新月


「ねえ知ってる? 新月に願うと、願いごとが叶うんだって」
 朔の言葉に、望美のこころはきゅんと音を立てて高まる。
 願いが叶うならば、願い事はたったひとつ。
 だがそれもわがままな気がする、一方通行なもの。
 だが願わずにはいられない。
 恋をしているから。
「ねぇ、新月っていつなのっ!?」
「今夜じゃないかしら…確か…、ええ今夜だわ…」
 朔は自分に言い聞かせるように呟くと、何度も頷いた。
「今夜なんだ…」
 なんてラッキーなのだろうかと、望美は思わずにはいられない。
 今夜うんとうんと願って、願いが叶えば良いのにと思わずにはいられない。
 満月に見られる将臣との夢。
 新月に願える将臣との恋。
 どちらもこのうえなく大切な日のように想えて来た。
 今夜、願おう。
 将臣との恋を。
 恋と言ってはいても、まだまだ望美には一方通行。
 だからこそ、そばにいる間だけでも、甘い恋の時間を過ごせたらと、思わずにはいられない。
 いつか、ふたりが毎日一緒に過ごせるようになったら、その時は…。
 恋の歓びを謳歌できれば良いのに。
 望美があれこれ考えていると、朔はふと優しいまなざしを向けて来た。
「…望美…、好きなひとのことを考えていたの?」
 朔の鋭い指摘に、望美はドキリとして慌てふためいてしまう。
「あ、あ、あの、何でもないんだよ、うん、何でもないんだ、マジで」
 顔を真っ赤にさせながらしどろもどろしていれば、肯定したも同然だ。朔はふと寂しげな優しい光を瞳に宿すと、視線を下にした。
「しっかり願ってね。あなたの恋は実って欲しいから」
「…朔…」
 朔が過去にどのような恋をしたかは、望美には解らない。
 ただそれが、儚い光を放つ宝石のようなものであったことぐらいは、解った。
 大切な朔の恋。
 いつか教えてくれる日がくるのだろうか。
「あなたならきっと叶えられるわ。不可能を可能にしたり、困難を力強く切り開いていく力が、あなたにはあるもの」
 朔は笑いながら、まるで太鼓判を押すかのように、しっかりと頷いてくれた。
「有り難う。朔にそう言って貰えると、自信がつくよ」
「そう言って貰えると、とっても嬉しいわ」
 朔は微笑むと、望美を真直ぐに見つめる。
「願い事って、将臣殿のことかしら?」
「えっ!?」
 いつもどおりに接しているはずなのに、どうして朔にはバレてしまったのだろうか。
 驚きと胸のドキドキで呼吸困難になりながら朔を見つめると、大人びた笑みを向けてくれた。
「それは簡単よ。だって望美の態度はとっても分かりやすいもの。明らかにいつも将臣殿のそばばかりにいるわ。 他のひとたちには示さなかった態度だもの」
 朔は愉快そうに呟くと、望美の頭を軽く撫でた。
 望美は恥ずかしくて全身を真っ赤にさせ、罰の悪い表情を朔に向ける。
「…そ、そんなに分かりやすい?」
「ええ」
「将臣くんに…バレてるかな…」
「それはないと思うけれど」
 朔はキッパリと言い切ると、望美ににんまりと笑いかける。
「将臣殿も、望美と同じように恋には鈍感で、不器用な気がするもの」
 朔は何度も頷くと、そっと望美の背中を押してくれる。
「きっと大丈夫よ。あなたなら、あなたたちなら、どんな困難が待ち受けていても乗り越えていけるわよ」
「有り難う、朔」
 朔にキッパリと言い切って貰えると、そんな気分になってくるから不思議になる。
 望美は朔に頷くと、新月の願いが叶うような気がした。

