喧嘩の原因なんて、いつも些細なことばかり。 小さなことを大きく感じてしまうなんて、余りに長い間、中途半端な状況が続いてしまったのか。 それとも、ただの自分のわがままなのかは解らない。 ただ不安過ぎて、精神的な安定を来たすことが出来ないでいるだけ。 ただバッグと車のキーだけを持ってマンションを飛び出したのは午前五時。 最近は空が明るくなるのも早くなって、既に明るく白んでいる。 外の空気もそこはかとなく気持ちが良かった。 マンションの部屋から駐車場まで、エレベーターで行けばほんの五分とかからない。 将臣の側から離れてキッカリ五分後には、望美は車のキーをダッシュボードに投げて、エンジンを掛けていた。 免許を取って二年。 中途半端な自信が芽生えて来る頃だ。 望美はハンドルを握り締めると、宛のないドライブに出掛けた。 目に染みるぐらいに空と緑が美しい。綺麗なものを見ると気が晴れるはずなのに、なかなか晴れ上がらない。 常に燻っていることがあるからだろう。 ずっと不安だった。 愛されているのは分かっているつもりだが、この先のことを考えると切なくなってしまう。 ずっと一緒にいたいのは自分だけで、将臣はそんなことを少しも考えてはいないような気がしていたから。 明確な永遠の約束がなくても、ふたりはずっと一緒にいられると思っていた。 なのに今は、明確な約束がないと、不安で落ち着くなんて出来なくなってしまっている。 いつからこんなに弱々しい関係になったのだろうか。 そんなことを考えながら、望美は車を海に向けて無意識に走らせていた。 窓を少しだけ開けて、自然の風を感じてみる。 信じられないぐらいに快適で、緑の香りすら感じている。 ゴールデンウィークは車が殆ど走っていないからかもしれない。 しかも早朝だ。 これほど清々しい日和はない。 横浜方面へと車を走らせて、横目に清々しいブルーを楽しんだ。 ご機嫌な一日の始まりなのに、気分は全く乗ってこない。 気分を高揚させるために、爽やかな洋楽ロックを聴かせてくれるラジオを捻った。 青くて心地よい風、耳障りの良い海を思い起こさせる音楽。 なのに、全く気分は盛り上がらなかった。 ほんの一週間前の休日、将臣とふたりで同じ道をドライブした。 あの時は本当に楽しくて堪らなくて、奇声すら上げそうになるぐらいにご機嫌だったのに…。 今は横に誰もいない。 緩やかに運転してくれるひとは、横にいないのだ。 あの時ふたりで食べた朝食を食べるために、望美はカフェレストランに車を停めた。 あの時は空いていたことをとてもロマンティックに思っていたというのに、今はただ寂しいだけ。 今の自分は太陽に愛されない向日葵のようだと、望美は思わずにはいられなかった。 あの時と同じように、グラインダーとカフェオレを頼んだ。 酢漬けのキャベツと熱々のソーセージが挟んであるグラインダーは、ホットドッグの親戚のようなもの。 あの時は世界一美味しいと思っていたのに、今はそのようには思えない。 きっと今食べるものは総て、ゴムを食べるのと同じような感覚しか得られないだろう。 望美はカフェオレでグラインダーを流し込むと、カフェを直ぐに出た。 先週よりも長居しなかったせいか、時間的にも余裕があり過ぎてつまらなかった。 車を走らせて、海を目指す。キラキラと輝く横浜港を通り過ぎると、いつものくせのように鎌倉に向かって走っていた。 先週は鎌倉の海をふたりで見に行った。 故郷の海だからロマンティックなことを想像してしまう。 今度こそ永遠の約束を貰えるかもしれないと、勝手に想像していたのが悪かったのかもしれない。 