鈍色の恋霞


 鈍色の光が眩しい春の京で、望美は将臣と再会した。
 モノクロームのなかで、たださくらだけが色づき、印象的な美しさを見せている。
 離れていたから、少しでも将臣の傍にいたくて、望美は出来るかぎりくっついていた。
「お前、トイレまで着いてきそうな勢いだよな」
 将臣は苦笑しながらも、満更でもないように笑って。
「会えなかったから、くっついて甘えるんだよ」
 望美がいけしゃあしゃあと言ってのけると、将臣の傍に並ぶ。
 ふわりと、男らしい香りがして、望美はドキリとした。
 胸が苦しくて、将臣の傍にいたいのに、いられないほどに呼吸が苦しくなる。
「…ったくしょうがねぇな」
 将臣の態度は変わらない。
 なのにこんなにもドキドキするなんて、思いもよらなかった。
 以前から大好きな将臣だったが、こんなにも甘いドキドキが続くなんて、思いもよらなかった。
 じっと横顔を見ると、精悍で立派な大人の男性だ。もう少年の面影なんて、どこにもない。
 望美は寂しい気分になるとともに、狂おしくも切ない気持ちになった。
 ぼんやりと将臣ばかりを見ていたものだから、足元に気を取られてはいなかった。
「あっ…!」
 望美は何もないところでつまずいてしまい、将臣の腕にしっかりと抱き寄せられる。
 鍛えられた誰よりも逞しい漢を感じる腕に、望美は息を呑まずにはいられなかった。
 全身が心臓になってしまったかのように激しく鼓動を刻む。
 へヴィメタルバンドよりも激しいビートに、望美は吐きそうなほどに緊張していた。
 いつもいつも、将臣のいる前だけで、望美は足を取られる。他の男性の前ではそれはないのにと、前々から不思議に思っていたのだ。
 安心しきっているから?
 それならばこんなにドキドキはしないはずだ。
 望美はぐるぐると様々なことを考えながら、顔が熱くなるのを感じていた。
「ほら、相変わらずそそっかしいな」
 将臣の男らしい太い声が下りてきて、望美は思わず顔を上げた。
 見つめる先にある容貌はなんて整った男らしさなのだろうか。
 粗削りな美しさが、かえって将臣を精悍に見せている。
 見つめるだけで、喉がからからになった。
 望美は小さな呼吸をくりかえしながら、将臣を見る。
 躰が熱くなりすぎて、瞳まで潤んでしまっている。
 柔らかな乳房に食い込んだ将臣の腕が、余計に自分たちの性の違いを見せ付けていた。
「しっかり…歩けよ」
「うん…、ありがと」
 将臣にしっかりと立たせてもらう。しっかりと地面に立てているはずなのに、何故だか雲の上をふわふわと歩いているような気がした。
「変わらねぇな。まぁ、俺と過ごした時間が違うから、仕方ねぇか」
 将臣は不意に甘い笑みを浮かべると、望美の手をしっかりと包みこんできた。
 温かくて、記憶のなかよりも節高く、がっしりとした男の手だ。
 こんなに将臣を男として意識をしたことなんて、ありはしなかった。
 今は細胞の深い場所まで、将臣を男てして刻んでいる。
 甘くて苦しい拷問のような恋情に、望美は溺れてしまう。
 将臣の手を握り締めながら、望美は眩しいひかりの先を見つめる。
 直ぐにいなくなる将臣。
 ふたりがこの先の未来で、手を取り合えることがあるのだろうか?
 今はただ未来を信じるだけだ。

 春霞がかかっていたからか、それとも桜が美しかったからだろうか。
 とにかく望美は誰よりも綺麗だった。
 記憶のなかよりも更に美しくなり、花開く瞬間の美しさを滲ませている。
 まるで花の蜜に吸い寄せられる蜜蜂のように、将臣は望美から視線を外せなかった。
 いつも傍にいたくて、許される間は傍にいたくて、さりげなく、望美の横という特等席を取っている。
「こうして、将臣くんとふたりで歩くのは久し振りだね。嬉しいよ」
 望美はまるでスキップでもするかのように歩いている。
 髪を揺らしてかきあげる姿が、切なくなるぐらいになまめかしくて、酔っ払ったようにくらくらする。
 望美にこんなに女を感じたのは、未だかつてなかったことだ。
 高校生の頃、望美に恋をしていたし、キスだとかセックスだとか、いつも自分が一番にしたいと思っていた。
 だが、今は、高校生の頃に感じた欲望よりも、激しく感じている。
 このまま望美を抱き寄せて、清純を無茶苦茶にしてしまいたいとすら思っている。
 将臣は、視線という名の、最も艶やかなスケールで、望美の丸みを帯びた躰を眺める。
 柔らかいライン、艶めいて光る滑らかな肌、煌めいた雰囲気。
 どれもが将臣を欲情させてゆく。
 激しい欲望に、呼吸が出来なくなりそうだ。
 細胞がドクドクと音を立て、欲望が細胞に深く浸透して熱くなる。
 好きだ。
 理由もいらないぐらいに望美が好きで、欲しくて。
 このまま、福原に連れ去ってしまいたいとすら思う。
 自分を刻み付けて、望美を生涯離さない。
 だがそれは決して許されない。
 愛する女を、わざわざ危険な場所に巻き込みたくはない。
 かけらに遺った将臣の鉄壁の自制心が、何とか均衡を保ってくれていた。
 不意に、望美がバランスを崩し、前に倒れてしまいそうになる。
 将臣は望美を咄嗟に受け止めた。
「しっかり…歩けよ」
「…うん…ありがと」
 子供の頃から、望美は将臣の前ではよくつまずいていた。
 それを抱き留めるのがまるで習慣のようになっている。
 腕が望美の胸に食い込む。
 柔らかくて豊かなそれが、将臣を狂わせていく。
 下半身がおかしくなってしまうほどに昂ぶり、平静ではいられなくなっていた。
 今すぐ自分のものにしたい。
 抱きたい。
 はにかむ望美の横顔に、誰よりも女を感じた。
 春に狂う。
 望美に狂う。
 将臣は一瞬目を閉じた後、恋情を吹き飛ばすように目を開いた。
 どうして恋はこんなにも苦しいのだろうか。
 望美を立たせた後、将臣は小さくて柔らかな手を包みこむ。
 欲望まみれなのに、手を繋ぐだけでこんなにもときめいてしまうとは、思わなかった。
 今だけは離したくない。
 指先に力を入れると、将臣はしっかりと歩き出した。
 高校生の頃に手を繋いで歩いたのとは明らかに違うときめきに、ひとときの幸福を見出だす。
 最も大切に想いながらも、忘れてしまおうとしていた恋心が、更に強くなっていく。
 将臣は視線の先に輝く、春の躍動感が溢れる光を見つめる。
 あの向こうには明るい未来があるのだろうか。
 望美とふたりで何の愁いもなく、愛しあえる日が。

 ふたりは手を繋いだままで、無意識に同じ未来を夢見て、光の向こう側に視線を向ける。
 眩しくて堪らない未来。
 その先には、幸福があると祈りながら。




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