微熱


「将臣殿と逢った途端に、熱を出すなんて…、今まで余程、緊張していたのね…」
 朔はしみじみと言い、熱で紅い望美の額に触れた。
「…将臣くんの顔を見たら、何だか安心しちゃって…」
 望美は真っ赤になって笑ったが、熱が出ているので恥ずかしがっている様子を知られなくて良かったと思った。
「…ったく、イキナリ下鴨神社で抱き着いてきたかと思ったら、倒れるんだからな。びっくりしたぜ」
 将臣は困った表情をしながらも、瞳は優しく輝いている。それが望美には安心することが出来た。
「先輩、お粥が出来ましたよ」
「有り難う、譲くん」
 譲が特製のお粥を作ってきてくれたので、望美はまた笑顔の花を咲かせる。だがその眼差しは、あくまで将臣を捕らえていた。
「先輩どうぞ」
 望美と将臣の間に漂う雰囲気が気に入らないのか、嫉妬して間に割り込んでいる。
 望美はいくらか驚いたが、それを朔は見逃さなかった。きっと望美は、将臣とふたりだけでいたいに決まっている。
 恋する気持ちを知る朔は、静かに気を利かせることにした。
「…譲殿、少し手伝って頂きたいことがあるの。来て頂いていいかしら? 兄は頼りにならなくて…」
 朔はわざと困ったように言うと、譲が断ることが出来ないような雰囲気を出した。
 後ろ髪に引かれるような表情で、譲は望美を見たが、にっこりと期待にそぐわない言葉を貰った。
「譲くん、朔を助けてあげてくれるかな? 私からのお願い…」
 伝家の宝刀を出されてしまえば、たとえ譲といえども反論出来ない。
 仕方なしに肩を落とすと、淋しげに笑った。
「解りました。先輩の頼みですから、僕でよければやります」
「有り難う、譲殿! じゃあ早速、手伝って貰っていいかしら!」
 朔は譲を引っ張り出すようにして、局から出ていった。
 残ったのは、将臣と望美だけだ。
「望美、折角、譲が作ってくれたお粥だ。しっかり食え」
「うん、有り難う」
「望美、食べさせてやろうか?」
 まるで小さな子供のような扱いに、怒っていいのか恥ずかしいのか、望美には解らない。
 ただ、食べさせてもらうという行為自体は、甘い雰囲気があるように思えた。
「子供じゃないよ…。将臣くん…。自分で食べられるよ」
 拗ねるように言うと、将臣は愉快そうに笑う。久し振りに見る、将臣の豪快で温かな笑顔に、望美は胸の奥底が切なくきゅんと音を立てるのを感じた。
「…おら、起こしてやるよ」
「うん…」
 将臣はごく自然に望美の背中に手を宛てて、起こしてくれる。
 こんなに大きくて武骨な指だっただろうか。
 望美は改めて時間の流れを感じた。
 自分は昔のままなのに、将臣だけが大人の男になってしまっているのが、何だか狡いと思えた。
 触れられるだけで、余計に熱が上がる。鼓動が烈しくなって、望美にはコントロール出来なくなる。
 躰を起こして貰ってからも、ドキドキは治まらなかった。
 望美は木じゃくしでお粥を掬っている様子を、将臣が微笑みながら見ている。恥ずかしくてしょうがない。
「あまり見ないでよ…。なんか恥ずかしい」
「何だか懐かしいなって思ってな。いつもこうやって、お前が風邪の時に看病していたのを思い出してな」
「いつもこうやって、将臣くんに看病してもらっていたもんね」
 望美も将臣も、懐かしさの余りに目を細める。
 ふたりにとっては、かけがえのない優しい想い出。
「将臣くん、私が風邪を引いたときは、いっつも一番先に気付いて、こうやって看病してくれたよね。だから私も  安心して風邪を引くことが出来たんだよ」
 望美が胸を痛めながらもくすくす笑うと、将臣は大人びた優しい微笑みをくれた。
 ノスタルジアのある想い出は、いつも甘やかな痛みを齎してくれる。
「おじやも好きだったよ。将臣くんが作ってくれるおじやは、譲くんよりもお母さんよりも美味しいの。ホントによく見てくれて、守ってくれたなあって」
 それが今遠くに感じてしまうのは何故だろうか。
「そうだよな。俺、いつもお前だけを見てたからな…」
 将臣は懐かしそうに言ったが、どこか苦しげな影が宿る。それを見逃さない望美ではなかった。
 ずっと一緒にはいられないかもしれない。そんな予感が、望美の胸を重くさせた。
「将臣くん…、これからも前みたいに、ずっと私を見守ってくれるよね?」
 暗い思いを払拭するかのように、望美は早口で言う。ずっと表に出さなかった甘えを、将臣投げ掛けて。
 八葉は確かに頼りになる。だが望美は甘えられなかった。
 昔から甘えられるのは、将臣ただひとりであったから。
 だからこそ、今は甘えが爆発しているのかもしれない。
 将臣は静かに黙っている。
 その沈黙が、望美にはいたたまれない。
「…ごめん。ずっと一緒にはいられねぇんだ…。世話になっているヤツらが、ちゃんと幸せになるか見届けるまでは…。それからなら、何時でも傍にいてやれる。昔みてぇに…」
 将臣が本当に困った顔をしている。切なさが滲み出ている。
 こんな切ない顔をさせたいわけではなかったのに。
 望美は一気に暗く沈んだ気持ちになった。
 将臣に流れた、望美が識らない時間…。それが大きく暗い闇となって、望美の前に立ちはだかっている。
「…そうだよね。ごめんね。私…待ってるよ…。将臣くんが、私を見守ってくれる時がくるまで」
 望美は心から滲んでくる涙を、何とか堪えながら、将臣に笑ってみせる。
 余計に熱が上がるような気がした。
「…望美…。その病気治してやろうか?」
「え…?」
 将臣の顔が近づいてくる。
 あの時と同じだ。

