九月の雨


 冷たい雨が頬を伝った。
 それが涙だったのかは、解らない。
 ただ胸が苦しくて切なかっただけだ。
 望美は少し前を歩く将臣を真っ直ぐと見つめながら、息が上手く出来ていないことに気付いた。
 将臣の横には、綺麗な女性。
 いつもそうだった。
 将臣の隣でいるのは、綺麗でおとなびた女の子。
 まだまだ”小さなのんちゃん”のイメージが抜けないのか、将臣は小さな女の子のように扱ってくる。
 幼なじみだからか、何時まで経っても同じ扱いをしてくる。
 平行線ばかりで、何時までも交わることなんてないのではないかと思ってしまう。
 望美は、溜め息をつくと、将臣と距離を広げるために、少し緩やかに歩いた。
 駅に着くと、将臣がホームに立っている。何だか声をかけづらくて、俯いてホームに立っていた。
「おい」
 よく響く声に、望美はハッとして顔を上げる。
「将臣くん」
「一緒に帰ろうぜ」
「そうだね」
 何故だか心から笑えない。だが、ごまかして笑うと、将臣は眉を寄せた。
「何かあったのかよ」
「何にもないんだよ、本当に何も」
 幼なじみの深い藍色の瞳は、総てを見通しているようで、胸が苦しくなる。
 望美は苦しさを堪えながら、また笑顔を作った。
「大丈夫だよー本当に!」
 からりとした笑みを浮かべたとしても、将臣の瞳をごまかすことなんて出来やしなかった。
「…ごまかすなよ」
「ごまかしてなんかないんだ、ホントに」
 将臣は諦めたように溜め息をつくと、肩から力を抜いた。
「お前がごまかしていねぇっていうんなら、そういうことにしておくけれどな」
「そういうことにしておいてくれると助かるよ」
 にっこりわざと微笑むと、将臣は綺麗な顔に不機嫌さを漂わせた。
「将臣くんはデート?」
 望美がさらりと聞くと、将臣は顔をしかめる。
「そうなのか、どうなのか、はっきり言って解らねぇよ」
「そんなものなの?」
「なんつーかさ、マジで解らねぇんだ。笑っている姿とか、仕草とか女らしくて良いと思ってたのに、いざ、一緒に出掛けてみると、何か違うんだよな。話していても、全然話はあわねぇし、しかも、こちらに意見を合わせさせようとしたり、腕を組んでこようとしたり。ハンターみてぇな瞳ってあるじゃねぇか? あんな目で見られちまうと、こちらも疲れちまうんだよな。何だか、面倒臭くなっちまって。よく、言葉じゃ説明出来ねぇんだけれど、ま、そういうことだ」
 将臣は望美には本当のことを包み隠さず話してくれるところがあるせいか、思わず相槌を打ってしまっていた。
 どこか苛々しているかのように、将臣は髪をかきあげる。
 その姿を見つめながら、いつか将臣の心を掴むのは誰なんだろうと、望美はぼんやりと考えていた。
「お前こそ、何をしていたんだよ」
「買い物。ほら、いっぱい買ってきたんだよ。殆どはお菓子なんだけれどね!」
 望美が荷物を将臣に見せると、納得したように頷いてくれる。
「そうか」
 ちょうど江ノ電がホームに滑り込んできて、ふたりは乗りこもうとした。
「うわっ!」
「おっと」
 望美が乗降口で躓いてしまうと、直ぐさま将臣が抱き留めてくれた。
「おい、大丈夫かよ!?」
「うん、有り難う」
「ったく、相変わらずそそっかしいよな」
 将臣はくつくつと笑いながらさりげなく望美の手を取ると、シートまで連れていってくれた。
「有り難う」
 しっかりと結ばれた手が心地良い。自分だけに許された特権のように思えて、望美は優越感に浸りたくなった。
 シートに腰を下ろした後で、将臣の手が離れていく。
 何かを失ったような気分になり、望美の胸は切なくきゅんと鳴り響いた。
「ったく、お前はいつも何かをしちまうよな。一緒にいて、飽きないな」
 ドキリとするような発言に、望美の恋心は高まっていく。
 幼なじみに恋していると気付いたのは中学生の頃。それが蓄積をされて、今や溢れ出しそうになっていた。
「そんなに笑わないでよ」
 わざと頬を膨らませてみせると、将臣は涙を滲ませて笑う。
「気を遣わなくていいし、こうして一緒にいてもマジで楽しいよな。お前となら疲れねぇからな」
 さりげなく言われると、余計にドキドキしてくる。心臓が悪いことを何度も言われてしまい、望美は過呼吸寸前になっていた。
 電車が極楽寺駅のホームにゆっくりと滑り込み、ふたりは立ち上がる。
 ふと将臣にしっかりと手を握り締められる。
 心臓がまた大きく跳ね上がった。
「あ…」
「また躓いたら困るだろ?」
「有り難う…」
 ふたりで手を繋いで降りると、まるで恋人同士のような気分になる。
 もしただの幼なじみでなかったら、恋人同士だったら、こんなにも嬉しいことはないのに。
 望美は軽く唇を噛んだ。
 降りた後も、将臣は手を離さない。
 望美もまた離したくなくて、お互いに指を絡ませたまま、無人の改札をくぐり抜けた。
 夕日が極楽寺坂の緑を美しく照らしている。お互いに、家路に着くのは勿体ないと感じてしまい、駅前で立ち尽くしてしまう。
「…さっきね、将臣くんが女の子と歩いているのを見たんだ」
「歩いていたって表現が一番正しいかもな」
 将臣は否定することなく、淡々と事実を述べている。その事務的な態度が、どこか冷たく感じられた。
「デートなんでしょ?」
 望美は胸の痛みを感じながら、掠れた声で呟いた。
「…名目上はな」
「名目上?」
「デートって普通は、一緒にいたら楽しいもんだろう? だけど少しも楽しくなんかなかった」
 将臣はフッと投げやりの表情をすると、望美を見つめた。
「楽しくて、ドキドキして、だけど傍にいたくて…。そんなもんがちっとも感じなかったんだよ。マジでな」
 将臣は望美の心にまで響いてくるような視線を、真っ直ぐ投げてくる。
「…将臣くん…」
 まるで視線に束縛をされたように動けなくなり、望美はただ揺れる瞳を向けるだけだ。
「…望美、お前と一緒にいるほうが、余程楽しいし…、余程ドキドキする…」
 眼差しがしっかりと絡んでー艶めいた雰囲気が流れてくる。
 将臣は望美を抱き寄せると、恋情を抱擁の強さや、熱で表してきた。
「…こうされるのは嫌か?」
 声が出ないぐらいに胸がいっぱいになり、望美はただ首を横に何度も振る。
「じゃあ、こうされるのは嫌か…」
 心の準備が出来ぬまま、将臣の唇が近づいて来た。
 しっとりと唇が重なりあい、望美を追い詰めていく。
 逃げられない、恋心からは。
 しっとりと唇が離れた後、将臣は望美の耳元に囁いてきた。
「…好きだ…」
 望美は将臣の言葉を飲み込むと、それに返す言葉を囁く。
「…私も、好きだよ…」
 ふたりは顔を見合わせて笑うと、もう一度唇を重ねた。



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