頭がぼんやりとしてしまい思考が低下してしまうぐらいに、熱かった。 元の時空のようにクーラーなんてあるはずもないから、望美は少し参っていた。 だが、夕焼けの湿気を孕んだ心地良い風は、本当に気持ちが良くて、望美のお気に入りの時間になっていた。 熱中症になってしまったかのように頭がぼんやりとする。望美は裸足で宿の縁側に腰をかけていた。 熊野川の怪異を鎮めなければならないのは解ってはいる。 だが、今日は躰が上手く動かなくて何もすることが出来ない。 汗が滲み、目を閉じないと瞳のなかに入ってくるような気がした。 深呼吸をしただけでも熱気が入り込んでくる。むせ返る熱に、望美は頭がおかしくなってしまうのではないかと 思わずにはいられなかった。 水を入れた竹筒に口をつけ、喉を潤す。こんなものではちっとも足りないような気がした。 熱い。何もかもが乱痴気騒ぎの風景に思えてくる。望美は余りにものけだるさに溜め息をついた。 「何だ、そんなところでひなたぼっこかよ」 将臣の男らしくよく通る声も、今は呪文のように聞こえていた。 「ひなたぼっこなわけないじゃない…。暑くてどうしようもないから、ここにいるだけだよ…」 涼しさに渇望しながら、望美は白昼夢にいるかのように呟く。 「ここにいると、まだ涼しいかなあって思って…」 苦笑いを浮かべると、将臣は僅かに笑ったようだった。 望美は曖昧に笑いながら、将臣を見た。何時もの厳めしくて派手な甲冑とは違い、今日のスタイルはもの凄くラフだ。より親しい雰囲気がある。しかしぴったりと張り付いた衣は、将臣の躰が鍛えられていることを見せ付けているように見えた。くっきりと強調されたボディラインは、将臣が逞しい男であることを望美に主張しているようだ。 暑いからなのか。汗でぴったりと衣が張り付いている様子が、なまめかしい。 何だか余計に空気の温度が熱くなったみたいだ。もう沸点に近いのかもしれない。 吐息が荒くなるのを、望美は自分でも感じていた。 汗が将臣の首筋に伝わるのが見え、ゾクリとした。 「…何だよぼうっとして。疲れてんのか?」 将臣の喉仏が動く。なんて官能的なのだろうかと、ぼんやりと思う。 その動きが瞼に焼き付いて離れなかった。 「…望美、聞いているのかよ?」 「あ、うん、聞いているよ…」 鋭いナイフのような声で言われ、望美は慌てて将臣を見た。 脳の奥までぐつぐつ煮立っているように暑い。 「マジぼうっとしてんな。まあこの炎天下でずっと休まずに歩き通しだったんだから、仕方がねぇか…」 「う、うん。そうだね…」 将臣が突然、望美の瞳を覗き込むかのような仕草をしてきた。それはどこか、病気の子供を心配する母親の仕草に似ている。 「…マジ、大丈夫か!? 熱中症にかかっているんじゃねぇ?」 「大丈夫、大丈夫だよ」 将臣がこんなに近くにいるから、余計に暑くなる。細胞の総てが熱くなり、やる瀬ない想いを放出出来ないでいる。 将臣の雄としての香が、熱で舞い上がり望美を苦しくさせる。泣きそうになるぐらいに胸が苦しかった。 「…お前がそう言うんなら仕方ねぇか…。今日はこうして大人しくしてろよ。小まめに水を飲んでな」 「うん、そうするよ」 将臣の躰がスッと離れて行き、熱が躰の内側から放出された。 「マジで暑かったら、水浴びでもしろよ?」 「有り難う」 望美はぼんやりと返事をしながら、鼻孔を擽る将臣の遺り香を愉しんでいた。 「さてと、俺は水浴びでもするか。このままだと溶けちまいそうだからな」 突然の将臣の言葉に、望美は飛び上がりそうになった。 「こ、ここで脱ぐの!?」 「当たり前だろ。お前だって俺の躰を見慣れているじゃねぇか。んな慌てるなよ。今更だろ?」 こちらはそれこそ心臓が走り出してどこかに行ってしまうのではないかと想うぐらいに、緊張しているというのに、将臣は豪快に笑っているだけだ。 まるで色気づいてしまった小さな子供を笑い飛ばすような雰囲気だ。 胸がズキンと痛んだ。 自分が女扱いされていないような気がして、胸が音を立てて軋んでいく。 「俺とお前の仲じゃねぇか」 「人聞き悪いじゃない」 ぷいっと顔を反らせて拗ねると、将臣が顔を近づけて来た。 「それこそお前は、誰か聴かれたくねぇ相手でもいるのかよ?」 嫉妬の香りがしたような気がした。 「…いないよ」 「じゃあ、いいじゃねぇか」 あからさまに安堵を秘めた溜め息をつくと、将臣は井戸水を汲みに行った。 桶一杯に水を汲むと、将臣はおもむろに衣を脱ぎ捨てた。 衝撃だった。ショック過ぎて、望美は心臓が止まってしまうのではないかと思う。 背中に深い傷が斜めに大きく走り、その周りを無数の小さな傷が囲んでいる。 逞しくなり、今までよりも誰かを護ることが出来る背中。だが、そこから感じるのは悲哀しかなかった。 この傷を負いながら、将臣は何を護っていたのだろうか。 切な過ぎて、心から血が滲んでくる。望美ははなを啜りながら、血の代わりに涙を流していた。 将臣は、気持ち良さそうに井戸水を被り、リフレッシュしているように見える。 髪に光る雫に日光が反射して、珠玉のものに見せていた。 望美の啜り泣きを聴いたのか、将臣は真剣な影を宿した眼差しを向けてくる。眉根を寄せ、苦悩を顔に乗せている。 「おいっ! どうしたんだよ!?」 「…な、何でもない…」 声が涙でひっくり返ってしまう。望美は子供のような心もとなさを感じていた。 「何もねぇやつが、そんな顔をするわけないだろ!?」 将臣は心配を通り越して、怒っているようだった。この眼差しには嘘はつけない。望美は俯くと、肩を震わせた。 「…だって、将臣くんの背中に…そ、そんな深い傷があるから…。私…! 痛かっただろうとか…、み、神子の力で…どうにか出来たら…良かったのに…っ!」 胸を引き攣らせながら、望美は言葉にならない言葉を発した。 凪が訪れる。 熊野にも間もなくやってくるだろう秋を感じさせる風が吹き始めた。まるで甲子園の決勝戦の頃に吹く、夏休みの終わりを告げる風のようだ。 将臣が余りにも何も言わないものだから、望美はすっかり怒ってしまったのかと思った。 しかし…。 「…バカ…!」 どうして怒られているのか解らないまま、将臣に抱きすくめられていた。 ひんやりと濡れる胸に顔を押し当てて、望美は声を上げて泣く。 これも熊野の暑さがそうさせるのだろうか。 気が済むまで泣いている間、将臣はずっと抱きしめてくれていた。 望美は顔を上げ、将臣を見つめる。 「…傷、撫でさせてもらっていい?」 「ああ」 将臣は望美に広い背中を見せてくれ、そこに頬を宛てる。 愛おしい傷に思えた。 望美が一番深い傷に唇を寄せると、将臣の逞しい筋肉が僅かに震えた。 「有り難な…。これで傷は癒される…」 「…うん…」 風が吹く。 望美は背中ごと将臣を抱きしめると、そっと目を閉じた。 熊野の夏が逝く。 |
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