リップスティック


 背伸びをしたくて、デパートでM・A・Cのリップスティックを買った。
 年齢よりも大人びて見えるあのひとを誘惑する為に。
 鏡を見ながら、慎重にリップスティックを唇に滑らせれば、何だか未来の自分が映っているような気がした。
 きっと気付かない。
 けれど気付いて欲しい。
 ほんのりと色付く唇が、恋心を表しているような気がした。
 緊張の余り跳ねる鼓動を整えた後、望美は決意の深呼吸をする。
「将臣くん! 朝だよ! 遅刻しちゃう! 起きてよ!」
 大きな声で何時ものように叫ぶと、将臣はむくりと起き出し、望美の顔を一瞬探るように見た。
「何…?」
「何でもねぇよ。先に下に行って、待ってろ。直ぐに支度する」
 将臣は、望美に自転車のキーを投げると、直ぐに着替え始めた。
「あ、ま、待ってるね!」
 将臣のストリップショーに慌てて外に出ると、望美はまた大きな深呼吸をする。
「…心臓に悪いよ…。まったく…」
 望美は頬を赤らめると、俯きながら階段を降りていく。
 何時よりもかなり早い将臣の支度に、望美は小首を傾げた。
 眠たいとごねられるのが常日頃なのに、今日はすっきりと起きてくれたのだから、驚きだ。
「今日は雪でも降るかな」
 望美が待っていると、颯爽と将臣は現れた。いつもよりもおとなびた艶やかさに、望美はドキリとした。
「今日も全速力で飛ばすから、後ろに乗れよ」
「うん」
 望美が荷台に跨がり、しっかりと背中に捕まると、将臣は遅刻しそうな時と同じぐらいのスピードで、自転車をこいだ。
 今日はかなり余裕があるというのに、将臣はしゃかりきだ。
 駅には直ぐに着き、いつもよりは三本も早い江ノ電に乗ることが出来た。
 これでは遅刻どころか、余裕を持って授業の準備が出来る。
「いつもより早いね。ちょっと空いてる感じがするよ」
「だな。譲はもっと早いから、もっと空いた電車に乗っているんだろうな」
「そうだね」
 空いていると言っても、やはり座れないぐらいには混んでいる。望美は将臣と肩を寄せ合うようにして、電車にゆられていた。

 鎌倉高校駅で電車を降り、学校前の坂道を上ろうとすると、将臣に反対側の七里ガ浜へと引っ張られた。
「ちょっ、将臣くんっ!?」
「まだ遅刻しねぇから大丈夫だろ?」
「余裕はあるけれど…」
 みんなが見ているのが恥ずかしい。
 誰もが振り返って見ているなか、将臣は望美の手を引っ張って、信号を渡り、階段を降りて七里ガ浜に向かった。
「どうしたのよ!?」
「お前、このまんまだと、校門で止められるぞ」
 将臣は指先で、望美の唇に触れた。
「あ…」
 唇に触れられただけだというのに、全身が痺れてしまい、思わず甘い吐息が漏れた。
「校則違反」
「ま、将臣くんに言われたくないよっ」
 真っ赤になりながら望美が焦ると、将臣は苦笑する。
「まあな」
 将臣は優しい笑みを浮かべると、望美の頬を撫でてくる。
 ドキリとしてからからに喉が渇きそうになった。
「…俺が取ってやるよ、
「え…」
 心の準備が出来ないまま、将臣は顔を近付いてくる。
 唇が重なり、表面にあるリップを根こそぎ落とすような深いキスをしてくる。
 ここがどこなのか。
 そして、自分がどのような状況に置かれているのか、望美は忘れてしまいそうになる。
 ここが学校の前の海岸で、自分たちが登校途中だと言うことに。
 口紅を取るだけならとうにキスなど終わるだろうに、将臣は舌を使って丁寧なキスをしてくれる。
 甘くて、どこか切ないキスに、望美は泣きそうになった。
 こんなにも将臣が好きだ。
 好きで好きでしょうがない。
 泣きたくなるぐらいに好きすぎて、どうにかなりそうな自分がいる。
 息が止まるぐらいに深くて、切ないファーストキスが終わると、望美の唇は艶やかに濡れて、ふっくらとしていた。リップスティックを使うよりも効果がある。
「これで、校門で呼び止められることはねぇだろうからな」
 将臣は望美のを指先で払うと、甘い抱擁をくれた。
 心臓が止まりそうになる。
「…それに、あんまり色っぽい姿を、他の男に見せるなよ…」
 将臣の声がどこか拗ねていて、嫉妬の香りがする。それが嬉しくて、望美は笑みを浮かべた。
「…うん…有り難う」
 それしか言いようが無くて、望美はぼんやりと礼を言う。
 将臣がふと時計を見た。
「やばい時間になったな。行くぞ」
「うん…。ねえ、どうしてキスしたの?」
「…好きだから」
 将臣のストレートな一言に、望美は雲間から射す光よりも綺麗な笑みを浮かべた。
「うん。私も好きだよ」
 照れるように言えば、将臣が髪をくしゃくしゃに撫でてくれる。
「行くか」
「うん」
 ふたりでしっかりと手を握りあって、学校へと向かう。
 リップスティックの魔法に感謝ね-----
コメント

店頭でリップを見ていて、思いつきました。
短いお話。



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