*真夏の恋人たち*


 夏はどこに行っても暑い。
 デートをせがんでも、なかなか外には連れていってはくれない。
 どんなに暑くても、たまには外のデートをしたくて、望美は将臣に何度もねだった。
「将臣くん、デートに連れて行ってよ。江ノ島とか北鎌倉で良いから、ねぇ!」
「ったく、気絶するぐれぇに暑いのに、お前は」
「良いから、ね?」
 将臣が呆れ果てても、望美は諦めずに食い下がった。
「ったくしょうがねぇヤツだな」
 結局、将臣は折れてくれて、溜め息を吐きながらも、立ち上がってくれた。
「じゃあ北鎌倉。今日は江ノ島の気分じゃねぇからな」
「有り難う! 将臣くんっ!」
 望美はピョンピョンと跳上がりながら喜ぶと、将臣にべったりと抱き着いた。
「ちゃんと日傘をさすか、帽子を被れよ。後、ちゃんと水分補給をしろ」
「はあい」
 望美は嬉しくて堪らなくて、いそいそと準備を始めた。

 北鎌倉までの乗換えが面倒臭いからと、鶴岡八幡宮を抜けて北鎌倉へと出るルートを使った。
 肌がジリジリと焼けてしまうほどに陽射しがキツく、その上、この上なく熱かった。
 こんな暑いのに、望美は将臣と手を繋ぎたくて、子供のようにその手を掴んだ。
 その手のひらに汗が滲んでいて、望美はハッと息を飲む。こんなに暑い手のひらなら、将臣も嫌に違いない。
 望美はお伺いを立てるかのように、将臣を見上げた。
 将臣は返事の代わりにしっかりと手を握ってくれた。
「有り難う…」
「行くぜ」
 ふたりは手を離さないままで、ゆっくりと歩いてゆく。
 しっかりと手を結びあって、たとえ汗が滲んでも離すのがもったいない。
 日影を選んで歩きながら、北鎌倉を目指した。
「心臓破りの坂があるぜ」
「この先、厳しいんだよね。だけど今日は将臣くんがいるから大丈夫だよ」
「ったく、おぶるのは勘弁だからな」
 将臣は悪態を吐くが、握り締められた手は強い。ちゃんと引っ張ってくれることは、望美には解っている。だからどのようにキツい坂道でも、暑さでも平気だったりする。
 流石に鶴岡八幡宮を過ぎたあたりから、かなり急な坂道になり、息も上がってくる。
 尋常ではない暑さだから、流れ落ちる汗も相当なもので、和紙で出来た丈夫な汗拭きシートでも、なかなか汗を拭い去ることが出来なかった。
 将臣の汗を拭いたり、自分の汗を拭いたりとかなり忙しい。
「ほら、ちゃんと水分は取れよ。脱水症状になっちまうからな」
 将臣がスポーツドリンクを渡してくれ、望美はそれで喉を潤す。
 その間も手を離したくはなくて、将臣が日傘を持ってくれた。
「何だか命の水を飲んでいるみたいだよ」
「喉がからからだったからな。喉を潤して、少し歩いたらメシでも食おうぜ。で、氷あずきを食べるのはどうだ?」
「うん! それが良いよ!」
 坂道を登りきった後に素敵なことが待っているとわかると、俄然、張り切ってしまう。
 坂を上がる途中で、緑の匂いがする少しひんやりとした風が吹いて来た。
 涼しくて目を閉じてしまいたくなるぐらいに、気持ちが良い。
 風の端々にどこか秋の匂いを感じた。
 もうすぐ秋だと思うと、どこか切なくなってくる。
 こんな風は、熊野を旅していた時にも感じた。
 気持ちが良いのに、どこか寂しくなる風だ。
「どうしたんだよ?」
「熊野の夏を思い出していたんだ」
「あの時も暑かったが、ここまで嫌な暑さではなかったよな。夏の醍醐味を充分味わえるような暑さだったよな」
「そうだね…。環境破壊なんて考えられない時代の話だからね。気持ち良い夏だったけれど…」
「何処か切ない夏だった…」
 望美が言おうとしていた言葉を、将臣があっさりと言ったものだからびっくりしてしまった。
