*LESSON A*


 折角、将臣がスキンダイビングに誘ってくれたのに、望美は泳ぐことが出来ない。
 顔をプールに漬けるのだって怖い。
 だからこそ少し練習をしなければならない。
 小学生までは、プールは男女混合で授業があるが、中学生になると別授業になる。
 それゆえに、将臣は今の望美がどれくらい泳げるかなんて、知る由もないのだ。
 だから嘯いた。
「中学の頃から泳げるようになったから、スキンダイビングなんて平気だよ」
 と。
 全く、なんてお馬鹿なのだろうと思う。あんなところで強がってもしょうがないというのに。
 だが、将臣も望美の泳ぐ練習になんて付き合っているヒマなどないだろうし、手を焼かせるわけにはいかない。
 だからこうしてひとりで泳ぐ練習に励んでいる。
 市民プールの、しかも子供の沢山いるところで、ひたすらビート板を使って、バタバタと足を使ってひたすら泳ぐ練習だ。
 まるでスイミングスクールに通っているような気分になっていた。
 そのお陰か、綺麗にダイエットが出来てしまい、今まで以上にメリハリのついた躰になってしまった。
 スタイル抜群の綺麗な女の子が市民プールに毎日泳ぎに来ている。そんな噂が広がって、連日、男性客が増えていることを、望美は知らなかった。

 そんな噂が、将臣の耳に入らないはずはない。
「おい将臣知っているか? スタイルの良い可愛い女の子が、連日、市民プールでぎこちなく泳ぎの練習をしてるって。男達はみんな、彼女のコーチをしたいと様子を伺っているらしいけれど、何だか酷い泳ぎと、巻き込まれたら怪我をするんじゃないかって、誰もが戦々恐々としているって話知ってるか? しかし、誰もが引けない程に、スタイルが良くて可愛いらしい」
「へえ…」
 将臣はまさかと思いながら、友人の話を聴く。
 望美以外の女にはこれっぽっちも興味はないから、いつもなら全く引っ掛からない話なのに、今回ばかりはかなり引っ掛かってしまう。
 まさか、とは思う。
 だが望美は海に囲まれた土地で生まれながら、小学生の頃は全く泳げなかった。
 5メートル泳ぐのが関の山だったように思う。
 あれからもし進化していないとするならば、今、必死になって泳ぐ練習をしているに違いない。
 嘯いたとするならば、きっと将臣に良いところを見せたい一心だったのだろう。
 それに迷惑を掛けたくないという、望美の気遣いもあったかもしれない。
 念の為、確かめる必要があるかもしれない。
 もしそうなら、ひとりで練習するのは止めさせなければならないだろう。
 表向きは“危ない”からだが、本当は水着姿を他の男達に晒したくはなかったから。
「なあ、俺も一緒に行っていいか? その市民プール」
「いいけど、カノジョが怒るんじゃ」
「ちょっと確かめたいことがあるんだよ。だから同行させてくれ」
「ああ、いいけど」
 将臣は溜め息を吐きながら、また考え込む。
 望美ではありませんようにと祈ってはいるが、その可能性が極めて高いことに気付いていた。

