鎌倉の灯り


 闇に沈む鎌倉の町に浮かび上がる温かな明かりを数えるのが好きだ。
 小さな頃、稲村ガ崎公園で夕日を見た後、将臣とふたりで手をしっかりと繋いで、明かりを数えるのを競争した。その後に待っていたのは、親からのこっぴどい叱責だったが、楽しい想い出に、少しも後悔はなかった。
 ふたりともけろっとしていたのを思い出す。
 あの頃と同じように、今日もこうして稲村ガ崎公園に立って、過ぎ行く一日を見送っていた。
 しっかりと絡み合った指先は、もう離そうとしても取れないぐらいに固く結ばれている。
 小さな頃は、闇という未知の部分が恐くて、まるでふたりがお互いに護り支えあうかのように硬直した強さがあったが、今は違う。
 護り支え合うのは同じだが、今は離れたくないからこうしてしっかりと指を絡ませている。
「あの辺りかな、極楽寺の私たちの家は」
「あの辺りだな。あっちが高校で、江ノ島、七里ガ浜…」
 将臣はひとつずつ指を指しながら、まるで故郷の温もりを確認するかのように見つめていた。
「やっぱ極楽寺の家あたりが、一番温かいよねー」
「そうだな。一番暖かい光だな…」
 将臣はスッと目を細めると、遠い記憶を手繰り寄せるように深い声で呟く。言葉の響きがどこか切なくて、望美は胸が痛いぐらいに収縮するのを感じた。
 小さな頃からずっと好きだったひと。恋の駆け引きをどうこう言う前に、気付いたら好きだった。近過ぎる存在だったせいで、駆け引きを考える前に出来なかったのだ。どうしたらもっと好きになってくれる。そんなことを考えて行動しても、結局は友情が深まるだけの結果に終わっていた。
 それがようやくこうして手を繋いでいられるようになった。友人ではなく、恋人として。
 ふたりでまるで小さな子供のように明かりを数えて、夕食当てクイズなどをして大いに盛り上がる。結局は、ハヤシライスだのカレーだのばかりが出てしまい、お互いの知識のなさに笑った。
 だが笑えば笑うほど、少し切ない。
 結局は極楽寺の明かりを見てしまうから。
「今夜の夕食は、みんなが張り切って作ってくれるって、言っていたよね。お礼だって。何が出てくるかなあ」
「譲が総監督を務めてくれているから、まともなもんが出てくるだろ」
「多分ね」
 朔はまともだとは思うのだが、坊ちゃま育ちの九郎や、リズヴァーン、敦盛あたりが作る料理は、正直言って想像したくはない。
 弁慶に至っては、妖しい漢方薬を使いそうだ。
「まあ、譲と梶原兄妹がいれば…、何とかなるだろ」
 将臣も想像したくはないらしく、苦笑いをしていた。
「だけど楽しい晩餐になるのは違いないよね」
「そうだな。賑やかな晩餐になるだろうな」
 ふたりとも明るく楽しい雰囲気は大好きだし、ドンチャン騒ぎにも積極的に入っていくほうだ。だが、これが最後だと思うと、妙にしんみりとした。
 その先のことを考えてしまうだけで、二人揃って押し黙ってしまう。
「…明日、みんな帰っちゃうんだね…」
 ボツリと呟いた望美の声は、まるでおいてきぼりを食った子供のように響いていた。
「そうだな…。今からそんな顔をするな」
 今にも泣いてしまいそうで鼻を啜ると、将臣が大きな手で髪をくしゃくしゃにしてきた。
 慰めるのと、心を沈ませないように。
「…うん。だってこんな顔をするのは、将臣くんの前だからだよ。みんなしんみりしちゃうから」
「解ってる」
「だけど、もうひとつお別れが切ないものもあるんだよ」
 差し込む夕日が将臣の輪郭を消し去り、それがおとなびた精悍さを強調させている。
 大人の男の色香に、望美はドキドキしながら、将臣を見上げた。
「将臣くんのこの姿も、見納めだね」
「そんなに気に入っていたのかよ!?」
 どこかふざけるような苦笑いを浮かべながら、将臣は望美の頬を撫でる。
 仕草をひとつ取っても、将臣は堂々とした大人の男性だった。
 望美とは実際の三年の違いではなく、それ以上のものすら感じていた。
「また会えるだろ? この年齢の俺には」
「ううん、もう会えないよ…」
 望美は、目頭が熱くなるのを堪えながら、震える声で呟く。それを将臣が怪訝そうに聴いている。
「どうして?」
「…だって、たとえ姿は17になったとしても、将臣くんの心は時間を重ねているんだよ。同じ姿になっても、雰囲気は違うような気がするな。将臣くんが21になったら、もっと大人の雰囲気になっていると思うよ。今よりもずっと…」
「そうか?」
「そうだよ」
 何とか泣くのを堪えて肩を震わせていると、不意に将臣に抱きしめられた。
「お前だってさ…前より良い女になっているさ。悔しいぐらいにな。だからおあいこだろ」
 甘さが滲んだ声で囁かれると、心も躰の奥深い場所も、総てが疼いてくる。それは決して不快なものではなく、むしろ気持ちが良すぎて苦しかった。
「…将臣くんが凄くすてきな17になったら、きっと女の子にモテモテだね」
「んなことねぇよ」
「そんなことあるよ! だから私…」
 胸の奥がもやもやとしてしまうのだ。嫉妬だということは解っている。
 自分の醜い感情が嫌で、望美は黙り込んだ。
「…モテモテだって俺には関係ねぇよ。俺の好みの女にモテなきゃ意味ねぇし」
「ねぇ、好みの相手って…」
 気分がどんよりと沈んでしまう。望美は溜め息をつくと、小さく俯いた。
「…好みの相手か…そうだな…」
 拘束する将臣の腕が強くなる。
「俺の腕のなかでしょんぼりしているヤツ。こんなことを誰彼構わず俺はしねぇのに、鈍感にも気付かないヤツ」
「あ…」
 将臣の言葉に思い当たるのは、たったひとりしかいない。
「私?」
「さあな」
 将臣ははぐらかすように笑うと、望美を更に抱きすくめた。
「…21の俺をしっかり刻みつけておけよ…。正真正銘の21になったら、今より良い男になっていてやるよ。だからお前も、俺に釣り合うような良い女になれよ」
 将臣は望美の鼻を撮むと、擽るようにくにくにと動かす。
「もうっ! 将臣くんのバカっ! そっちこそ凄い自信だね」
「俺もお前が目移りしねぇような良い男になってやるさ。覚えておけ」
「楽しみにしているよ」
 本当は望美も解っている。将臣以外の男性に目移りすることなど、有り得ないことを。
 ふたりでじっとしながら、お互いの温もりを確かめ合う。優しい温もりに、望美は総てが癒されるような気がした。
「…将臣くん、いくつでもどんな姿でも、良い男だよ。だけどもっと良い男になるのを、楽しみにしているね」
「ああ。お前も良い女だが、もっと良い女になるのを、楽しみにしているぜ」
 たゆたゆと闇に漂うように、ふたりは鎌倉の明かりを見つめる。
 きっと明日も同じ明かりを見ることが出来るだろう。元の姿に戻った将臣と一緒に見られるに違いない。
「…そろそろ晩餐が出来るんじゃねぇか。戻るか」
「そうだね」
 将臣は望美から束縛をとくと、手をしっかりと繋ぐ。後少しだけ。ほんの少し年上の幼なじみとのひとときを楽しみながら、望美は家路に急いだ。
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「迷宮」話





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