紀伊半島に台風がよくやってくるのは、望美たちの世界でも、この時空でも同じ事が言えるよう。 望美たち一行は、台風のせいで白浜で足止めを強いられてしまった。 「しかし、ここまで来て足止めかよ。ったく、泣く子供と台風には、流石に勝てやしねぇか」 将臣は溜め息をつくと、恨めしそうに空を見上げた。 「そうだね。今夜あたりはかなり酷くなるって、弁慶さんやヒノエ君が言っていたよ」 「地元だからな。ヤツらは」 将臣は、厚く鈍色の雲が垂れ込めた空を、真っ直ぐ見つめる。 その横顔が大人びて、幼なじみなのに、遠い存在のように思えた。 将臣の髪も、望美の真っ直ぐなくせのない髪も、烈しい風に煽られる。 風に髪が揺れる将臣の姿は、まるで獅子のように見えた。 眼差しは深く、冷徹。 こんな瞳をすることなんて、望美が知る限りは、なかったというのに。 将臣の知らない顔を見つけてしまい、胸の奥がキュンと音を立てて痛んだ。 風を掌る八葉だからだろうか。幼なじみよりも、風が大事な相談相手のようにも見えた。 「おら。とっとと行こうぜ。みんなが待ってる」 「うん」 将臣は望美の髪をくしゃくしゃにして撫でると、昔と同じようにしっかりと手を取ってくれた。 将臣の強くゴツゴツとした男らしい手に包まれると、途端に体温が高くなる。汗が掌に滲んでいることを、きっと敏感な幼なじみは気付いているだろう。 心臓が16ビートを刻み、耳までも脈拍の速さが気になる。 だけどきっと、年上になってしまった幼なじみには、何でもないことなのだろう。こうして手を繋いでいても、緊張しているのは自分だけ。 望美は酷く寂しさを感じた。 こうして手を繋いでいても、将臣にとっては、幼なじみ感覚からは抜けないのだろう。 将臣にとって、ふたりのテリトリーは、きっと”幼なじみ”という言葉のなかで、閉じ込められているのだろう。 小さな子供の手を引くのと同じ感覚かもしれないと、望美は感じていた。 一方通行の想いは切ない。 何かあっては困ると、夕食前に八葉たちが大挙して宿のまわりを台風対策に明け暮れた。 望美も朔もテキパキと働き、チームワークの良さで、直ぐに準備は済む。これには宿屋の主人にも感謝されたぐらいだ。 みんなで早めの夕食を取った後は、各自自分の小さな部屋に篭ってしまった。 何もすることがないので、寝るしかないのだ。 烈しい風が吹き、宿屋を揺らしている。ガタガタと軋む音に望美は恐怖に震えた。 望美たちがいる時空の建物はしっかりしていて、台風で不安になるなんてことはない。それでも風の音は烈しく恐ろしいというのに、木で造られた宿谷にいると不安は増す。 「…怖いよ…」 望美は心細さの余りにひとりで弱音をはいたが、そうすると余計に恐ろしくなった。 誰かに縋りたい。 この不安な気持ちごと抱きしめて欲しい。 望美は脳裏に、たったひとりの男を浮かべる。 -----将臣。 彼以外には考えられない。 望美は白い寝間着のまま、自室をそっと抜け出し、将臣の部屋に向かった。 緊張と恐怖で、口から心臓が飛び出しそうになる。 木の戸を風が叩く音を聞くたびに、足を竦み上がらせたが、何とか将臣の部屋の前にたどり着いた。 戸の前で震えてしまう。 望美は深呼吸をすると、ノックしようとした。 「…誰だ?」 低い冷酷な声が扉の奥から聞こえる。まるで将臣ではないみたいだ。 望美は生唾を飲み込むと、まだ喉の渇きを感じた。 「…私…」 小さく言うと、戸が少し乱暴に開けられた。現れた将臣は、訝しげに目を細めてこちらを見ている。 「…どうした?」 将臣の鷲のような眼差しに、望美は躰を僅かに震わせる。秘めた気持ちすらも見透かされているようで、怖い。 「…台風が恐くて…」 望美は泣きそうな気分になりながら、本当のことを言った。 探るように将臣を見ると、眼差しが和らいだような気がする。呆れたように溜息を吐くと、将臣は唇をかすかに歪めた。 「昔から、ちっとも変わってねぇな、お前は。来いよ」 将臣が視線で部屋を示してくれたので、望美はホッとしたように笑った。 「有り難う! 将臣君!」 これで何が起こっても安泰だと、望美は大舟に乗った気分で部屋に入った。 将臣と並んで座り、ほっと肩の力を抜く。 「昔からさ、台風の時はこうやって将臣君にばかり、くっついていたよね」 「そうだったな。台風が恐くて、それを忘れる為にな」 「そうそう! こうしていると、あの時に戻ってしまったような気がする」 「そうだな」 将臣は、もう遠い過去でしかないかのように笑った。 