鎌倉近くまで来ると、懐かしい香りにこころまでが解けてくるような清々しい気分になった。 近くの駐車場に車を停め、望美は懐かしい七里が浜へと向かった。 いつもこの浜辺で将臣と戯れていたのを思い出す。 初めてキスをしたのもここだった。 様々な甘くて楽しい思い出が巡ってきて、泣きそうになってしまう。 将臣から離れたくてやってきたというのに、結局は想い出が沢山詰まった場所にたどり着いてしまった。 結局はどんなことをしても、将臣からは離れることは出来ないのだ。それぐらいにこころのなかの総てを、将臣に支配されてしまっている。 望美は砂浜に座り込むと、生まれたての海の空気を吸い込んだ。 もうすぐこの辺りもかなり混雑をすることだろう。 誰もが楽しいゴールデンウィーク。 なのにちっとも楽しくないどころか、逆にかなり沈み込んでしまった。 溜め息ばかりが唇から零れてしまい、自分で自分が嫌になってしまう。 手のひらで砂をすくってはするすると手から離していく。 何だか切なくて泣けて来た。 「…やっぱりここにいたんだな…」 優しく深みのある声が背後に聞こえ、望美は心臓が止まってしまうのではないかとすら思った。 一番聞きたくて、一番聞きたくなかった声の主が後ろにいる。 「無視かよ…」 怒るのも通り過ぎて半ば呆れ返っているような声が、背後から聞こえて来る。 こんな声を聞かされれば、振返る勇気なんてなくなってしまう。 「しょうがねぇ女だな…」 将臣は溜め息混じりに呟くと、急に背後から抱きすくめてきた。 「ま、将臣くんっ!?」 「お前が逃げたら捕まえる。ただそれだけだ」 将臣はもう望美を離さないとばかりに強くしっかりと抱き締めてくれる。 呼吸も鼓動も、何もかもがおかしくなってしまう。 「…出て行くな。かなりヘコむ」 「将臣くん…」 普段は余り見せてはくれない将臣の感情が、望美のこころに体温となってダイレクトに響き渡る。 胸が締め付けられるほどの甘い切なさが、こころを充満していく。 「…帰ろうぜ」 「だけど…」 「お前が動かないんなら、俺も動かねぇからな」 まるで小さな男の子のように我が儘を言っているくせに、その腕の力はかなり強い。 「帰ろうぜ。俺たちのところへ。お前が今日したいって思うことは、何でもしてやるから。ただし、ちゃんと俺のもとに帰って、ずっと一緒にいるって約束してくれたらな」 「…約束…?」 将臣は優しい力で、望美を抱き締めると、首筋に唇を付けた。 「…一生一緒にいるって誓えよ」 将臣は掠れた声で言うと、望美の左手をギュッと握り締めて来る。 ずっとずっと待ち続けていた言葉が、手が届く範囲にある。 望美は感動する余りに言葉が上手く出て来なかった。 喉の奥から込み上げて来るのは、喜びの嗚咽だけだ。 「返事がねぇなら既成事実にしちまうぜ」 将臣は握り締めていた左手の薬指に、指輪をスマートに滑り込ませてくる。 「…ま、将臣くん…っ!」 将臣は、望美に見せつけるかのように左手を取って目の前に翳した。 「婚約成立。お前は一生これで俺から離れられないぜ」 「…うん。離さないで欲しい…」 望美がやっとの想いで呟くと、将臣は優しく微笑んでくれた。 「了解、じゃあ帰るか。何をしたいか言えよ、約束だからな」 「うん。有り難う…」 望美から抱擁を解くと、将臣は立ち上がらせてくれて、手をしっかりと握り締めてくれる。 望美はにっこりと笑うと、最初の我が儘を将臣に呟いた。 「ねぇ、キスして…?」 将臣は膝を屈めると、仲直りの甘いキスをくれる。 「仲直りの印に、お前をたっぷりと味合わせてもらうから、そのつもりで」 望美がはにかむように頷くと、将臣は実行するために家へと戻っていった。 |