真夏の陽射しが勢いを増す頃、望美は調子を崩してしまった。 こんなことは、自然豊かな島に来てからは初めてのことで、将臣の心配ぶりはかなりのものだった。 食べ物を食べても吐いてしまうし、顔色も時折青白いせいか、将臣には絶対安静を命じられている。そんなに 大袈裟なことではないと望美は思っていたが、将臣は違っていた。 ただの夏ばてだ。その証拠に具合は良いときもちゃんとあるのだ。 「普段はこんなに元気なのに、食べると苦しいだなんて。まさかここに来て夏ばてをするなんて、思いもよらなかったよ」 望美が意気消沈していると、将臣は険しい顔をして肩を抱いた。 「長い船旅だとか、今までの疲れがたまっちまったのかもしれねぇな。ゆっくりと養生しなくてはならねぇからな」 将臣は望美の髪を優しく撫で付けながら、たっぷりと甘やかせてくれる。普段は、厳しい将臣だが、病気になるととても優しかった。 「…俺は漁に出るが、今日も温和しくしているんだぜ。何かあったら尼御前に相談しろ」 「うん、有り難う、将臣くん」 将臣を見送った後、また酷くお腹が空いてしまい、望美は海藻を使った料理をいくつか作って食べた。 「ムカムカするのに食べたくなるなんて、ヘンな話よね」 望美はひとりごちながら、大量の海藻を食べる。だが、ちっとも美味しくはない。将臣が傍にいないからだということは、解っているから。やはり美味しい食事というのは、大好きなひとと一緒が良い。 お腹をいっぱいになると、望美はごろんとひとり横になった。 朝から洗濯も掃除もしたから別段何もすることはないし、しかも眠い。 「本能の赴くままの生活をしているよね、私は」 ころころしながら、望美は穏やかな幸福の喜びを噛み締めていた。 うとうとしているのを破るかのように、不意に気分が悪くなる。 「…海藻…食べ過ぎたかな…」 余りに気分が悪くて、望美はまた吐いてしまう。 苦しい。 こんなことが何度も続くと、流石に胃かどこかが悪いのではないかと勘繰ってしまう。 それぐらい苦しかった。 一通り吐き終わった後も、まだ気分が優れない。 望美はおたおたと風通しが良い部屋に行き、横になった。 ずっと熱くて、熱を持っているような気がする。将臣に言うと余計に心配するから、黙っておいたのだ。 最近の将臣はかなりの過保護だからだ。 「…ホントに変な病気だったらどうしようかな…」 不安が頭を擡げてきて、望美は泣きそうになってしまった。 「望美さん、良い貝が手に入りましたよ! 持ってきましたから、ご一緒致しましょう」 優しい声が外から聞こえる。 きっと尼御前だ。 望美は熱くて重い躰を起こすと、よろよろと玄関に向かった。 「…こんにちは、尼御前…」 努めて笑顔を作ろうとしたが、どうしても引き攣ってしまう。 望美の表情に、尼御前は眉を寄せた。 「どうされたのです!? 顔色がかなり悪うございますよ!?」 倒れそうになりながら玄関に立った望美を、尼御前は慌てて支えてくれる。 「…ずっと、気分が悪くて…」 「将臣殿も心配されていましたから、そんな状態で起き上がってはいけませんよ。さ、早く横におなりなさい」 「…すぐ治まりますから」 「ですがちゃんと休まれないと」 尼御前は、望美を支えながら、寝室まで連れて行ってくれた。 ようやく横になるとホッとしたのか、気分は随分と楽になる。 「こうすると大丈夫です。だけどホントに食べ過ぎなんです。凄くお腹が空き過ぎて、大量の海藻を食べて、戻しただけなんですから。私、食いしん坊なんですね。こんなことがくりかえしているから、将臣くんも心配していますが、大袈裟なんですよ」 食べ過ぎなのは本当のことであると同時に、かなり恥ずかしい。そのせいで、望美の頬も赤らんでいた。 「…大量に食べては戻すことを繰り返しとおられるのですか?」 尼御前は何か神妙な顔をしてこちらを見ている。 何か思い当たる病気があるのだろうか。望美は不安でたまらなくなった。 「後、他に症状はありますか?」 「あ、あの…、熱いような気がします…。