の腕のなかで、しっかりと抱き抱えられ、馬上のひとになっている。 「…重いですよ、下ろして下さい」 「神子殿は全く重くないですよ。むしろ少し、太られたほうが良いのではないですか?」 ガリガリの幼児体形という意識は花梨にもある。逆にそれが恥ずかしくてしょうがなかった。 「…小さな子供みたいだから…」 「…そんなことはありませんよ、神子殿は」 優しく落ち着いた声は、それが本意でないことを表しているかのようだ。 花梨は切なくなり、目を臥せた。 「…やっぱり子供ですよね…。あらゆるところが」 「…そんなことはありませんよ」 慰めてくれるのは嬉しいが、そうされればされる程に、切なくなっていく。 「…だけど」 「…神子殿は子供ではありません」 頼忠がきっぱりと言い切ってくれたものだから、花梨は嬉しくて思わず顔を上げる。 「ホントに?」 「本当です」 真っ直ぐ頼忠を見つめると、不意にクールな目許が薄紅色に染め上がる。鮮やかな色に、花梨のこころは艶やかに弾み、楽しくなった。 「有り難う、頼忠さん」 くすりと笑うと、余計に目の縁を赤らめる頼忠が可愛いらしく、好ましく思えた。 職務に忠実でストイックな頼忠も好きだが、こうして不意に崩す頼忠が誰よりも愛おしく感じた。 「…神子殿、お送り致します」 「有り難うございます」 鍛えられた腕でしっかりと抱き抱えられるだけで、心臓が激しく高鳴る。 花梨はいやがおうでも、頼忠を男として意識せずにはいられなかった。 「…神子殿、どうされたんですか? 何か御用があったのでは?」 「あ、あの…、頼忠さんの誕生日がもうすぐでしょう? 何か私に出来ればと思ったんですよ」 「誕生日ですか…。そういえばもうすぐでしたね…。忘れておりました…」 頼忠は今更ながら気付いたようで、長めの前髪をかきあげた。 困ったように眉を寄せす姿が、とても素敵だ。 「…誕生日なのにですか?」 「年をとることを祝うのは正月ですから…。特に誕生日をお祝いするということはありません…」 「そうなんですか」 何故だか寂しい気分になる。 だったら自分でお祝いをしてあげようと、花梨は思った。 頼忠のためにしっかりと祝ってあげたい。 「頼忠さん、だったらお祝いをしませんか? 私が誕生日を責任を持ってお祝いしますから!」 花梨がないぺらぺらの胸をどんと叩くと、頼忠は優しく笑ってくれた。 「有り難うございます。神子殿」 頼忠が微笑んで受け入れてくれたから、花梨は嬉しくてしょうがなかった。 「…頼忠さんは、何かしたいことだとか、やって貰いたいことだとかがありますか?」 「…そうですね…」 頼忠は並足で馬を歩かせながら、じっくりと考えている。 こうして考えてくれるのが、何よりも嬉しい。 「神子殿、とても素晴らしい場所があるのですよ。そこでお祝いしませんか? 今から行きましょう! 捕まっていてください」 「え、あ、はいっ」 頼忠は馬を速足で走らせ、花梨を何処かへ連れて行ってくれる。 馬はかなりのスピードを出してはいたが、少しも恐ろしくはなかった。 風のように暫く走ると、視界には花畑が広がってくる。 目に鮮やかな彩りに、花梨は簡単の声を上げた。 「凄いです! 頼忠さん!」 目の前にあるのは花畑。 どちらかといえば、頼忠のためというより、花梨のためだ。 「ここは素敵な場所ですから」 頼忠は馬を緩やかに止めると、素早く飛び降りた。 「さあ、神子殿」 両手を大きく広げられて、花梨は迷うことなくその胸に飛び込んで行く。 逞しい胸に包まれるだけでドキドキした。 「私のとっておきの場所です。神子殿に、お見せしたくて」 軽々と抱き上げながら、頼忠が花園を回ってくれる。 「頼忠さん、わ、私、自分だけで歩けますよ!」 「神子殿には私と同じ視線で見て頂きたいのです」 頼忠の視点で見る野原はとても美しくて、きらきらしている。 いつまで見ていても飽きない。 「本当に綺麗ですね…。何だか私がとっておきのプレゼントを頂いているようですよ」 「神子殿の笑顔が私にとっては一番のプレゼントです」 頼忠は落ち着いたなかに華やぎのある微笑む。艶が滲んだ笑みは、花梨のこころを甘く弾ませた。 「頼忠さん、これじゃあ、お祝いにはなりませんよ。私ばっかり貰ってしまって。何か、出来ることをおっしゃって下さい」 逡巡した後、頼忠さんは真っ直ぐに花梨を見る。 「…では、神子殿…、あなたのおそばで、今、少しだけ眠りたいのですが、構いませんか?」 ドキリとするのと同時に、どうしようもない嬉しさが込み上げてくる。 「勿論です、頼忠さん!」 「有り難うございます」 花梨は頼忠の腕から下ろしてもらうと、そのまま柔らかな草村に座りこむ。ちゃんとひざ枕が出来るように。 「どうぞ」 「有り難うございます」 頼忠は綺麗な瞳に優しい微笑みを滲ませながら頷くと、花梨の膝に頭を置いた。 「久し振りに眠れそうです。神子殿、有り難うございます」 頼忠は疲れを癒すように目を閉じると、花梨の頬に手を伸ばす。 「有り難うございます、花梨殿…」 引き寄せられた先には唇が待っている。 秋の優しい陽射しのなかで、ふたりのシルエットが重なり合った。 |