祭の日


 女の子はルージュひとつで劇的に変化を遂げる。それはまるで蛹から蝶に生まれ変わるかのように。
 望美は唇にルージュを乗せて、少し背伸びをする。髪を上げて、浴衣に袖を通したから、それに見合うように綺麗にしたかった。
 大好きなひとに少しでも綺麗なところを見せたい。そんな乙女心が、望美をおとなびた雰囲気に駆り立てる。
 時計を見れば、もう少しだけ時間がある。だから、時間が許す限り、綺麗な自分を見せたかった。
 玄関のチャイムが無謀にも鳴り、望美にタイムリミットを知らせる。
「望美! 将臣くんが見えたわよ!」
「はあい!」
 巾着だけを持って、ぱたぱたと玄関に出ると、将臣が立っていた。
 少し伸びた髪とがっしりとしてきた躰つきは、あの時空にいた頃のおとなびた将臣を思い起こさせる。
「行くか」
「あ、うん」
 将臣の反応が、いつもよりもあっさりとしていたから、望美はがっかりとした戸惑いを感じずにはいられなかった。
「わたあめに金魚すくい、それにヨーヨー釣りか」
「もうっ! そんなに子供じゃないよっ!」
 真っ赤になって怒ると、将臣はスッと目を細めて、どこか深刻な表情をしていた。
「そうだな。お前はもう、ガキじゃねぇよな」
 ひとりごちるように出た将臣の言葉が、総てを表しているように思えた。
 ギュッと握り締められた手の強さに、望美は呼吸を乱す。
 こんなにこのひとが好きだなんて、大声で泣いてしまいたいぐらいに好きだなんて、自覚させられて、望美の呼吸は早くなる。
「しっかり手を繋いでおかないと、お前は迷子になっちまうからな」
「小さい子供じゃないよ!」
「だから困るんだよ」
 将臣は苦々しく呟くと、ぴったりと結ばれたまま、もう離れないのではないかと思うぐらいに、しっかりと指が絡まっていた。
「将臣くんは浴衣は着ないの?」
「あんな面倒臭いもんを誰が着るかよ。ヤローが着ても、華やぎはねぇだろうが」
「だけど将臣くんの浴衣姿は見たいよ。自分で着られない?」
「お前と違ってそのあたりは抜かりがねぇから、大丈夫なんだよ」
 将臣はさらりと呟くと、望美が人込みに翻弄されないようにと、より密着をしてくる。
「あんまりあちこち見るなよ。すげぇ人込みだから、迷子になっちまうぜ」
「だから小さな子供じゃないってば!」
「お前はガキ以下だよ」
 将臣はクールさとは裏腹の、情熱をたきつけるような深みを帯びた眼差しを見せ付けてくる。
 望美は全身が恋情で燃やし尽くされてしまいそうになった。
「お祭りって、こうやって歩くだけでも楽しい…あっ!」
 望美は夜店を見るなり大きな声を上げ、将臣を引っ張っていく。
「やっぱりな…。お前はいつも夜店ばっか冷やかすからな」
「だけどこうやってふたりで夜店を覗くのは久し振りじゃない! 小学生以来だよ」
「だからその頃から変わってねぇってことだろ?」
 あの頃とは全く違う夜の海のような声で、将臣は望美をからかう。
 声を聞くだけで、望美は胸の奥が締め付けられてしまう。
 望美は夜店の前で立ち止まると、じっとアクセサリーを見つめる。
 そこは今流行りのパワーストーンのアクセサリーをふんだんに並べてある。
 そこにはピンクのキラキラとした指輪もあり、望美は心を奪われていた。
「将臣くん、凄い可愛いよ」
「お目が高いですね。それは恋の石と呼ばれる、ローズクォーツですよ」
「へぇ」
 望美は将臣の手を引っ張ったままで、じっと宝石を眺める。そのきらびやかさに思わず吸い込まれそうになった。
「…こんなところも、全く変わっていねぇな」
 将臣は苦笑いをすると、指輪を手に取る。
 クズ石を使った指輪だが、望美にとっては何よりも可愛く見えた。
「じゃあ、これ下さい」
 将臣は指輪を店主に見せると、お金を素早く支払う。
 余りに隙なくスマートに指輪を買ってくれたから、望美の心臓は砕けそうなぐらいにドキドキしていた。
「あの時と同じだな…」
「そうだね」
 幼い頃に、親の目を盗んで行った夜店。そこで望美が欲しがった指輪を、将臣が買ってくれたことがあった。遠い昔の優しい想い出だ。
「本当にあの時と同じだね…」
 あの時も本当に嬉しくてたまらなかった。将臣が買ってくれた指輪を今でも持っているのが何よりもの証拠だ。
「じゃああの時と同じように嵌めてやるよ。指輪」
「有り難う…」
 将臣は左手をごく自然に取ると、約束の指である薬指に指輪を嵌めてくれる。
 胸がきゅんと音を立てて高まる。
「…もっと良い指輪をまたやるからな」
 将臣は照れ臭さそうに言い、望美の薬指を撫でてくれる。背筋にぞくりとした感覚が集まり、将臣に抱かれている瞬間を思い出さずにはいられなかった。
「…これはまあ予約金みてぇなもんだからな」
「予約金?」
「ほらCDとか買うときにあるじゃねぇか。少額だけデポジットに入れるやつ」
 将臣は僅かに目の回りを赤らめながら呟く。それはかなり照れている証だ。
「それが? あっ…!」
 あまりに将臣らしいロマンスが足りない表現に、望美は苦笑いを浮かべてしまう。
「婚約指輪の予約の予約ぐれぇだな」
「…有り難う…」
 ロマンスが足りなくても、望美にとっては充分に甘い出来事。
 瞳をキラキラと宝石以上に輝かせながら、じっと指輪を見つめた。
「有り難う、本当に嬉しいよ。だけどやっぱりロマンスが足りないね」
 くすくすと笑いながら呟くと、将臣は「うるさい」と言って照れ隠しをする。
「凄い嬉しいよ。今日のスペシャルだよ」
 望美が夜店の照明に何度も指輪を照らすと、将臣は柔らかく笑った。
「その指輪をつけたお前を抱きたい」
 小さな声で言われたので、望美は一瞬、何を言われているのか解らなかった。
 だが首筋にさりげなく唇が掠って、その意味を理解する。
「…あ、あの…、その…」
「んな可愛いことをしてきた以上は、覚悟が出来ているんだろうな。将臣くんにいやらしいことをされるって」
「そ、そんなこと考えてないもん…」
 ストレートに言われ、独占するように抱きしめられると、将臣との情事以外は何も考えられなくなってしまう。
「…もうちょっとお祭り楽しもうよ…」
「…ならいいのかよ?」
「…お腹をイッパイにした後じゃないと、体力がもたないよ…」
 将臣は可笑しそうに笑うと、望美をタコ焼き屋台の前に連れていく。
「たっぷり食ったら、俺の部屋に連れ込むから、覚悟しろよ」
「…うん」
 指輪を貰った後に、将臣と愛を交わす。それはきっととてつもなく幸せなことだろう。
 望美はローズクォーツを見つめながら、これから先は、文字通り薔薇色の瞬間が待っていると感じていた。




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