ふわふわとしたしゃぼん玉のような記憶。 虹色に輝くほわほわとした光景を、私は知らないはず。だが意識の深いところで識っているような気がする。 きっとそれは、私が産まれてくる前のお話。 お母さんたちの薔薇色の企み。 「へぇ、あなたも子供が出来たの!」 夏の到来を告げる明るい陽射しのスポットライトを浴びながらの井戸端会議が忙しい。 「そうなのよ! うちはあなたより四ヶ月ほど後の予定日なのよ!」 明るく弾む声は、新たな命への喜びの歌。春日家の新妻はそれこそ誇らしげに話している。それを聴く有川家の新妻は、大きくなり始めたお腹を撫でながら、まるで自分のことのように嬉しそうに聴いていた。 「私は恐らく男の子じゃないかって、お義母さんが言っていたわ。よく当たるのよ、お義母さんの勘は。私の妊娠が解った時、あなたも早晩するんじゃないかって言ってたんだけれど、それも当たったみたいねぇ」 「へぇ!」 有川家の事実上の実力者であるスミレは、不思議な魅力の持ち主だ。様々な幸せな事項を言い当てるのだ。 そして、予想通りに春日家に新しい命が授かった。 「すごいわ!」 春日家の新妻は感嘆の声を上げて頷いている。やはり凄い女性だとは思わずにいられない。 「何でも、私は男の子を産んで、あなたは女の子を産むみたいなことを言っていたわよ。そうなったら凄いわよね」 まるで女子高生のようにふたりは大いに盛り上がっている。通りすがりの人々も、ほほえましいとばかりに笑っていた。 「うちが男の子で、あなたのところが女の子なら、ふたりをくっつけるのはどう?」 「それは良いわね! 賛成!」 何気ない井戸端会議でされた約束。 やがて有川家には男の子が、春日家には女の子が誕生し、いよいよ夢と約束のスタートラインに立つ。 約束は守られるためにあるもの。 それが証明されるまでには、まだ月日を要する。 「結婚しねぇか」 久しぶりに里帰りをし、戯れる七理ガ浜で突然プロポーズされた。 波と戯れていた望美は動きを止め、将臣を見つめる。 少し照れが入ってはいるが、将臣が真面目な気持ちで申し出てくれていれのは、直ぐに解った。 プロポーズされた。 その事実がリアルなものとして受け入れられた瞬間、望美は心臓が全速力で走り出すような気分になる。 耳たぶが熱くて、パルスが烈しく打っている。 余りにときめきと驚きが同時に襲い掛かってきたものだから、望美は将臣を見つめたまま、固まってしまった。 「あ、あの、あ」 上手く言葉に出来ずにいると、波が望美の足元に襲い掛かってくる。 「おいっ!」 呆然とときめきを越えた感情に浸っていたせいで、自分が今何をしていたかすら忘れ去っていた。 将臣の腕が、望美の華奢な躰をつかみ取り、護るように腕に納めてくれる。 気付いたら、恋人の腕のなかでしっかりと捕らえられていた。 「あ、あの…」 更に近付いた将臣の引き締まった精悍な躰を、望美は意識せずにはいられない。 吐いてしまいそうなぐらいに鼓動を烈しくさせながら、ただ将臣を見上げた。それこそびっくりしたように瞳を大きく見開いてしまっている。 「…まずかったか?」 困ったような顔をする将臣に、望美は首を横に振る。 小さな頃から、大好きなひとにプロポーズされる瞬間を想像しては、くすぐったい気分になっていたけれど、まさか自分がこの状況に立たされたときに何も言えなくなるとは、思わなかったのだ。 「…落ち着くとこに行くか?」 「このままが良い…」 望美が額をコツンと将臣の肩にぶつけると、そっと抱き寄せてくれた。 いつかこうして将臣にプロポーズされることを夢見ていた。 レストランかそれとも意外に定食屋か。どちらもふたりらしい場所だとは思っていたが、最もふたりらしい場所でプロポーズされるとは思わなかった。 「…返事は今じゃなくても良い。