 夜も更け始め、望美はただひとり、縁に座り込んで、ほとんど見えない月を眺めた。
 月の光すらない空は、正しく真の闇だ。
 ほとんど何も感じない。
 灯も点けずに、望美はただ祈った。
 こころの奥底から、魂の奥底から、強く、強く、祈りを捧げる。
 将臣といつか一緒になれますように。
 将臣といつか幸せになれますように。
 強く、強く、祈らずにはいられない。
 望美にとってはたったひとつの恋。
 この恋以外は知らないから。知りたくもないから。
 大切に、大切にしたい恋だ。
 望美は正座をして、背筋を伸ばしてしっかりと前を見る。
 その向こうにあるのは新月だ。
 どうか神様。願いを叶えて下さい。
 余りに熱心に祈っているものだから、その気配に気付かなかった。
「どうしたんだよ? 灯も点けずにこんなところでひとりでいるなんて」
 艶のある男らしい低い声と、艶やかな男の匂いに、望美は飛び上がってしまうほどに驚いた。
 気配が男のひとで、望美を堂々とひきつけてくる。
「年頃の娘が、こんな暗い場所でひとりになるのはどうかと思うぜ」
 将臣は望美の横に腰を下ろすと、視線を投げて来る。
「年頃の娘だなんてオヤジ臭い」
「そ、そうだな」
 将臣は少しばかりショックだったらしく、半ばうろたえるように呟いた。
「だけど、こんなに暗いのに、よく私だって気付いたね」
 感心するように言うと、将臣はどこか胸が切なく詰まるような笑みを向ける。
「…闇には目が慣れている。それに…お前の匂いがしたから、直ぐに解った」
「…わ、私の匂い…」
 こころが甘くかき乱されて、望美は思わず言葉を詰まらせてしまった。
「ああ。乳くせぇから」
「もう、バカっ!」
 ふざけてニヤリと笑う将臣の胸を、望美もまたふざけて叩く。
 以前はこんなことばかりをしていた。
 まるで時間が戻ったような気がするのに、全く時間の流れが狂ってしまったような気もする。不思議な感覚だ。
「もう、ふざけてばっかり」
 何故だか将臣に八つ当たりをしたくて、思わず拳を振り上げた。
 しかし軽々と手のひらで受け止められてしまう。
 今まで感じたなかで、一番強い力に、望美は胸の奥が痛くなるのを感じる。
 そんなにも時間が経ってしまっていたのだ。
 思い知らされた時間の流れに、望美は愕然と手を引っ込めた。
「…私が知らない間に、随分男らしくなったんだね…」
 寂しい余りに泣きそうになりながら呟くと、不意に抱き寄せられた。
 心臓が止まってしまうのではないかと思うほどに、跳ねる。
「…お前も…、凄く女らしくなった」
 将臣が僅かに照れているのが解る。
 その照れた顔は、どこか昔を思い出させてくれて、望美は嬉しかった。
「…あ、有り難う…」
 ストレートな賛辞に恥ずかしく思いながら、望美はほんのりと俯きかげんで呟く。
「…だから、ひとりはダメだって言ったんだよ」
 将臣は、まるで小さな子供にじゃれるかのように、望美を軽く抱きこみ、髪をくしゃくしゃにしてきた。
「もうっ!」
 抵抗しても、将臣は軽くあしらい、まるで鳥の親子のようにもこもこと抱き抱えてくる。
「なあ、ここで何をしていたんだよ?」
「月を見ていたんだよ」
「月? 今夜は新月だろ?」
 将臣は視線で月を探しながら、奇妙な顔をする。
「それが意味があるんだよ」
 将臣はピンときたとばかりに頷くと、望美に意味深な笑みを投げて来た。
「どうせお前のことだ、願いか何かじゃねぇのか?」
「えっ!? どうしてそれが解るのっ!」
 驚いて将臣の顔を見つめると、やっぱりとばかりに頷いた。
「お前のことだから、どうせそんなことだろうと思ったんだよ。なあ、何を願うんだ?」
 将臣は殆ど姿が確認出来ない月を、じっと見上げる。
 そんなこと本人の前では言えるはずもなくて、望美は視線を幾許が逸らした。
「ひみちゅ」
「ケチ」
「ケチじゃないもんっ!」
 拗ねた子供のような望美の口調に、将臣はまた大人びた寂しげな瞳をする。
「…願いか…。俺もここはお前に倣ってやってみるかな」
「何を願うの?」
「ひみちゅ」
 やり返されて、望美は唇を尖らせる。
 自分の願いを知られるのは恥ずかしいが、将臣の願いは、どうしても知りたかった。
「…お互いに、一番の願いが叶うように祈ろうぜ…」
「そうだね、うん」
 望美は瞳を閉じると、もう一度強く祈る。
 すると唇に、一瞬、将臣の唇が重なったような気がした。
 冷たくて硬いのに、泣きたくなるぐらいに甘い感覚。
 思わず瞳を開けると、将臣の顔が間近にあった。
「願い成就」
 将臣に低く呟かれると、泣きたくなるぐらいに幸せな気分がこころに満ち溢れる。
「もう、バカ…」
 掠れた声で呟くと、望美は思い切り将臣に抱き付いた。
「…今だけ…、今だけだから…」
「望美…。いつか、ずっと、一緒に…」
「うん、うん…」
 うたかたの恋。
 その先に想いが叶えられることを、望美は願わずにはいられなかった。



top