南の島に着いて、ふたりで同じ小屋で暮らすようになってから、一月ほど経った。 カレンダーのようなものがこの時空にはないから、望美はカレンダーのようなものを作り、今がどれぐらいにあたるのか、確認している。 ちゃんと自分たちでこの南の島で生きて行くと決めた日を、覚えていたかったから。毎年、お祝いが出来ればとも思っている。 正式にプロポーズをされたわけでも、式を挙げたわけでもないが、望美のなかではこてが結婚記念日のような位置付けになっている。 小屋で暮らすようになってから、日々に追い立てられることもなく、のんびりと愁いなく暮らす事が出来るのが、何よりも幸せだ。 だが、時折、将臣が切ない表情をすることだけが気にかかる。 正式には何の約束のない関係。 将臣を信頼しているので、余り気にはかけていないが、いつか崩れてしまうような砂の土台にいるような気分に、ならないこともない。 あの瞳の意味を知りたかった。 雲ひとつない明るい青空は、本当に透明でキラキラと輝いている。 将臣は魚を捕りに出掛けたので、望美は海岸に出て、日陰でぼんやりとしていた。 空を見ているだけで、宝石が下りてくるような気分になっていた。 「…綺麗だな…。鎌倉の空よりキラキラしていて高いや」 望美は手のひらを大きく翳して、光の粒を探す。まるで自分達が祝福されているような気分になった。 空を見ていると、将臣のことを考えてしまう。望美にとっては青空のような存在だから。 大きく包んでくれ、見守ってくれるキラキラしているから。 じっと見ていると、砂を踏み締める気配を感じた。 「何をしていた?」 聞き慣れた甘く響く声に顔を上げると、将臣が立っていた。 「あ、将臣くん! 空を見ていたんだよ」 望美は屈託なく笑うと、将臣に空を指差した。 「綺麗だよね、この島から見える空は」 「そうだな。今まで見た空のなかでも格別だな」 「うん、私もそう思うよ。ここは何にも汚染されていない、とても綺麗なところだよ」 「そうだな」 将臣は頷くと、望美の横にどっかりと腰を下ろした。 一際長い脚を、だらんと砂浜に出す。 「お魚は捕れたの?」 「バッチリ。今夜は塩焼きと刺身だな」 「し、塩焼きぐらいは出来るけれど…、魚を捌くのは…」 魚を捌くのを想像するだけで、背筋に寒気が覚えた。 「刺身は俺が作るから心配すんな」 「う、うん、有り難う」 望美が頷きながら礼を言うと、将臣は髪をくしゃりと撫でながら、空よりも眩しい笑顔を浮かべてくれた。 「ほらみやげ。果物だ」 「有り難う!」 陽射しがきついこの季節に於いては、とても嬉しいフルーツのプレゼントになり、望美はにんまりと微笑んだ。 「将臣くんとこうやってのんびりするのはとても楽しいよね。あっちじゃ得られなかったもん」 望美が何の考えもなしで呟くと、将臣はまた酸っぱいような切ない表情を浮かべた。 「…どうしたの?」 「…あっちが懐かしいのかなって思ってな…」 将臣は、望美と視線を合わせる事なく、ただ砂浜の白い砂を指で掬っては零している。 さらさらとした音に、望美のこころはきゅんと締め付けられるように痛んだ。 「そりゃあ懐かしいって思うことはあるわよ。だって故郷なんだもの。だけどそれだけだよ」 望美は自分のこころの赴くままに呟き、将臣を制するように軽く睨んだ。 「帰りたいって思ったことは?」 いつもはとても頼り甲斐のある将臣の声が揺れる。 望美は驚いたように将臣を見た。 「そんなわけないじゃない。こちらに来てから一度だって帰りたいって思ったことはないよ。これは本当にキッパリと言えるよ」 望美は言葉に力を持たせるように、一言、一言をしっかりと言うと、瞳で決意を伝えた。 将臣は感情を凝縮したような表情をした後、望美を強く抱き締めてくる。 