ふたりであの頃のように膝を抱えて、体育座りをしているというのに、距離は以前よりも広がっているような気がする。 「…あの頃は楽しかったね…」 懐かしく苦しい想いから、望美は思わず呟いていた。胸の奥が切ないぐらいに痛みを感じる。 「だな。悩みらしい悩みもなくて、能天気だったよな。悩みと言ったら、ガキじみたもんばっかでさ。地球がなくなったらとか、突拍子もねぇことばっか言ってた。台風の時も、これがこの世の終わりみてぇに思ってよ」 将臣は子供だった自分を懐かしむように笑う。そこには、冷静さしかない。 「…あの頃に戻りたいって、思ったことはある?」 望美は冗談めかすように言ったが、気持ちは本気だった。 距離を感じなかった頃に戻りたい。後ろ向きの想いが頭を擡げた。 「ないな、俺は」 将臣はきっぱりと言うと、曇りのない瞳で望美を見る。 「これも俺の運命だ。受け入れるさ。択び取ったことを後悔してねぇし、しようとも思わない。運命を総て受け入れるなんてことは、しねぇさ。俺はただ捩伏せるだけだ」 将臣の口調はキッパリとしていて、そのどこにも後悔なんてなさげだった。 近付けない。 それどこか、もっと遠くなる。 望美は、これほど将臣との距離を感じたことはなかった。 「そうだね…。今更よね」 上の空で言いながら、望美は自嘲する。 いつも前を真っ直ぐ向いている将臣が、過去を振り返るはずなどないのだから。 望美は押し黙ると、烈しい嵐に身を竦ませた。 キュッと唇を閉じて我慢していると、突然、将臣に抱き寄せられた。 厚く逞しい胸に抱き寄せられ、望美は軽く喘ぐ。 将臣の腕のなかは力強く、台風からも護って貰えるように思えた。 「有り難う…」 小さく言うと、将臣は返事の代わりに強く抱きしめてくれる。 将臣に強く護られていると感じた。 少し速い、力強い鼓動。ほんのりと香る体臭は、もう男の匂いがする。 望美が知っている将臣は、まだ少年の香りがしていた。それが、今やおとなびた香りになっている。 安心しきっていると同時に、甘く心が騒いだ。 将臣をどうしても離したくなくて、望美は背中に回した手で、ぎゅっと抱きしめる。 すると将臣が応えるように抱きしめてくれ、望美ははっきりと護られているのを感じた。 将臣の鼓動。そして香りが、望美を安心させてくれる。 烈しい嵐の中でと言うよりは、整えられた花園にいるような気がした。 「…有り難う、安心する」 「俺以外の男に、こんなふうに甘えるんじゃないぞ」 「甘えないよ。私から抱き着くのは将臣君だけだよ」 「それでいいんだよ」 将臣は望美を見て微笑むと、ふっくらとしてみずみずしい頬に触れた。 「明日も早いから寝ろよ。ちゃんと見ててやるから、安心して休め」 「うん…」 「お休みのキスだ」 最初は頬にキスをされるのかと思った。だが将臣の唇が捕らえたのは、望美の唇だった。 しっとりと捕らえてきた将臣な唇は、望美を狂わせるほどに甘い世界に連れていってくれる。 甘い想いが、嵐の音が全ての音を、消し去ってくれていた。 「寝たか?」 将臣は、腕の中にいる望美の寝顔を見つめながら、優しい気分になる。 「ったく、こんなに無邪気な顔をしているくせに、俺を惑わせちまうんだからな…。ひとりで夜中に、男の部屋に来るな。無防備で可愛すぎて、襲う、一歩手前だったんだからな」 将臣は望美の髪を撫でると、床に静かに寝かせた。 あどけなくも愛らしい望美寝顔を見ながら、慈しみや愛おしさが心に溢れ出すのに気付く。 このまま自分の腕に閉じこめ、平家の陣に連れ去りたい。 自分の女として、ずっと側に置きたい。 だがそれは今は許されない。 愛するものを危険に巻き込みたくはない。 外で荒れ狂う台風よりも過酷な試練に、大切な望美を巻き込むわけにはいかないのだ。 だから手を出せない。 だが、このまま奪いたい。 望美への複雑な想いが、将臣の心の中に台風よりも強い感情のうねりを産んでいた----- だから、近くにいる今は。 汚れの知らない望美を自分の傍らに常に置いておきたい。 暫く、このまま見ていたかった。 朝起きると、自分の部屋で寝かされていた。 窓からは燦々と朝日が差し込み、台風一過であることを告げている。 あたりを見ると、自分が最初に使った部屋に戻っている。 きっと、将臣がここに寝かせてくれたのだろう。 安心しきってすべてを預けてしまった自分に、望美hは恥ずかしくて真っ赤になりながら、俯く。 指先で唇をなぞると、昨日の名残を感じた。 |
| コメント 本日は台風と言うことで! |