*護るべきもの*


 冷たい空間で、ただひたすら待たされる。
 だが、嫌な時間ではない。
 息切れしてしまうほどに緊張してしまうのに、どこか温かくて幸せな瞬間だ。
「…兄さん、近くなったら呼ばれるんだって?」
「ああ。出産の瞬間は立ち会ってやりたいからな…」
 将臣は自分が呼ばれる瞬間を、今か今かと待構えている。
 望美の陣痛が始まってから1時間。将臣も立ち会う予定だが、出産直前でないと中には入れて貰えない。
 今はひたすら呼ばれるまで待っている状態だ。
「…母親って凄いよな…」
「え?」
 将臣は薄く笑うと、ちらちらと輝く蛍光燈に視線を上げた。
「…あんなにガキっぽかったあいつがさ、妊娠したらやっぱり強くなって、命を守る覚悟が出来たみてぇで、やっぱりすげぇなって思った…。あいつが悪阻で苦しんでいたこととか、子供のために大嫌いなレバーを食べていたこととか思い出すと、生まれる前から、凄く子供を愛しているってことを凄く感じてな…」
 将臣はまるで独り言でも言うように、弟に語りかける。話すまなざしも、声にも、望美や子供たちへの愛情がたっぷりと感じられた。
「…だから大きくなって、子供が大きくなって、望美に逆らうようなら、俺は容赦しねえと思う…」
 将臣はまだ見ぬ子供に愛情を込めて言うと、フッと微笑む。
「…兄さん…、悔しいけれど良い顔してるよ」
 譲はほんの少しの切なさと悔しさを滲ませて、感情を乗せるように呟いた。
「良い顔をしなけりゃ、望美や子供に申し訳ねぇからな…」
 将臣はまなざしにこれから家族を守っていく想いを込めると、大きく深呼吸をした。
「…無事にさえ産まれてくれたら、俺も望美もそれで良いって思っている。どんな子供でも育てようって、決めたから」
「…兄さん…」
 譲は羨ましくてたまらないといったような表情をすると、大きな溜め息を吐く。
「有川さん、そろそろご準備されて下さいね」
 看護士が声を掛けてくれたので、将臣は硬い長椅子から立ち上がる。
「有り難な、譲。色々とな…」
「元気な赤ちゃんが生まれるように祈っているよ」
「サンキュな」
 将臣は譲に頷くと看護士の後について、分娩室に入る準備をした。
 消毒をした後で、白衣、帽子、マスクの三点セットを身に着ける。
 そのスタイルになると、父親になる気持ちが高まって行くのが解る。
 子供が産まれたら、この手で思い切り抱き締めてやりたい。
 望美が産んでくれたふたりの子供だからこそ、誰よりも愛しいと感じていた。
「どうぞ有川さん。滅菌されたハンカチです。これで奥様の汗をしっかり吹いてあげて下さいね」
「はい」
 手渡されたガーゼの優しいハンカチを握り、将臣は分娩室へと入っていった。
 直ぐに苦しそうな望美の息遣いが聞こえ、将臣は直ぐに駆け寄った。
「望美!」
「…ま、将臣く…ん…っ!」
 望美の顔には疲労も感じられたが、それよりも母親になるための気合いのほうが大きい。
 望美は潤んだ瞳で将臣をすがるように見つめて来る。
 可愛いさと美しさが同居しているまなざしに、将臣は思わず息を飲む。
 本当に魅力的で、このまま抱き締めたくなった。
「手を握れば良いか?」
「…うん、有り難う…っ!」
 望美の手を握り締めると安心したかのように大きく深呼吸をする。笑みすらも零す望美の手を、将臣はしっかりと握り締めてやった。
「…大丈夫か?」
 将臣がいるから大丈夫だと呟くかのように、望美は大きく頷いてくれる。
 守ってやりたい。
 将臣はそんな想いを込めて、望美を見つめた。
「後少しだから、いきんで!」
 悲鳴にも近いいきみをする望美の額には大粒の汗が光る。将臣がガーゼのハンカチを使って拭ってやると、望美は幸せそうに微笑んでくれた。
「…んっ…! 将臣く…んっ…!」
 痛みを堪える余りにしかめ面をする壮絶な望美の姿に、将臣はこころが熱くて何処か切なくなるのを感じる。
