*旅の前*


「本当にかなり痛かったし、もう二度としたくないって思ったんだけれど、やっぱり大好きなひとだから…、応えたいなあって」
 友人が瞳をきらきらと輝かせながらも顔をしかめたので、望美は思わずおののいた。
「そ、そんなに痛いものなの…?」
 恐る恐る訊いてみると友人は眉間に皺を寄せて、キッパリと頷いた。
「そうだよ。それこそ血管がキレてしまいそうになるぐらいに痛い」
 友人の表現に、望美は思わず引いてしまう。
「そ、そんなに凄いんだ…」
 思わず喉を鳴らすと、友人はからからと豪快な笑いをぶちまけてきた。
「そうだねえ。大好きなひとだから、堪えられるんだよ。ホントに。痛いんだけれど大好きなひと相手だと、とてもロマンティックなんだよ」
 ロマンティックな部分は殆ど望美にはインプットされず、ただ痛みだけが誇張されて頭のなかに入った。
「…だけどねホントに素敵なんだよ。痛みも馴れたらなくなるしね」
 友人はキラキラと宝石よりも眩く輝きながら、望美を見つめて来る。
 本当に誰よりも綺麗で可愛く感じた。
「キラキラの前には試練があるんだね…」
 望美が溜め息を吐くと、友人は豪快に背中を叩いてきた。
「大丈夫だって! 愛されえっちすると、こうやってキラキラ輝けるから! 有川くんをもっと引きつけておくことが出来るかもね!」
 友人にあからさまにウィンクされると、望美は恥ずかしくなって俯いてしまった。
「…あ、う…、ま、その…うん」
「もう! 夏休みがチャンスなんだよっ! 甘くて青いキラキラな経験が出来るまたとないチャンスなんだからっ!」
 友人は怖さで煮え切らない望美の背中を、思い切り押してくれる。それはとても嬉しいが、やはり恐怖が先行してしまう。
「…将臣くんと沖縄旅行に行くけれど…、その…」
 考えるだけでドキドキしてしまい、上手く呂律が回らなくなる。
 喉をからからにしながら呟くと、友人がしっかりと肩を叩いてくれた。
「大丈夫だって! 沖縄だよー! これ以上にロマンティックなシチュエーションはないって! 身も心も全部預けちゃえ!」
 友人の声をかき消すかのように、教室のドアが開いた。
「望美、待たせたな。帰ろうぜ」
「う、うんっ!」
 掃除が終わり教室に現われた将臣に、望美は思わず飛び上がった。
 話していた話題が話題なだけに、焦りと恥ずかしさが、一気に肌に滲んでくる。
「いってらっしゃい!」
「う、うん。これから旅行の打ち合わせに、着替えてから代理店に行くんだ…」
「だったら、ベッドはダブルだよ。絶対にね」
 友人はからかうように耳打ちをすると、応援してくれているようにくすくすと笑う。
「う、うん。ちょっと考えてみる」
「考えてみるんじゃなくて、ちゃんと考えるんだよ」
 友人は背中を軽く押すと、笑いながら望美を送り出してくれた。
 将臣の横に立つと、いつもよりも緊張してしまい、恥ずかしさが先立ってくる。
 望美がほんのりと頬を赤らめると、将臣はいつもよりも甘い笑顔をくれた。
「行くか。着替えてから鎌倉に出ないといけねぇから、少し急ぐか」
「うん」
 いつもよりも強く手を握り締められる。しっかりと繋がれた手の暖かさから、いつもよりも甘い緊張を感じていた。

