*あなたの忘れ物*


 手をしっかりと絡ませ合って、将臣と一緒に日坂を下りた。ここから見る七里ヶ浜の風景は、心の中の一番美しい場所に、額に入れて飾ってある。
 こうして手を繋いで歩いているだけで、抱きしめたいほどの幸せが溢れてくる。ずっと手に入れたかったものが、望美の掌に落ちてきたのは、もう六年も前。それからずっと離さずにきたし、これからも離すつもりはない。一度手にしたものは、絶対に離さない。
「この坂下りるの五年ぶりだな」
「そうだね。高校卒業してから、一度もこうして下りてないものね」
 望美は甘酸っぱい懐かしさに目を細めながら、七里ヶ浜の風景を見つめた。ここには、青春の光と影が、凝縮されて横たわっている。
 こうして手を繋いで一緒に坂を下りたことも、切なくておびょおびょと泣きながら、ひとりでこの坂を下りたことも、今はもう優しい想い出だ。
「こんなデートも良いものだね」
 ノスタルジーが詰まった坂をこうして下りていると、まるで高校時代に戻ったようだ。
 横にいる恋人は、高校時代よりも精悍になり、逞しい大人の男に成長した。時折、子供の頃と同じ無邪気な欠片を見せてくれるが、そのきらめきと、大人の男としての堂々とした魅力が、望美を更に夢中にさせている。
 高校生の頃よりも、将臣が好きだ。あの頃の想いが育ち、今は愛となってふたりを強く結びつけてくれていた。
 将臣はスーツのジャケットを肩に引っかけ、堂々とした姿を見せている。高校時代よりもしっかりとした肩のラインや、筋肉が綺麗についた胸のラインが、男の色香を滲ませていた。
 高校生の時も、「男」だと思った。だが今は、あの頃よりも数倍の艶めかしさで「男」を感じる。
「今日のデートは特別だって、識ってたか?」
「特別?」
「どうしても、やり忘れたことがあったからな」
「やり忘れたこと?」
 望美は何も思いつかずに、思わず小首を傾げてしまう。
「これだ」 将臣は望美の肩を抱き寄せると、いきなり唇を奪ってきた。
 甘くて、だが理性を失った野獣のようなキス。望美の総てを、余すことなく奪うように、将臣は激しく唇を吸い上げてきた。
 湘南の海に安らかに沈む太陽に照らされて、望美は瞼の裏が熱くなる。
 夏休みとはいえ、高校生が通るかも知れないのに、将臣は堂々とエロティックなキスを続ける。
 将臣と膚を重ね合った夜を思い出し、望美は夕陽と同じぐらいに、全身をオレンジ色に染め上げた。
 幸せな呼吸困難に、今にも目眩で倒れてしまいそうだ。
 将臣はようやく望美をキスから解放すると、その胸に抱きしめてくれる。すっかり、成熟した男と女になったふたり野から打破、高校生の時よりも、更に熱く密着をした。
「ここでキスしたことなかっただろ?」
「…だって、みんな見ていたし…」
 望美がごにゅごにょと言葉を濁すと、将臣はその頬を撫でる。
「恋人として、やりたいことはこれですべてやったからな」
 将臣は望美の瞳は、今までにないほどに真剣に見つめてくる。
 ひょっとして、将臣は自分に飽きてしまったのではないだろうか。ひょっとして、これで長かった蜜月のような恋人期間を打ち止めにするのではないだろうか。
 まるで夕立前の不気味な暗雲が立ちこめたように、望美の心は一気に沈んでいく。
 望美の表情の変化に気付いたのか、将臣はまるであやすような優しい微笑みを、フッと浮かべた。
「…とっとと俺の嫁になりやがれ。もう限界だからな」
 頭から抱えられるようにその胸に抱きしめられ、望美は将臣の鼓動が激しく高鳴っているのを聴く。
 きっと待っている。たった一言を。望美は深呼吸をすると、愛おしい人が待つただ一言を囁いた。
「はい。将臣くんのお嫁さんになります」





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