新聞を取りに行った早朝に、望美は将臣とばったり出会った。 「どこに行くの? 将臣君」 「俺? スキンダイビングをしに伊東」 「ああ。海女さんね」 「海女さんじゃねえって、何度も言ってるだろうが!」 将臣はいつものように、望美にヘッドロックをかまし、ふたりはおきまりにもふざけあう。 だが、将臣は気付いているだろうか。 強くなった将臣の腕が、望美の呼吸を奪ってしまうことを。 男としての色香を意識してしまうことを。 「ギブ〜、ギブ〜っ!」 「1,2,3,4,5!」 将臣はカウントを5つした後、望美を逞しい腕から外す。 「OK」 「ねえ、将臣君、私も一緒に連れて行ってよ。見学ってことで」 「はぁ? 支度してたら間に合わないぜ?」 将臣が困ったように目を細め、後頭部をかく。だが、望美は諦めなかった。 「直ぐポシェット持ってくるからさ! 後さ、日焼け止めと、帽子!」 「ああ。解ったよ。解ったから、とっとと準備をしてこい!」 「はあい!」 望美は長い髪を軽やかに揺らしながら、慌てて家に入った。 食事をしている父親に、乱暴に新聞を渡すと、自室に駆け込む。 こんなチャンスを逃してはならない。 望美は転がり落ちるように階段を下り、外に出た。 「おい、早くしろ!」 「はあい」 学校に行くときのように、望美は自転車の荷台に跨ると、将臣の腰にしっかりと捕まる。 「レッツゴー!!」 「ったく、お前は気楽でいいよな」 将臣は苦笑すると、いつもよりも猛スピードで、駅まで自転車を滑らせた。 途中でJRに乗り換え、伊東の海に着いたのは、お昼近くだった。 「数時間潜れるな」 将臣はダイバーズウォッチを覗き込むと、潮の流れを確認した。 「今日は早いから、スリリングだな」 「もう、危ないことをしたらダメだよ!」 「はい、はい」 将臣はおもむろに岩場の影に入り込むので、望美はその後をちょこまかと着いていく。 「おいっ! お前は俺の着替えを覗く気かよ?」 「あ…!」 望美はようやく何をするのか気付いて、流石に恥ずかしさに顔を真っ赤にする。 「ご、ごめんっ!」 「いいぜぇ! その代わり、有川将臣のストリップは高いからな?」 「もう、バカ!!!!」 将臣が余りにからかうものだから、望美はすっかり拗ねた気分になり、岩場から抜け出す。背中に将臣の愉快そうな笑い声が聞こえて、かなり悔しかった。 将臣は手早く着替え終わり、全身をウェットスーツに身を包んで、岩場の影から出てくる。 それを見た瞬間、望美の胸は烈しく高まった。 薄い膚のようなダイビングスーツは、将臣のボディラインをくっきりと浮き立たせている。胸の筋肉も、脚も、腕も、それぞれに鍛えられ、美しい筋肉がついていた。 心臓がスキップしているぐらいに、烈しく飛び上がっていく。 望美は食い入るように見つめてしまった。 「望美、荷物見とけ」 「うん」 望美は頷きながら、将臣が海に入っていくのを見つめる。 真摯な将臣の横顔は、まるで赤の他人のように見える。 遠い、遠い、存在のように思えて、望美は寂しかった。 海に 「海女さ〜ん、ホタテ貝とうにをおねがいしま〜す」 照れ隠しに望美は将臣に無邪気にオーダーをする。 「バカか、お前、せいぜいくらげぐれえしか採れねえよ」 「げっ!? クラゲいるの?」 「ああ.。もうお盆過ぎちまったからなぁ」 将臣は遠い目で空を見上げた。 その眼差しを見ていると、望美もなんだか物憂い気分になる。秋は豊饒の季節で大好きだが、同時に、寂しくもある。 「潜ってくっから。適当に休んで涼めよ」 「うん」 将臣は望美の返事に頷いた後、深い場所に潜りに行ってしまった。 鎌倉の海よりはまだ幾分か透明感ののある伊東の海を、望美はじっと見つめる。 水越しに見つめる将臣は、まるで海が故郷のように思える。 水の中で自由を得て、楽しそうに潜っている。 将臣は自分の好きな道を見つけて、こうして海に潜っている。 なんだか、置いて行かれたみたいで、望美は寂しかった。 せめて、一緒に潜れれば、どんなにか楽しいだろう。 望美が愁いを含んだ眼差しで海を見ていると、将臣がゆっくりと上がってきた。 「気持ちよさそうだね」 「ああ。最高だぜ!」 将臣が楽しそうに親指を立てている。 「私も潜れたらいいのに…」 「じゃあ、潜るか? すっぽんぽんで」 「もう! 今じゃないわよ」 相変わらず冗談ばかりで、望美は本気で拗ねてしまう。 こっちがこんなに真剣に言っているのに、将臣はいつもふざけてばかりだ。 「本気だったら、教えてやっても良いぜ? 先ずは鎌倉の海から潜って、少しずつ慣れていけばいい」 将臣は海水に濡れた髪をかき上げながら、精悍な眼差しを望美に向けた。 「うん! やる! ねぇ、この間約束したでしょう? 来年の夏沖縄に行こうって! そのときね、一緒に潜ろうよ!」 「そうだな…、あ…、雨だぜ!」 将臣が空を見上げ、望美も釣られるようにして見上げる。 大粒の雨が頬に濡れたかと思うと、直ぐにどしゃぶりになった。 「きゃあっ!」 「おい、望美! 岩陰に行くぞ」 「うん!」 将臣は望美の手首を強く握りしめると、岩陰まで引っ張ってくれた。 そのお陰で、望美はあまり濡れずにすんだ。 「有り難う…」 「ああ」 将臣は望美の手首を握ったまま、雫が滴る状態で見つめてくる。 望美も吸い寄せられるように将臣を見た。 瞳が自然と潤んでしまう。 「テリトリー…壊す気はなかったのにな…」 低く呟かれる声。 目を上げると、唇がそっと近づいてきた。 「指切りげんまんの代わりだ」 自然と目が閉じる。 瞼の奥には将臣の横顔の輪郭が映り込む。 唇がぎこちなく重なった。 潮騒の香りがする------ ファーストキスは、潮の味がした---- 約束が果たされたのは、異世界でだった。 今、ふたりは、総てを終え、南の島に降り立つ。 ここの大地に、しっかりと根を生やし、生きていくと決めたのだから。 「将臣君、あの約束覚えてる?」 「ああ。覚えてるぜ。明日、一緒にスキンダイビングしようぜ。きっと今までで一番の景色が見られるはずだ」 「うん!!」 約束は守られるためにある----望美は今ほどそれを感じたことはなかった。 ILLUST BY SAKURA YOSHINO WRITTEN BY tink |