*あなた(お前)がいたから*


 皆を元の時空に送り出したあと、望美は余り笑わなくなってしまった。
 いつも寂しそうに空を見つめている。それを見る度に、俺の胸も痛んだ。
 勿論、俺もあちらの時空に未練がないわけじゃない。遺してきたもの、やり遂げられなかったものは五万とある。
 だが俺はこっちの世界に残った。それは生まれ故郷であるということと、何よりも望美がこっちにいたからだ。
 なんて単純な理由。
 本当はもうかったるい高校生をやるなんて、何を今更だと思ってはいる。
 だがそれでもここにいるのはアイツがいるから。
 とうの昔に大人の男にならざるをえなかった俺を、複雑怪奇な俺を、唯一理解してくれる女だから。
 だが最近、アイツが遠くばかりを見ているものだから、他に好きなヤツがいたんじゃないか、いるんじゃないかと、思わずにはいられない。
 あの時空にいた頃は血色が良くて本当に明るかったのに、今はその面影がないほどに暗くなっている。
 俺は気が気でなくて、望美以外のなにも目に入らなくなってしまっている。
 授業が跳ねて、俺たちは一緒に帰る。こうやって毎日のように手を繋いで帰ることなんてなかったのに、今はそれを日常茶飯事のようにしている。
 手を繋いでいないと、そばにいないと、アイツはふらりと何処かに行ってしまうような雰囲気があった。
 クラスメイトや、他のクラスの奴等は、俺たちが正式に付き合い始めていると思っているみたいだが、勿論、そんなことはない宙ぶらりんな関係になっている。
 譲は部活があるからアイツのそばにはいられないから、役得と言えばそうだったりする。
 俺たちは日常に解け合うように、努力をしていた。
「…将臣くん、海を見たいな…」
「七里ヶ浜に下りるか?」
「有り難う」
 俺たちは肩を並べて七里ヶ浜へと向かう。国道を越えると直ぐに七里ヶ浜だ。
 どんよりと濁っているけれど、砂浜も相変わらず重いけれども、ここが一番好きな海だ。
 俺たちの故郷だ。
 七里ヶ浜に下りると、望美は砂浜に足を取られながらも、ゆっくりと確実に歩き出していた。しっかりとした足取りに、俺は安心する。それはまるでこの世界に足を付けて生きて行くことを宣言しているように思えたからだ。
「やっぱり寒くても七里ヶ浜の風は気持ちが良いね…。清々しい気分になっちゃう」
「そうだな」
 風に髪を靡かせている望美を見つめていると、本当に綺麗だ。透明で、俺が抱き締めたら、それこそ弾けて消えてしまうんじゃないかと思うぐらいに。
 どうしてそんなにも綺麗なんだよ。他の男に綺麗なお前を見せたくないなんてバカなことを、俺はぼんやりと思っていた。
「きゃあっ」
 望美の華奢な躰が風に飛ばされそうになり、俺は思わず抱き留める。
 柔らかな躰。優しい暖かさ。
 このまま強く抱き締めて奪ってしまいたくなるような衝動に、俺は駆られていた。
 ギュッと抱き締めると、望美は僅かに震える。
 そんなに俺が嫌なのか?
 それとも、他に好きなヤツでもいるのか?
 胃がキリキリと差し込むように痛い。口のなかが似顔絵味でいっぱいになってしまった。
「…すまねぇ」
 俺が抱擁を解くと、逆に望美は泣きそうな顔になっていた。
「将臣くん、大丈夫だよ。平気だよ、抱き締められるのは…。そ、その、あ、あの…、抱き締められるのは平気というか…、ちょっとドキドキしただけだよ」
 頬を染めてはにかんだ望美の顔を見て、俺はほんの少しだがホッとしていた。
 望美のはにかんだ顔が可愛いくて、今度は倒れないようにギュッと手を握り締めると、優しく握り返してくれた。
 今更ながらだが俺の幼馴染みは良い女なのだと改めて思う。
 あっちに行く前は、あいつがあんなに良い女だなんて、正直、意識をしたことはなかったから。
 俺は望美の手を握ったままで、海を眺めた。
 ただ手を握っているだけなのに、どうしてこんなにも汗が出るんだよ。全く馬鹿げている。
 俺は心臓が貧乏揺すりでもしているんじゃないかと思うぐらいに、鼓動をはねあげさせながら、ずっと望美を そばで感じていた。
 望美はふと寂しそうに笑うと、虚空を見る。
 その世界に、勿論俺なんて入り込んでいくことは出来ない。何だか悔しくて切なかった。
 こうして手をしっかりと繋いでいるのに。
 こうして俺が側にいるというのに。
 望美は空を見上げることしかしない。まるで俺なんていなくても良いかのように。正直、それはかなりキツかった。
 俺がいるだろ?
 他に好きなヤツでもいたのか?
 だったらどうしてそいつと一緒にあっちに行かなかったんだよ。
 俺は呼吸困難になるのを感じながら、かなりイライラしていた。