「…俺の手を思い切り握って良いから…! 俺にしがみつけ」
「…うんっ! 将臣くん…っ! 痛いよっ!」
「もう少しだから…、我慢してくれ」
 望美は微笑むと、軽く頷いてくれた。
「将臣く…んっ…!!」
 望美の悲鳴が聞こえてきたかと思うと、助産士が頷く。
「有川さん、赤ちゃんの頭が出てきましたよっ。もうすぐですからねっ! 頑張って下さいねっ!  はい、いきんでっ!」
 助産士に言われるままに、望美は思い切り呼吸を吸うと力を込めた。
 今にも泣きそうなのに。子供のためにただ力を込めて頑張っている。
 その姿を見ていると、将臣は胸が熱くなるのを感じた。
 母の顔、妻の顔、甘い恋人の顔、そして妹のような幼馴染みとしての顔。
 どれもが愛らしく、将臣にとって愛してやまないものだ。その表情が思い浮かぶ旅に愛しくて堪らなくなっていた。
「望美、後少しだ、頑張れよ」
「うんっ…! 将臣くんっ…」
 苦しげに眉を寄せる望美を、宥めるように今すぐ抱き締められたら良いのに。
「踏ん張って!」
 望美は大きく深呼吸をすると、渾身の力を振り絞った。
「オギャアーっ!」
 元気な赤ん坊の声が分娩室に響き渡り、ふたりの子供が誕生したことを知らせる。
「望美、子供が産まれた…」
「うん…」
 望美の瞳に涙が滲み、本当に嬉しそうに笑っている。
「おめでとうございます! 男の子ですよ!」
 産湯につからせてもらい、柔らかな布に包まれた息子が、将臣と望美の元に連れてこられた。
「…将臣くん、抱っこしてあげて? やっぱりお父さんに最初に抱っこして欲しいんだよ」
「ああ」
 助産士からわが子を託され、将臣はしっかりと抱く。心地良い重さが、これから護っていこうと想う決意を固めてくれる。
「将臣くん、赤ちゃん抱っこするの、上手いね」
「あっちでたまにあやす役目を買って出てたからな」
 望美はなるほどとばかりに、頷いた。
 将臣は自分を真っ直ぐ見つめる息子に応えるように優しいまなざしを送る。
 よく見ても、自分にとても似ていると思わずにはいられなかった。
「こちらのお湯をあげて下さいね」
「はい」
 哺乳瓶を渡されて、将臣はそれを息子に近付けて飲ませてやる。
 望美はその様子を、目を細めて眺めていた。
 出産の後処理をしてもらいながら、望美は優しい母親の顔になっている。
 息子が凄い勢いで水分を取ったあとで、将臣は手指を確認したり、五体満足であることに感謝した。
 それにしてもなんて小さくて、なんて力強いのではないかと思う。
「…望美、抱っこしてみろよ」
「うん…」
「首が座っていないから慎重に」
「はい」
 将臣から受け取った息子を、望美はぎこちなく抱き上げる。
「小さい、可愛い」
 望美は母親らしい温かなまなざしを息子に向けた後で、目を細めて見つめる。
「将臣くんに似ているね…。何だか凄く嬉しいよ」
 望美は半分泣きながら、息子を抱き締めた。
「そろそろお母さんは休まないと…」
「はい、解りました」
 将臣は息子を助産士に託した後、望美にじっとついている。
 汗をかなりかいたので、望美は躰を綺麗に拭いてもらい、ネグリジェに着替えさせて貰った。
「…望美」
「ん…?」
「有り難うな」
「私こそ有り難う。素晴らしい命をくれて…」
 望美は微笑むと、ゆっくり目を閉じる。
 全力で頑張ったから、疲れ果てたのだろう。
 ストレッチャーに乗せられて病室に運ばれる望美を見送りながら、将臣はこころのなかで呟く。
 望美が目覚めたら、先ずは愛していると伝えよう。
 そして何よりも感謝の言葉を伝えよう。
 将臣はとっておきの言葉を考えながら、ゆっくりと病室へと向かった。





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