いつもより少しだけ早く支度をし、いつもより念入りに髪をといたり、唇の手入れをする。 この制服を着ていられるのも今日が最後。想い出が沢山詰まっているから、余計に胸に込み上げてきた。 制服を着て、源平の時空に飛ばされ、闘っていた時も、ずっと一緒だった。それ故に惜別の想いはひとしおだ。 鏡の前でしっかりと百面相をした後で、望美は朝食を取りにいった。 「お母さんは後から、有川さんと行くから」 「うん」 「式の後は、みんなで騒ぐんでしょうから、私たちはすぐに帰るわね」 「お昼は将臣くんと腰越の食堂で食べてから帰ってくる。みんなで騒ぐのは、先生を交えて、夕方の謝恩会だよ。ノンアルコールで、ごはん食べて、8時には解散」 望美はいつものように、御飯とみそ汁、だし巻き卵に、ヒジキの煮物のスタンダードなメニューを食べた後、立ち上がった。 「お母さん、行ってくるね。お隣りで将臣くんを起こしてから」 「いってらっしゃい」 高校生活最後の目覚まし時計役。今日はいつもよりかなり早く、将臣がトーストを噛る余裕はあるぐらいの時間に起こしに行く。 こうして起こすのは恐らく最後。 春からは一緒に住むことになっているから。 「将臣くんっ! 朝だよ! 起きなさいっ!」 「…ああ…」 将臣はけだるそうにベッドから出ると、ボサボサの前髪をかきあげる。 「…朝の熱いキスをしてくれたら…、起きてもいい」 寝起きの将臣は、ただでさえ無防備に艶やかなのに、こんなことを言われれば、心臓が爆発しそうになるではないか。 だがここは流されずにピシリと言わなければならない。 「何を寝ぼけて言ってるのよっ! 熱いキスなんかはしませんっ! 早く起きてよっ!」 「へい、へい」 将臣はのっしりと躰を起こすと、ベッドから降りた。 自然に望美の前でパジャマを脱ごうとする将臣に、望美は慌ててしまう。 「ま、将臣くんっ! 私がいるのに着替えを始めないでよっ!」 「俺の裸なんて、お前は見慣れているだろうが? セキニン取ってお婿に貰ってくれるんだろ?」 「もうっ! 知らない」 からかわられて、望美は頭から湯気を出してぷりぷり怒る。 その様子を将臣は喉を鳴らしてくつくつと笑っていた。 「おら、カギ。下で茶でも飲んで待っていろ」 鍵を投げられて、望美はそれをしっかりと受け取った。 こうしたやり取りも、恐らく今日が最後だ。 望美は有川家の階段を降りながら、切ない気分になっていた。 有川家のキッチンで紅茶を頂いていると、いつもよりも早く将臣がおりて来て、席に着く。 トースト、ゆで卵、サラダの時間がなくても食べられるメニューだ。 将臣はそれらを素早くかきこんでいく。 「将臣、望美ちゃんのお母さんと鎌倉山でランチをするから、式が終わったら帰るから。どうせふたりで想い出にひたるでしょ?」 将臣によく似た面差しを持つ母親は、ふたりに含み笑いをした。 「まあな。俺達は、腰越の食堂で飯を食うからいいさ」 「あなたたちらしいわね」 穏やかな空気が流れてくる。望美は旅立ちの朝に相応しいと思った。 いつものように、自転車をふたり乗りして、鎌倉駅まで向かう。 これからも二人乗りはするかもしれないが、制服姿ではこれが最後。 望美はしっかりと将臣の背中に縋り付くと、背中に顔を埋めた。 入学式の頃とは見違えるぐらいに逞しくなった将臣の背中。 鼻孔をくすぐるのは、男の子ではなく、男の匂いだ。 確実に時間の流れを感じた。 駐輪場に自転車を置くと、将臣が手を繋いできてくれる。 いつもは手を繋いだり、べたべたすることを、人前では極力避けているというのに、今日に限ってはかなり甘やかされている。 望美は気持ちを探るように将臣を見た。 「いいの?」 「いいの。