 素早く着替えを済ませて、ふたりは鎌倉駅前へと向う。
 初めてのふたりだけの旅行。
 ふたり旅は両親から公認を貰っており、何も疚しく感じることもない。
 だが、旅行で何が起こるか安易に想像出来てしまい、望美は幸せな緊張と不安でこころをいっぱいにした。
「ゆったり出来て、安いプランをチョイスはしてあるから。そこからふたりで最終決定しようぜ」
「う、うん」
 不安なのに幸せで、怖いくせにどこか期待をしてしまう自分に、望美はどうして良いのか分からずに、半分オロオロとしてしまっていた。
 鎌倉駅前の旅行代理店に到着すると、今までの緊張はマックスに達する。
 胸の鼓動は治まらずに、将臣に聞こえるかと思うほどに激しいビートを刻み付けて来る。
「では、羽田から那覇の飛行機往復チケットは確保出来ていますから、後はホテルですね。おふたりで一室でよろしいですよね?」
 代理店スタッフの事務的な言葉に、望美はドキドキしながら躰を小さくさせる。
「あ、あの、そ」
「それでお願いします」
 望美が緊張しているのを尻目に、将臣はさらりと呟いた。
 懇願するようなまなざしを将臣に向けると、有無言わせない光が返って来る。
 望美は溜め息を吐くと、いた仕方なく反論を止めた。
「ベッドはダフルかツインになりますが、ダフルルームのほうだと、オーシャンビューになりますからお勧めですね」
 ふたりを交互に見つめながら、スタッフの女性は意味深な笑みを浮かべて来る。
 確かに提示された写真はとても綺麗で、宝石のように煌めいている。将臣とふたりでこの海に昇る朝日を見る事が出来れば、これほどロマンティックなことはない。
「綺麗だね…」
「そうだな。朝日と夕陽が綺麗だろうな…」
 将臣は頷くと、まっすぐスタッフを見た。
「ここを2泊でお願いします」
「はい、畏まりました。お値打ちのコテージで素敵ですよ。こちらは本当にイチ押しですから」
 スタッフは将臣に書類を差し出し、ニッコリと笑う。
 そこにはコテージの名前と、ダブルルームであることがきちんと明示されていた。
「う、うそ…」
 文字で見ると、緊張が激しくなってくる。望美は喉がからからになるのを感じながら、何度も視線で字面を追った。
 将臣は書類にサインをして、淡々と必要事項を記入し始めた。
 これで逃げられない。
 元より逃げる気などないのに、何故だか少しだけ逃げたくなる。
 中途半端な感情。
 将臣は望美が預けた資金と自分の資金を合わせて、旅行代理店に手渡す。
 その様子を、望美はオロオロとしながら見ていた。
「では手続きは完了です。どうか楽しんで沖縄に行ってくださいね」
「有り難うございます」
 将臣が挨拶をした後で、望美も軽く頭を下げた。
 手を繋いで代理店を出たが、望美は思わずギュッと将臣の手を握り締めてしまう。
「どうしたんだよ、さっきからおかしいぜ」
「お、おかしくなんかないよ」
 将臣の突っ込みに動揺しながら、望美は大きな手のひらを握り締める。
「…なあ、嫌なのかよ?」
「何が?」
「俺とふたりきりの旅行」
 将臣の声に鋭い光が滲んだ金属のような失望が感じられる。
 将臣の声に刺されたような気分になり、望美は慌てて首を振った。息が出来ないほどに呼吸が苦しい。
「将臣くんとの旅行は楽しみだよ! 本当に素敵だって思ってる! 最高に楽しみだもん!」
 望美は自分が思っていることを素直に強く言い切った後で、将臣をしっかりと見つめた。
 だが睫毛がひどくちらちらと揺れる。
「だったらどうして、そんな切なそうな顔をするんだよ」
 ナイフのように切り込んでくる将臣の言葉に、望美は顔に切ない皺を寄せた。
「…だって…」
 言葉にするには恥ずかし過ぎて、望美は黙り込んだ。
「だって、何なんだよ」
「…だって…、ふたりで一緒に寝ると…その…」
 将臣の視線が怖くて、望美はたどたどしく呟くが、そうすればするほどに将臣の視線は険しくなっていく。
 望美は切羽詰まったように言葉を何度も震わせた。
「だから、何だって」
 将臣の低い声に、望美は思わず躰を震わせる。
「あ、あのね、一緒に寝ると、やっぱり…えっち…する…よね? やっぱするよね…。えっちするのは全然嫌じゃないんだ。将臣くんとならって思っているから…。だ、だけどね、友達から色々聞くと、初めてって、凄く痛いらしいから…、こ、怖いっていうか…」
 将臣の瞳をまともに見るのが怖くて、望美は視線を逸らせる。
 そんな小さなことで切なくするなと、将臣なら叱り飛ばすに違いない。
 だから怖くて見られないでいると、将臣の手のひらがふわりと優しく握り締めてきた。
「ったく…。確かに俺はあからさまにもお前としたいって思っているのは事実だ。だが、な、お前がマジで嫌がることなんか出来るはずはねぇよ」
 将臣の声が優しくて、ふと導かれるように顔を上げると、フッと甘く微笑んでくれた。
「…だから心配するな」
「うん、有り難う、将臣くん」
 望美はホッとしたせいで全身から力がだらりと抜けた。
 将臣の顔を眩しく見つめられる。
「…私は、将臣くんとしたいって…思っているよ。将臣くんじゃなきゃダメだって思っているよ」
「ああ」
 将臣は望美の頬をそっと撫でると、目を細めるように笑った。
「解ってる。お前が嫌がるようなことはしねぇから、大丈夫だ」
 将臣の言葉に素直に笑みを浮かべられる。望美は頷くと、将臣を強く抱き締めた。





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