 夕陽が海を照らす頃、俺たちは家路についた。
「将臣くん、付き合ってくれて有り難う。嬉しかった」
 頬を染めて俺だけに礼を言ってくれる望美を見ると、イライラなんてどこかに行ってしまう。全く俺って現金だ。
 俺は思い返す。確かにイライラするのは贅沢なのかもしれない。俺たちは一緒にすらいられなかった時期があったのだから。

 翌日、望美は風邪を引いてしまった。
 以前の望美なら、こんなことはなかっただろうに、今の望美は疲れが沢山溜まっているようで、かなり弱々しかった。
 望美がいない味気無い学校が終わったあとで、俺は望美を見舞うために、一目散で家に帰った。
 自分の感傷に浸っている場合なんかじゃない。今の俺にとっては、望美の塞ぎ具合のほうが余程心配だった。
 あいつがまた元気になって笑ってくれるならば、何だってする気分だった。
 望美を見舞いに行くと、ベッドに横たわり、どこか力なかった。
「見舞いに来た」
「有り難う、待ってたんだよ」
 人寂しそうな潤んだ瞳で見つめられると、俺はどうかしちまいそうになる。
 可愛くて切ない望美の表情。その影を、俺の手で思い切り拭ってやりたかった。
「色々連絡とかがあるから持ってきた」
「…有り難う」
 望美はまた寂しげに笑う。俺はその憂いがある表情に耐え兼ねて、とうとう切り出した。
「…なあ、あっちに戻りたいなんてことはねぇよな…?」
 俺の言葉に、望美はかなり驚いていたようだった。
「ないよそれは。決してね」
 望美は最近には珍しくキッパリとした強い意志を示す。だったらどうしてそんなにも寂しい顔をするんだ?
「…将臣くん、何だか寂しかったんだ…。あんなにみんなでわいわいやっていたのに、急にね、最初からみんなが居なかったみたいに消えてしまって…。ホントに跡形もなく…。だからいたたまれなくて、泣きそうになって…。ずっと寂しかったんだ…。だけど随分とマシにはなったんだよ…」
 望美は苦笑いを浮かべると、俺を真っ直ぐと見つめた。なんて可愛くて、綺麗なんだと思う。
「…だけど将臣くんが切なそうに私を見る姿を見ていたら、いつまでもノスタルジックに浸ってもしょうがないんだなって思ったんだよ。将臣くんにはいつも笑っていて欲しいから」
「それは俺の台詞」
 俺が額を指先で弾くと、望美は笑う。
「だって私がここにいるのは将臣くんがいるからだよ。だからここにいるんだ」
 心臓が完全に射抜かれた。
 ダメだ。もうたまらない。
 俺は無意識に望美をギュッと抱き締めていた。
「…ね、暫くずっとこうしていて? 寂しくないように」
「ああ」
 俺は望美が望むように抱き締めてやる。
 俺たちのこころは、また一歩近付いた。





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