恋のレシピ


「おばさん、父さんも母さんも明日はいないので、晩ごはんを食べに来て良いですか?」
 望美と一緒におやつを食べながら、将臣が何時もよりはしおらしい声で言った。
「譲くんはいないの?」
「譲は明日から修学旅行」
「そっか…」
 望美は考えこむと、ちらりと将臣を見る。にんまりとした笑顔に、将臣は戦慄を覚えた。
 望美は何を申し出するのか、容易に予想が出来る。胃薬がまだ家にあったけ、などと考えていた。
「だったら私が作ってあげるよ!」
 望美は明るく言うと、我ながら良いアイディアとばかりに何度も頷いた。
 止めろ、止めてくれ。救いの手をこころのなかで懇願しながら、将臣は望美の母に視線でSOSを送った。
「それは良いわね。うちに食材があるから、望美、挑戦しなさいよ」
 母親も、望美のチャレンジを応援しているように、あっけらかんとした明るい笑顔で将臣を見ている。
 ダメだ。万事休すだ。これなら面倒臭くても自分で作ったほうがマシだ。
「お前、時間かかるから大変だろ? だからわざわざしなくて良いさ」
 将臣が顔を引き攣らせながら、遠回しに断りを入れているというのに、望美はからっとした脳天気な笑顔を浮かべて、胸を叩いた。
「大丈夫だよ! これでも家庭科の先生に、包丁使いが上手いって言われたんだよー! 安心して良いからっ。先生なんかね、まるで百戦練磨の武士みたいねーって、褒めてくれたから」
 望美の嬉しそうに晴れ上がった表情とは真逆に、将臣の表情は今にも台風が来てしまいそうだ。
「将臣くん、遠慮しなくて良いよ。美味しいごはんを作ってあげるからね」
 テーブルをこのままひっくり返してぶちまけたい気分だが、そんなことは出来ない。
「将臣くん、娘をレンタルするから、こき使ってあげても良いからね」
 春日親子との今後の末永いお付き合いを望んでいる以上は、これ以上のことは言えない。
 将臣は誰にも聞こえないように溜め息をつくと、もうやけだとばかりに、笑うしかなかった。
「解りました。じゃあ、望美をお借りします」
「美味しいの作ってあげるからね」
 望美が暢気な笑顔を浮かべているが、こちらの胃は、食するまえから痛くなっている。
 胃薬は一番何が効くのか考えながら、将臣はこころのなかで諦めの溜め息をついていた。
 譲の修学旅行と、両親の出張が重なったうえ、賄いを楽しみにアルバイトをしている店が休みだなんて。
 やはり胃袋不幸はドミノ倒しだと、将臣は思わずにはいられなかった。

 学校の帰り、ふたりで手を繋いで仲良くスーパーに向かう。まるで使い古された食器洗剤のコマーシャルに出てくる新婚夫婦のようだ。
 幸福だ、この瞬間までは。
 予行演習なのだこれは。将臣は自分のこころに言い聞かせながら、スーパーに入った。
「今日は美味しいものを作るね。定番の煮物と、後はやっぱり新鮮なお魚かなあ」
 望美は鼻歌交じりに呟きながら、食材を吟味する。
 サツマイモ、カボチャ、栗。何やら甘いものばかり。普通に砂糖だけで煮るだけ、煮てくれたら問題はないのだが。
 魚は頼むから刺身にしてくれ。捌く魚はいらない。
「これにしよっ!」
「……っ!」
 望美が手にしたのは、魚、鯖。しかも調理が終わっていない、ナマのまるごと。
「これでね、洋風のソテーを作るね。美味しいよ!」
 何時もは可愛いと思う望美の笑顔も、今日だけは戦慄を覚える。
 将臣はもはや諦めの境地だった。