 望美は、周りの状況なんて全く気付かずに、今日も泳ぎの練習に励む。
「…こんなに一生懸命練習しているのに、全く上手くなんかならないよ…。やっぱり、ひとりで練習するのは無理があるのかな…」
 両手で水をぱたぱたとしながら、望美は溜め息を吐いた。
「どうしましたか? 良かったら、練習を見てあげましょうか」
 男性の声が聞こえ、望美はゆっくりと顔をあげる。
「…いえ、結構で…」
 そこまで言ったところで、いきなり背後から腕を掴まれた。
 心臓が竦むぐらいに驚いてジタバタしようとすると、聞き慣れた声が聞こえて来た。
「すまねぇな、こいつは俺のツレなんだ。練習は俺が見るから、心配しなくて良い」
 望美は腕のなかに閉じ込められると同時に、顔を上げた。
「…将臣くんっ…!」
「ったく、素直に俺に練習見てくれって、どうして言わなかったんだよ」
 将臣は呆れ果てるように溜め息を吐いた後で、更に強く望美を抱き寄せてきた。
「そういう訳だから、すまねぇな」
 将臣が男を威嚇するように睨み付けると、すごすごと戻って行くのが見えた。
「ったく、ナンパなんてされてんじゃねぇよ」
 将臣は言葉では望美を嗜めながらも、その腕はあくまでも甘くて優しい。
「…だっ、だって、こんなのは今日始めてだし…」
 将臣の不機嫌な表情に、望美は雷が落ちるのを覚悟しながら、躰を小さくさせた。
「…だから、大丈夫だから、さ…?」
 しどろもどろ言いながら、機嫌を伺うように将臣を見上げる。
 綺麗な顔が、不機嫌さに歪んだ。
「バカか! 現にこうやってナンパするヤローがいるだろうが! それにな、お前がここで泳ぎの練習をしているのは、結構噂になってるんだぜ? もう少しよく考えてから行動しろっ!」
 将臣はいつも以上に勢い付いて怒っている。
 望美は小さな子供のようにしゅんと肩を落として聞き入るしかなかった。
「…だっ、だって、将臣くんに迷惑…掛けたくなかったし…そ、それに…」
 望美が余りにももごもごと言うものだから、将臣のこめかみがひくついてくる。
「それで…?」
「それでって…、その、将臣くんと一緒に楽しくカッコ良くダイビングをしたかったのっ! だ、だって、やっぱり、カノジョとして、同じようにしたいって…」
 そこまで言ったところで、涙が溢れてきた。
 自分の不甲斐なさが悔しくて、望美は大粒の涙を零す。
「…ったくしょうがねぇな…。ホント、お前は…」
 将臣は溜め息を吐いたあとで、望美の頭を撫でた。
「…そんな可愛いこと言われちまうと、許すしかねぇじゃねぇか…」
 将臣の甘い言葉に、望美は顔をあげる。
 先ほどまであった後悔からくる切なさは、きらきら輝くときめきになってこころを満たす。
「だから、俺がちゃんとコーチして、泳げるようにしてやるから。もう、自分ひとりで練習するなんてことはするな」
「うんっ! 有り難う、将臣くん!」
 望美は嬉しくて嬉しくて堪らなくて、笑顔にしてその感情を将臣に伝えた。
「俺も結局はお前にはかなり甘くなっちまうよな…。譲のことは言えねぇか」
将臣は肩から力を抜きながら、溜め息をまた吐く。
「だけど、ただお前を許すのはやっぱり癪に障るな…」
 将臣はいきなり望美の躰に手を伸ばすと、背後から抱き締めてくる。
「ちょっ…! 将臣くんっ! み、みんな見ているよっ!」
 望美が焦って抗うとするが、将臣には全くと言って良い程効き目がなかった。
「構うもんかよ。あいつらにはちゃんと見せつけておかねぇといけねぇからな。スケベこころを起こしてお前の水着姿をここぞとばかりに眺めやがって。これくらいのこと見せつけねぇと俺の気持ちが治まらないんだよっ!」
 将臣がとても熱く嫉妬深く言うものだから、望美は嬉しくてしょうがなかった。
 いつも将臣はクールで、望美に対して嫉妬なんてかけらもしてくれない。だからこそ、こうして嫉妬してもらうのが、嬉しかった。
「…将臣くん…、ひょっとして嫉妬してる?」
 望美は嬉しさを全面に出しながら呟くと、将臣は動揺をしたかのように固まってしまった。
「図星?」
「…っ、ったく、お前はお仕置が必要みてぇだなっ!」
「…え、あっ…!」
 将臣は逆襲とばかりに、望美の首筋に唇をあてがうと思い切りそこを吸い上げて来る。
 痛気持ち良い感覚に、望美は甘い声を上げた。
 ここは公共の場所。
 これほど望美から男達を追い払う効果はないわけで…。
 望美を目当てに来ていた男達は、皆、がっくりとプールサイドから立ち去ってしまった。
「害虫駆除完了」
「もうっ! 将臣くんのバカっ! 知らないっ!」
 望美は恥ずかしさの余りに俯いたが、満更不快ではなかった。
「さてと練習するぜ。スパルタだからな。ちゃんとしねぇと、罰金貰うからな」
「罰金?」
「お前」
 将臣がしらりととんでもないことを言うものだから、望美は顔を赤らめながら怒った。

結局、望美は将臣からみっちりと水泳のコーチングを受けて泳げるようになったが、かなりの甘い授業料を支払わされた。





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