 将臣は「そうだろう?」と、望美に訊くかのように顔を見つめて来る。
 確かにそうだ。
 あんなに泣きそうになる永遠の夏はなかった。
 ふたりはより手を結び会わせるが、かなりの汗が指の間から滲んで滑ってしまう。
「…暑いなら手を離すか?」
「嫌だ。離したくないよ」
 望美は唇を噛み締めると、まるで我が儘を言う子供なように首を振りながら言った。
「そっか。俺も離したくはねぇから、遠慮なく強く手を握らせて貰うからな」
 将臣は暑いだとか汗で滑るだとか全く構わないとばかりに、望美の手を更に握り締めた。
 暑いにも関わらず、こんなにも強く密着をしているのは自分達ぐらいだろうと、望美はしみじみと思わずにはおれなかった。
 坂道を登りきって、トンネルへと入っていく。
「ホントに凄く気持ちが良いよねー! 爽やか!」
「昼はけんちん汁でも食おうぜ。暑い時期には暑いもんだからな」
「何だか嫌な理論だなあ。でも、まあ、けんちん汁は食べたいから、賛成だね」
「じゃあ後少しだから頑張ろうぜ」
「うん」
 暑い中、ただ歩いているだけかもしれない。だが、それでもとても心地が良いと感じてしまう。
 こんなに気持ちが良いのは、きっと将臣と一緒にいるからに違いない。
 一緒にいると本当に幸せな気分になった。
 ようやくけんちん汁専門店で、名物を頂く。
 店のなかは程よく冷えていて、とても気持ちが良かった。
 けんちん汁を食べている間も、望美は将臣と密着していたくて、ずっとくっついていた。
 こうやってくっついているだけで幸せで、将臣の顔を見ているだけで笑顔が溢れてくる。
 デートなんて、本当は場所は関係がないのかもしれない。
 どこでもふたりで一緒にいるだけで幸せなのだから。
 けんちん汁を食べた後で、ふたりは氷あずきを食べに、和菓子屋へと向かう。
「食べてばっかりだけれど、楽しいね。まあ、食べた分は歩いているから、カロリーはしっかりと消費されているんだろうけれどね」
「ま、そうだよな。だったらお前にはもっと沢山食べて貰って、沢山運動する機会を与えねぇとな。俺も健康男子だからな。やっぱ、別の運動がしてぇんだよ」
 意味深の笑みを浮かべられて、望美は初めて将臣が意図するところが解った。
 恥ずかしくて顔から火が出そうになる。
「いくらでも運動の協力はしてやるから」
「もう、バカっ!」
 望美が口を尖らせながら氷あずきを食べているのを、将臣は愉快そうに見ていた。
 食後のおやつも食べ終わり、再び手を繋いだままで北鎌倉へと歩いていく。
 あぶら取り紙を見たり、和風の雑貨を見たりしながら、楽しい時間を過ごした。
 一通り見終わると、今度は将臣が手をしっかりと引っ張って駅へと向かう。
「今日、うちは遅くまで誰もいねぇからな。しっかりとシャワーを浴びて、涼むことが出来るぜ?」
 将臣が艶のある笑みを向けてきて、ドキドキする余りに望美は慌ててしまう。
「お前の我が儘はきいてやったから、今度は俺の我が儘をきいてくれよな。じっくりたっぷりな?」
「もう…」
 恥ずかしくてたまらないが、将臣ともっと密着をしたいと思っていたから、同意の言葉代わりに手をギュッと握り締める。
 将臣もまた手を握り締めてくれると、駅へと向かう。
 そろそろ密着が足りないから。
 もっと密着をしたいから。
 望美がドキドキしながら顔を見上げると、将臣が軽くキスをくれた。

 恋するふたりには猛暑なんてどうでも良い。
 ふたりでいる空間が、楽園になるのだから。





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