*初任給*


 こうして私たちがしっかりと立っていられるのは、あの時空での経験が大きいのだと思う。
 あれから数年経ち、私も将臣くんも何もなかったように、日常に埋まって生活をしている。
 毎日のように、瞬間、瞬間に思い出すこともなくなってしまった。
 だがあの経験があったからこそ、将臣くんと一緒にずっとやって来れたのだと思う。
 私たちはこの春から社会人になり、お互いの将来を固めるために頑張っている。
 すれ違いもあるけれど、そこはお互いに相手をよく知っているからこそ、何でもないように思える。
 それが私たちのお互いの強みだと思っている。

 私たちは初給料でお互いにプレゼントをしあうことになった。
 私は、スーツ姿の将臣くんを想像しながら、ネクタイやネクタイピンを選ぶことにする。
 将臣くんが誰から見ても素敵に見えるように…。それは少しダメかな。将臣くんがこれ以上素敵になってしまうと、今度はたくさんの女のひとの視線が集中して、私が焼き餅を焼いてしまうから。
「これは素敵だと思うんだけれどなあ」
 将臣くんの姿や笑顔を想像しながら選ぶのは楽しかった。
 私だけの想いで将臣くんのものを選ぶのはくすぐったかった。
 綺麗にラッピンをして貰ったあと、私はぶらぶらとウィンドウショッピングをする。
 春色の新しいルージュの試供品を貰ったり、新作のスウィーツをほんの少しだけ試食をしたり。
 のんびりと過ごすにはうってつけの午後。
 次のお給料日には必ず可愛いくて会社にも着ていけるようなスーツを買おうか…。
 なんて、私も社会人らしく考えるようになったとつくづく思っていた。
 以前なら、断然可愛くてカジュアルな服ばかりを選んでいた。そんな服、流行が廃れてしまったら着られな くなるだとか、せいぜい着られても合コンぐらいだよとか、そんなことは考えなかった。
 それが社会人になった途端に、流行はさりげなくワンポイントにしておくだとか、長く着ることが出来るコンサバティブなものをだとか…。
 とにかく服を選ぶにも、少し守りが入っているような気がしている。
 良い感じのスーツや、アンサンブル、スカートをしっかりとリサーチをしたあと、自分へのご褒美として、甘いスウィーツをひとつだけ買った。フルーツたっぷりなゼリータイプのものだから、カロリー的にも大丈夫なはず。
 以前はカロリーなんて気になんかしなかったのに、今はそればかりを気にしてしまっている。
 もう若くないから代謝が悪いんだよ、なんて自分に言い聞かせたりしている。

 家に帰って、私は常備菜を作る。
 以前の私ならばハッキリ言って考えられない。
 だって料理のはちゃめちゃさと言ったら、きっと世界一だったから。
 それが一人暮らしを始めると変わるもので、人間はかなり順応する能力があると関心したものだった。
 今日はヒジキの煮物、豚ミンチと桜えびを使った栄養たっぷりなごはんの友などを作る。これがあれば、あと白ご飯があれば何とかなるものだから。
 常備菜が出来上がり、今夜の簡単なおかずが作り終わる頃、腹へらしーな男がひょいと顔を出す。
 いつも同じタイミングでやって来れるなんて、全く野性の勘があると言うか…。
 将臣くんはいつものように合鍵を使って、私の部屋に入って来る。
 今日は休日出勤。いつもご苦労様だと思う。
 ネクタイをだらしなく緩めながら、将臣くんは狭いダイニングテーブルにつく。
 やはり疲労の色は隠しきられないが、ネクタイを乱暴に緩める姿に、イマドキの言うところの“萌え”を感じてしまう。
 ホントに色っぽくて、こちらが襲ってしまいたくなるぐらいだ。
「いつもながら俺はタイミングが良いな。飯にありつけるなんて」
「大したものはないよ。お刺身に納豆、野菜たっぷりね味噌汁に、ピーマンの挽き肉詰め」
「上等、上等」
 私の料理の一番の毒味役である将臣くんは、昔の私を思い出したのか、晴れやかに笑った。
 お疲れ様の想いも込めて、私は将臣くんにビールを出す。すると豪快に飲み干してくれた。
「疲れが吹っ飛ぶ、マジで」
 将臣くんは豪快な息を吐くと、お腹が余程空いていたのか大胆に食事をもりもりと始めた。
「あ、初給料のお祝いに、カジュアルなイタリアンを予約したから」
「うん」
 イタリアンなら私も大好き。こんなところは私を知り尽くしている幼馴染みなんだなあと思った。
 いつものように、賑やかなテレビ番組を見て、ふたりで片付けをしながら戯れ合う。
 こうした甘い瞬間も、やっぱり私には掛け替えのない時間だ。
 そうして夜が更けた頃に、将臣くんは私の部屋に泊まるのか、自分の部屋に戻るかを選択する。
「明日、早いから今夜は帰るな。おやすみ」
 触れるだけのキスを遺して将臣くんは何時も帰っていく。余り深いキスをしてしまうと、このまま泊まってしまいたくなるからだそうだ。
 私は苦笑いを浮かべながら、いつも将臣くんを見送る。
「今週末は俺も休めるし、ふたりでのんびりしような」
「そうだね。楽しみにしているよ」
 私も触れるだけのキスを将臣くんに上げると、とても幸せな気分で見送った。