 自宅に帰り、望美は早速エプロンをつけてキッチンに立つ。
 白飯だけは俺に準備をさせてくれと将臣は懇願して、米だけはなんとか確保が出来た。
「将臣くんは、座っていて良いからね。美味しいよ、今日のはー」
 望美はまず、立派な包丁使いで、次々に野菜をぶつ切りにし始める。切るごとに、「はっ!」「ほっ!」などと派手な掛け声をするものだから、剣舞をするオッサンにしか見えない。
 大胆過ぎる包丁使いに、目眩がした。
 これではただのぶつ切りだ。
 こんなもの料理じゃない。
 今夜は将臣特製、”ネギたまご炒飯”と”ワカメスープ”になりそうだと、内心、寂しい予感に震えていた。
「さてと、野菜は煮るだけ。お水、砂糖、小塩は少し、蜂蜜ー」
 とりあえず使う調味料は問題はなさそうだ。
 とりあえずは何とか食べられそうだ。
「さてと鯖だよね!」
 望美は気合いを入れると、包丁で頭を「はうっ!」と言いながら落とし、男前にも、鯖を二等分にぶつ切りをする。
「これに、塩胡椒、小麦粉を塗してー」
 鯖は臭みを抜かないのかよ。などとツッコミを入れたくなったが、ひょっとしてミラクルが起きて、美味しく仕上がるかもしれない。
 というか、そう信じたい。
 信じなければ、ここにはいられない。
 とりあえずは、美味しそうなバターの香りが漂ってきたので、何とかなるかと思う…思いたい。
 お手軽食材であるチューブ用のニンニクを使ったので、少しホッとした。
 こんなに心臓に悪い料理は、生まれて初めてだ。
 そこに鯖を入れてじっくりと焼き始めた。
 これだけなら食べられる料理が出来るはずだ。
 そう信じて、将臣は待ち続けた。
 続いて望美は冷凍庫からバニラアイスクリームを取り出し、その半分を煮物に、もう半分をあろうことか鯖のソテーに入れた。
 ムンクの叫びの心境に、将臣は心臓が止まりそうになる。
 食べるのか、あれを。
「仕上に生クリームっ!」
 ああ神様。
 明日はトイレの住人になりそうです。
 そんなことをこころのなかで呟きながら、将臣は晩餐の瞬間を待った。
「出来上がり!」
 望美はあくまで嬉しそうに言い、ごはんを鼻歌交じりでついでいる。
 これを食べられるのは俺だけだ。
 俺しかいない。
 将臣はそう確信して、背筋を伸ばした。
 望美はテーブルのうえに食事を並べてくれ、少し遅れて席につく。
 並んだ鯖のソテーから視線を逸らすことが出来なかった。
 真っ黒コゲのうえに、濁った白い液体には油が浮かんでいる。
「これ…何だ?」
「雑誌に載っていた料理を望美流にアレンジしたんだよ。”サバサバーン・ド・バニラクレーム”フランスぽいでしょ?」
 何処がフランスだ。ツッコミを入れそうになりながら、将臣はこめかみをひくつかせた。
「さあ食べよう!」
「いただきます」
 手を合わせて、おかずに手をつけた。
 煮物は甘ったるいが食べられないことはない。そう多くは食べられそうになかったが。
 問題は鯖! 誰が何と言おうが鯖! 将臣は目眩を覚えた。
 勇気を出して、将臣はひとくち食べてみた。
「っ……」
 言葉をなくすというのは、まさにこのことだ。
 生臭さと甘ったるさ、脂っこさ、総てがミックスジョイしてしまい、今にも失神しそうだ。
 だが男だ。
 好きな女のために飯が食えなくてどうすると、将臣は勇気を持って食べ続けた。
「美味しそうに食べるね! 嬉しい! 私も食べてみるよ!」
 望美は勢いで魚を食べるなり、顔色を変える。
「…まずい…」
 そのひとことの後、望美は泣き出してしまった。
「こんなのごはんじゃないよー! 将臣くん! 食べちゃダメだよ!」
 望美は将臣から皿を取り上げると、直ぐにナマゴミとして三角コーナーに捨てる。
「将臣くんの…バカ…。無理して食べなくて良かったのに…」
「だってお前が作ってくれたものだろう?」
 泣いている望美を将臣は胸に抱き寄せると、何度も背中を叩いて慰めてやる。
「しょうがねぇな…」
 将臣は苦笑いをしながら望美の涙を拭うと、そっと唇にキスをする。
 唇を離した後、望美は不機嫌そうに呟いた。
「まずい…」

 結局、夕食は、将臣特製のネギたまご炒飯になった。
 これを望美は機嫌良く平らげる。
「…将臣くんの料理は美味しいね。誰よりも美味しいよ」
「お前のだってな。こころが篭ってるんだからな」
「有り難う。また将臣くんが好きになったよ…。もっと、もっとお料理練習して、将臣くんに美味しいって言って貰えるように頑張るね」
「ああ。気長に待ってる」
 望美が余りに可愛いものだから、将臣は抱きしめ、その唇に唇を重ねる。
 キスのあと、望美はにんまりと笑った。
「今度はおいしいよ…」
コメント

昔、この鯖の料理と近いものを食べ、死にました(苦笑)
肴の匂いを取る、シートなどを使いましょう(苦笑)




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