 こちらに来る直前、望美が風邪を引いた、あの晩秋。
 将臣が、寝込んでいる望美をずっと見舞いに来てくれ、おじやを作ってくれた日。
「食えよ」と言って、ゆっくりと食べさせてくれた。
 その味はふんわりとしていて、優しかったのを覚えている。熱で味覚がおかしいはずなのに、その味だけは感じることが出来た。
「早く風邪が治るといいなあ」
「誰かに移すと、治るらしいぜ?」
「だけど誰かに移すと、そのひとが苦しくなるのが、いやだなあ」
 望美が鼻をすすりながら言うと、将臣は屈託なく笑う。
「お前、人が良すぎだぜ」
「そうかな」
「…だから、俺に移せよ。バカは風邪ひかねぇから…」
 将臣はフッと珍しい照れが含んだ笑みを浮かべると、望美に顔を近づけてくる。
 時間がスローに流れ、モノクロームな世界に迷い込んでしまうような気分になる。
 唇が重なった瞬間、温かな色彩に包まれた。
 唇から、将臣を間近に感じることが出来る。
 総てが敏感になったような気がした。
 触れただけで、熱が上がる。
 熱くてだけれど気持ちが良くて…。
 望美は雲の上を歩いているように思えた。
 舌が差し込まれて、将臣と唾液を交換しあう。
 そうしているうちに、前身が蜂蜜のようにとろとろに溶けた。
 「これで、お前は良くなるはずだぜ?」
 悪びれず答える将臣の笑顔を思い出していた。

 それと今同じことが繰り返される。
 将臣の唇が重なると、記憶のなかよりも、更に熱を運ぶ。
 触れたかと思うと、すぐに深く唇を奪われた。
 お見舞いの時にくれたキスよりも烈しく、官能的なものを将臣はくれる。
 唇を思い切り吸い上げられた後、舌先で唇をなぞられる。
 烈しい刺激と優しい刺激が交互に繰り返されて、望美は頭の中がくらくらする気分になった。
 舌は口腔内に入り込むと、丁寧に愛撫してきた。
 これでは熱が下がるどころか、益々上がってしまうような気がする。
 お粥をそっちのけで、望美は将臣に縋り付いてしまった。
 キスが終わる頃にはくたくたになり、望美は躰を将臣に預ける。
 心地良さに目を閉じると、抱き寄せてくれた。
「これで熱は下がる」
「余計に上がるよ」
「そうか?」
「そうよ」
 将臣は、望美を宥めるように背中をなぞると、耳元でそっと囁いた。
「待っててくれ…。総てを片付けたら、八葉だろうが、恋人だろうが何だってやってやるから」
「…うん、待っているよ」
 望美は夢見るようにそっと呟いた。


 そして願いが叶う。
「おら、おじやを作ったぜ。悪阻でもこれぐらいは食べられるだろう? まあ、これは…、半分は俺のせいだけれどな」
「うん、大丈夫だよ」
 将臣は悪阻で寝込む望美に、特製おじやを作り、食欲を促してくれる。
「有り難う…。でもね、おじやよりも治るものがあるんだよ」
 望美がイタズラっぽく言うと、将臣は顔を近づけてくる。
「ね、キスして?」
 将臣は望美の期待に応えるように、甘い、甘い、キスをくれた-----
コメント

結局は望美にすごく甘い将臣です。



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