余りにもの強さに、望美は呼吸が出来ないと思うほどに酸素の欠乏を感じた。 将臣は、一生望美を捕らえて離さないとばかりの勢いで抱き締めた後、ただですら欠乏気味の酸素を、更に奪うように唇を重ねて来た。 「…将臣く…っ!」 腕に、唇に、望美は捕らえられてしまう。 キスが終るころには、総てを奪い去られてしまったような気がした。 「…最近、お前が空ばかりを見ているから、帰りたいんじゃないかと思って」 「帰らないよ。将臣くんのそばにずっといるから」 「…望美」 将臣はホッとしたような、どこか泣きそうな顔をすると、望美を抱き締めた。 「苦しいよ」 くすくすと笑いながら温かな声で望美が言うと、将臣は笑ってふざけるように力を込めてくる。 ふと感情が切羽詰まったように将臣は真顔になると、望美の肩に額を付けた。 「…最近さ、お前、ずっと空ばかり見てただろ?」 「あれは綺麗だから、見ていて飽きないなあって思って見ていたんだよ」 「ああ、今はそれは解る。だけどお前…時々、切なそうな顔をしてただろ? あの顔を見ていたら、帰りたくなったのかなって思って、俺も切なくなった…」 将臣は顔を上げずに、ただ望美を抱き締める腕を強くする。その力の強さで、将臣の気持ちを理解することが出来た。 「…そんなことないよ。そりゃあ、帰りたいと思ったことがないのは嘘になっちゃうけれど、将臣くんがいないと、 私は何処だって嫌だよ。だからこの島は私にとっては快適な場所なんだ。将臣くんがいるから…」 恥ずかしくて耳朶が熱くなる台詞を言いながら、望美はにっこりと微笑んでみせた。 すると将臣もまた、安堵が沢山詰まった甘い微笑みを分けてくれる。 「サンキュな…、こんなこと…、本当は俺のわがままなのにな…」 「私だってわがままだよ? だって、将臣くんの側にいたいって気持ちを押し通しているから」 将臣はうっすらと瞳の縁を赤らめると、望美を頭ごと抱き寄せた。 「…だったら、俺が見た切なそうな表情は、勘違いだって思っても構わないか?」 「…勘違いってわけじゃないんだよ。けれどもこの際だから、言ってしまおうかな?」 一瞬、ドキリとしたような顔をする将臣に、望美は甘く笑いながら、逞しい肩に額を付けた。 「…私さ、将臣くんの何?」 将臣は困惑したように眉を潜める。 「何って、俺の一生のパートナーに決まってるだろ?」 将臣は今更だとばかりに言葉の外に感情を滲ませる。どこか苛々している将臣を尻目に、望美は尚も続けた。 「…パートナーって、恋人? それとも奥さん?」 望美のストレートな一言に、将臣ははバツが悪そうに視線を逸らした。それに悪意がないことは、照れた表情で解る。 「…後者に決まっている」 もそもそと言った将臣の言葉が嬉しくて、望美は思わず小躍りしそうになった。 「ホントに?」 確かめるように将臣の瞳を見つめると、余計に紅くなる。 「んなのそうに決まってるだろ?」 「…だって私、正式にプロポーズを受けていないよ?」 なるべく軽く言うと、将臣の表情が直ぐに真面目腐ったものになった。 「…そうだったか…。俺、言ったつもりだった。着いて来いってことは、俺にとってはプロポーズとイコールだったんだけれどな…」 将臣は居心地が悪そうに軽く前髪をかきあげる。 「…だから不安に思っていたんだ…。だけど、今は将臣くんの言葉を聴いて、そんなものは吹っ飛んでしまったよ」 望美が笑いながら呟くと、将臣は力いっぱい抱き締めて来た。 「あっ…」 「プロポーズ…させろよ」 「え、あ」 将臣の艶やかな声に、望美はひどく鼓動を高める。 全身を震わせながら、望美は将臣としっかりと抱き締めた。 「結婚してくれるか?」 誰もが憬れるひとことに、望美はゆっくりと頷いた。 |