 久し振りに将臣くんと、外でデートだと思うと、ウキウキして仕事にならない。
 仕事中に、私は浮き足立つ余りに、何度もスキップをしてしまう始末だった。
 いつもよりもかなり念入りに化粧を直して、試供品である新作のルージュを塗る。もし将臣くんが気に入ってくれたら、褒めてくれたら、同じ色のものを買おうと思っている。
 将臣くんとのデートは日常茶飯事のはずなのに、今日はいつもよりもうんと綺麗にしてみたかった。自分でもどうして良いかが解らないぐらいに、新鮮なドキドキすら感じていた。
 綺麗になって、将臣くんを驚かせたいと、ひたすら思っていたから。
 待ち合わせの場所で、私はただ将臣くんだけを待ち続ける。将臣くん以外は誰も見えないよ。
「キミ、ひとり?」
 軽薄な声に私が顔を上げると、腕を思い切り掴まれた。
 安心する頼りたくなる強さは、私が大好きでたまらないひとのもの。
 私は安心してホッと力を抜いた。
「悪いがコイツは俺の女だからな。気安く声を掛けねぇで貰えるか」
 将臣くんがキツい一瞥を投げると、ナンパな男は何処かへいってしまった。
「悪かった、遅れて」
「大丈夫だよ」
「じゃあ行こう」
 将臣くんに手を繋いで貰い、イタリアンレストランへと連れていって貰う。お互いに忙しい身だからか、私たちは逢えばこうしてスキンシップをはかっていた。
 将臣くんがイタリアンレストランに予約してくれていたお陰で、スムーズに席につけた。
 料理も予め頼んでいてくれたから、悩まずにも済んだ。
 食事を楽しみながら、最近の仕事について話をする。
 デザートまできたところで、不意に将臣くんは私をじっと見つめて来た。
「手を出せよ」
「うん」
 私が手を出すと、将臣くんは頷いてくれる。
「初任給のプレゼントだ」
「あ、私もあるんだよっ!」
「じゃあプレゼント交換だな」
「そうだねー」
 私たちは子供の頃のように一斉にプレゼントを出す。
 私はネクタイとネクタイピン。そして将臣くんは…。
「指環?」
「お前の指にぴったりなエンゲージリングだ」
 エンゲージリング。
 私は一瞬、夢見る余りにおかしくなってしまったのではないかと思い、大きく瞳を見開いて、将臣くんを見上げた。
「これって」
「そろそろ俺のものになれ。イエスなら左手を出せよ。薬指に嵌めてやるから」
 考える必要なんてない。私はただ素直に手を差し出したら良いだけだから。
 嬉しくて泣きそうになるほどの感情が込み上げてきて、私は鼻を啜った。
「…お願いします」
「ああ。お願いされます」
 将臣くんはほんのりホッとしたように笑うと、私の左手に指環を嵌めてくれた。
 すんなりと入るのが嬉しい。
「有り難う…。将臣くん…」
「それは俺の台詞。マジで有り難うな。で、これからも宜しく」
「はいっ」
 私はこころからの返事を将臣くんにすると、涙を浮かべながらもいつも以上の笑顔でいられた。
「有り難うなマジで。初任給でお前にエンゲージリングを渡すのが夢だったんだからな」
「うん。私からのプレゼントも受け取ってね。これからも素敵な将臣くんでいてね」
「お前をずっと夢中にさせておいてやるよ」
 将臣くんは危険な魅力が漂った笑みを瞳に浮かべると、私だけを真っ直ぐ見つめてくれる。
「夢中にさせてね…、ずっと…」
 私が将臣くんにうっとりと微笑むと、誰にも解らないようにそっとキスをくれた。





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