体温が」 望美が素直に答えると、やはり予想通りだとばかりに、尼御前はしっかりと頷いた。 「え…、何か思い当たることでもおありになるのですか!?」 冷や汗が出るほどに望美は不安になり、尼御前を縋るように見つめた。 それを総て受け止めてくれる笑みをこちらに向けてくれている。 「…望美さん、最近、月のものはおありになりましたか?」 指摘されてみれば、最近はご無沙汰していたように思う。産まれた世界のようにせかせかとしているわけではないせいか、きっちりカレンダーで解るわけでもなかった。 正直、気にしてはいなかった。 「そういえば…最近、なかったような…。ま、まさか!? 深刻な病ですか!」 婦人科の深刻な病ならどうしようか。望美は泣きそうになってしまう。 折角、将臣とふたり幸福になれたのに、ここで病気になってしまえば、どん底まで落とされてしまう気分だ。 尼御前をそっと盗み見た。 相変わらず穏やかな表情を湛えている。それどころか、どこか楽しげな表情すらある。 望美は益々不安になった。仏門にいるがゆえに、こんなに穏やかな表情を取ることが出来るのだろうか。望美は最悪のことを考えながら、口を開いた。 「…あ、あの…」 「…望美さん」 「は、はいっ!」 優しくも凛とした声と眼差しに、望美は背筋を伸ばす。 「…ご懐妊されているのでは…?」 「あ、赤ちゃんっ!?」 確かに出来ていてもおかしくないことは、将臣と毎日のように交わしている。 いつかは、ふたりの子供が欲しいとは思ってはいたが、こんなに早くその日が来るとは思わなかった。 心の準備が全く出来ていないと言っても良かった。 「嬉しくはないのですか?」 尼御前の言葉に、望美は思わずびくついてしまう。 「望美さん?」 「もちろん嬉しいです! 将臣くんの赤ちゃんだし。ただ、心の準備が出来ていなくて…、びっくりしてしまっただけです…」 望美が正直な気持ちを話すと、尼御前は優しく頷いてくれた。 「そのお気持ちは解ります。不安でいらっしゃるんでしょう…。私も知盛を身篭ったときはそうでしたから」 「尼御前…」 ここで将臣の子供を産む。 頼れるのは尼御前しかいない。 将臣も頼りにはなるが、やはり女性の頼もしいひとが必要だ。 「いっぱい頼ってしまいますが、よろしくお願いします!」 「はい、喜んで」 尼御前はゆったりと微笑むと、望美を抱きしめてくれる。 鼻孔をくすぐる香りに、母親を思い出し、望美は甘い痛みを感じた。 お母さん、お父さん…。 望美はこの世界で、将臣くんの赤ちゃんを産みます。 夕方、漁から帰ってくる将臣を、迎えに行った。 「将臣くん!」 手を振ると、将臣がこちらにやってきてくれる。その手には立派な魚が持たれている。 「ただいま」 「おかえりなさい。大量だったね!」 「ああ。立派なのを釣って、お前に食わせてやろうと思ってな」 その一言に望美はドキリとする。将臣は気付いているのだろうか。 望美が将臣の子供を身篭ったことを。 ふたりはしっかりと手を繋いで、夕焼けの海岸を家に向かって歩き出す。 「…ま、将臣くん、気付いていた?」 望美ははにかみながら、探るようにきいてみた。 「何を?」 将臣は心あたりなどないかのように、首を捻っている。 「……赤ちゃんが出来たみたいなんだ……」 囁くと、将臣の手が更に強く握りしめてきた。 「…有り難うな。嬉しいぜ」 落ち着いたトーンではあったが、この一言で様々なことが感じられた。 喜んでくれていること。 子供に対して強い責任感を感じてくれていること。 望美への感謝と愛情。 それらが温かな感情になって、望美の心に降り注ぐ。 「…ふたりで大切に育てていこう」 「うん」 家に着いて、いつもより決意を込めて抱き合う。 ふたりにとっては、ようやく新たな一歩を踏み出したばかり。 その想いを込めて、肌を重ね合った。 明け方、疲れて眠る望美を改めて抱きしめ、将臣は甘く囁く。 「愛してる…。サンキュな」 額に幸福のキスをあげた。 |
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