今日は特別だしな」 将臣は、望美の手をしっかりと握り締めると、江ノ電の駅までゆっくりと歩いていく。 「今日はあまあまな日。特別だからな」 今更だろうとばかりに意味深に笑われて、望美は拗ねるように唇を尖らせてみた。 公認の仲ではあるけれど、少しくすぐったいような気がする。 今まで、朝のラッシュ時には手を繋いだことはなかったのだから。 結ばれた手を見る視線がくすぐったい。 誰もが驚いている証拠だろう。 こんなにしっかりと手を繋いで学校に行ったことなどなかったのだから。 藤沢行きの電車に乗り込んだ時にも、手は離さなかった。 通い慣れた風景を車窓から見つめていると、心がノスタルジアに揺らされているような気がする。 鈍色の光に輝く海は、春の訪れを告げているような気がした。 このまま柔らかな陽射しを浴びて、将臣と抱き合うことが出来ればいいのにと、ぼんやりと思わずにはいられなかった。 電車を降り、手を繋いだままで、校門までの急な坂道を上がっていく。 今日は特別な日だから、風紀委員や生活指導の先生はいない。 だから堂々と手を繋いだままでいた。 手を繋いで学校に行ったことなど、小学生以来だ。 高校生活では一度も出来なかった、手を繋いで校舎を歩いてみた。 これも大切な想い出になると思いながら。 ふたりでわざと遠回りをして、教室に向かう。 お別れだねと、感謝の言葉を呟きながら。 式は想像通りの堅苦しいものだった。 緊張した空気に包まれながら、ふたりは高校生としての最後の時間を楽しむ。 挨拶や儀礼的な儀式が済み、ふたりの手には卒業証書が握られていた。 クラスメイトとは夕方の再会を約束し、母親たちには慌ただしく挨拶をしてから、ふたりは湘南の海に出た。 沢山の想い出が詰まった七里ガ浜。海を見ながら、ふたりで手を握り合い、語らう。 「綺麗ね、海」 「そうだな。綺麗だ」 手を繋いで波打ち際まで走っていったり、追い掛けてくる波と鬼ごっこをしたり。 ふたりで美しい陽射しと、特別に愛おしく思える波を、じっと見つめていた。 ふと、望美は寂しい気分になり、面差しのトーンを落とす。 「…何だか、寂しいね」 「また、何時でもここには帰ってこられるから、そんな顔をするなよ」 「うん…」 優しく髪を撫でられて、望美はホッと甘い吐息を漏らした。 「腹へったな」 「もうっ! 将臣くんはムードがないなあ」 「腹が減ったら、ムードなんて気にしていられるかよっ」 「まあ、そうだね」 望美も同意すると、将臣とふたりで腰越に向かって歩き出した。 腰越は小さな漁港があるおかげで、新鮮な魚介類を沢山食べることが出来る。 馴染みの食堂に入ると、解禁になったばかりの生しらすと、しらすどんぶりを頼んだ。 「卒業式の日にはこれを食いたかったんだよな」 「うん、うん」 ふたりして、他愛のないことで笑い合いながら、しらす料理を頬張る。 懐かしい味に、自然と目が細くなった。 「なあ…」 「なあに?」 「今日の謝恩会の後な、一緒にいようぜ」 「…うん」 さりげなく交わされる会話は、自分たちだけが知る甘い秘め事のようで、何だか嬉しかった。 湘南名物をたっぷりと食べた後、ふたりでまた高校に向かって歩いていく。 繋いだ手は、もう解かれることがないぐらいに、しっかりと結ばれていく。 駅まで辿り着くと、ふたりは学校と駅に向かって、ぺこりと一礼をした。 有り難うという想いを深く込めて。 「門出には最高の場所だと思わねぇか」 「そうだね」 望美は、見守ってくれた駅舎と校舎を眺めると、感謝の笑みを浮かべた。 卒業。それは温かな旅立ちを意味する。 |
| コメント 「エレーン」どんどんどんどん でお馴染みの映画と同じタイトルにしてしまいました。 正確に言えば、「卒業式」 卒業といえば、これを思い出すんですねえ。 |