結婚するのも、お前がしたい時にすれば良いと思っている。お前の心の準備が出来るまで待つ自信はあるつもりだ。ただ、伝えたかった…。俺はもうお前以外に考えられねぇから」 将臣の声はいつもより力強く心に響き、透明な感じがした。 大切なことを大切な気持ちで囁いてくれている。 髪を撫でてくれる指も、受け止めてくれる腕も、心も、胸も…。 総ては一生離したくないもの。 それをもう離さないで良いのだと、目の前のひとは囁いてくれている。 考える時間なんてもうなくても良い。 生まれてからずっとその時間は充分過ぎるぐらいにあったはずなのだから。 今でも先でも関係ないなら、早いほうが良い。もう充分だ。 今でもずっと一緒にいたいし、会えない日は泣いてしまいそうになるほどの激情がある。 それが同じ屋根のしたにいることで解消されるなら、それが一番幸せなこと。 「望美?」 望美は真っ直ぐと将臣を見ると、神聖な気持ちで口を開いた。 「…結婚しよう。と言うか、結婚して下さい」 素直な気持ちが言葉に出た。望美は真っ直ぐに純に気持ちで将臣を見る。 清々しくて気持ちが良くて、涙が出そうだ。 「有り難な」 「私こそ、有り難う…」 初夏の風に吹かれて、ギュッと抱き合う。 ふたりの絆が更に強くなり、愛が深まるのを感じた。 様々な種類の愛。 親子、兄弟、友人、夫婦、恋人…。将臣とならばボーダーのない愛情を育んでいくことが出来るだろう。 「給料の三ヶ月分だからね」 茶目っ気たっぷりに笑い左手を差し出すと、将臣は真面目くさった困った顔をする。 「…善処する」 「…嘘だよ。指輪で捕らえられるより、将臣くんに捕われているんだもん。指輪よりも将臣くんがずっと手を繋いでくれたらいいよ」 「一生に一度の指輪だからな。奮発するに決まってるだろ」 将臣は照れを隠すように、望美の髪をくしゃくしゃに撫でてくる。その絶妙な強さに、望美はくすぐったい気分になった。 「期待してるよ」 「お前への感謝とこれからも宜しくが入ってんだからな、気合いを入れるさ。こんなぐらいじゃ、感謝出来ねぇぐらいに感謝してるから」 将臣は改まったように望美を見る。 こちらこそ感謝してもしきれないぐらいに、感謝しているというのに。 泣きたくなるぐらいに将臣が好きなのだと、望美は改めて感じずにはいられない。 「私のほうこそ、もの凄く将臣くんには感謝しているんだよ。ホントに! 私も何が贈り物をするよ!」 「いいんだよ、お前は」 将臣は優しい眼差しで、望美を見つめてくれる。 「だって…。将臣くんにいつも助けて貰ってばかりだし…」 「いいんだよ。俺がお前のことを面倒みたいって想うからだよ。気にすんな」 将臣は望美の髪をひと房取ると、そこに唇を寄せた。 「こんなに好きにならせてくれて、有り難うな」 将臣の言葉は蜂蜜よりも甘くて、望美の胸を真っ直ぐに突いてくる。これでは、泣かずにいられなくなってしまう。 「…私こそ有り難うだよ。とことんまで好きにならせてくれて有り難う。私を好きになってくれて有り難う」 泣きながら声を震わせていたせいで、望美の声は奇妙に震える。まるで小さな子供が泣いているみたいだ。 「…有り難う、本当に…」 泣きじゃくる望美を宥めるように、将臣は甘いキスを唇に落としてくれる。 きっとそれは何よりも神聖なキスだろう。望美は幸せが唇から全身に流れているのを感じた。 きっとこうなると生まれる前から決まっていたのだ。 目を閉じれば、識らないはずのしゃぼん玉のような想い出が、記憶のどこかからひょっこりと出てくる。 最初から結ばれることを期待して生まれてきた---- きっと一番喜んでいるのは母親たちだろう。 ふたりの原点の約束が、今叶えられるのだから。 |
| コメント プロポーズ。 まあ、ふたりとも23,4てとこです。はい。 |