もう卒業の時期だなんて、時間の流れはなんて確実で怖いものなのだろうか。そんなことをしみじみと考えてしまう。 ホームルームで、卒業式に何を歌うか考えるなんて、何だか信じられない。 高校3年間は、正に怒濤の時間だった。 振り返ってみれば、何年経ったのか分らなくなってしまうほどだ。 異世界に飛され、改めて将臣が“運命の相手”であることを確信したり、将臣と想いを遂げる約束をしたり…。 人生にも大きな影響を与えた時間だった。 きっとこの時間は、何よりも大切だと思うことだろう。 本当に胸がキュンと締め付けられるほどに、甘酸っぱくて、優しく、切ない時間だったから。 過酷であったが、優しくて、大きな意味のある時間----この高校時代をきっと忘れることはないだろう。 「では、“夕陽に別れを告げて”が良いひと!」 望美は手を真っ直ぐと上げたあとで、将臣とアイコンタクトを取った。 こういうことは適当だと言う将臣も、ちゃんと手を上げていた。 この曲に手を上げた生徒が殆どで、どこのクラスもそうなのだろう。 鎌倉を舞台にした卒業ソングなのだから。 ノスタルジックな雰囲気を醸し出す歌は、望美たちの青春の一部を表しているのかもしれない。 きっと時間がいくら経っても、どれほどこの場所が変わったとしても、きっと忘れることはないだろう。 「ではうちのクラスでは、賛成多数で“夕陽に別れを告げて”を意見として持って行きます」 卒業委員に、誰もが拍手をしている。 ちらりと斜め前に座っている将臣を見ると、既に面倒臭そうにしていた。 将臣らしい。 思わずくすりと笑ってしまっていた。 ホームルームが終わり、将臣が声を掛けてきた。 「今日は七里ヶ浜に寄って帰ろうぜ」 「賛成。あ、だけれど寒いから、腰越のコンビニであんまんか肉まんを買ってから行こうよ」 「お前はロマンスよりも食い気かよ?」 「将臣くんに言われたくはないですよーだ」 「ったく、一言多いっていうの」 将臣は望美の手をしっかりと握り締めると、学校を出る。 制服姿でこうして手を繋いで歩くことが出来るのも、後僅かだ。 しっかりと繋がれた手には、優しい温もり。これだけでも、こころが芯まで暖まる。 制服のままで、こうして手を繋ぐことが出来るのも後わずかだ。 もうすぐ愛着のある鎌倉高校の制服を脱がなければならないのだから。 四月からふたりは同じ大学に通う。 四月からは忙しくなる。 こうしてぼんやりとしていられるのも、後僅かなのだ。 コンビニに入ると、ふたりは飲み物やお菓子を選ぶ。 「あー、イチゴ味のチョコレートだよー。春の新作だねー」 「あんまり無駄遣いはするなよ。春からはふたり暮らしするんだから、物いりだしな」 「解ってるよー」 だがきっと、こうしてお菓子を無邪気に選んでは笑える時間も、後少しだろうから。 望美は新作のイチゴ味のチョコレートと温かいお茶、そして肉まんを買う。 将臣はと言えば、ほかほかと湯気が眩しいカレーまんスペシャルと、ブラックコーヒー。 ふたりは手を繋いだままで精算を済ませて、七里ヶ浜へと向かった。 海岸を照らす光は、春の訪れを告げているかのように柔らかくて、優しい。 注ぐ光にこころを弾ませながら、ふたりは海岸に降り立った。 これからは、悩みだとか様々な話をするのに、もう七里ヶ浜を使うことが出来なくなる。 だからこそ、この時間を思い切り楽しみたかった。 確かに卒業は待ち遠しい。 だが確実に失わなければならないものもある。 それを考えてしまうと、いささかセンチメンタルになってしまった。 「やっぱここでゆっくりするのは最高だね。鎌倉高校に通っているから出来るんだよねー。なんだかさ、この海岸にいると、外国のリゾート地にいるみたいで、ロマンティックだなあ」 望美の言葉に、将臣は苦笑いを浮かべる。 「どこがだよ?」 七里ヶ浜から見える、まるで象を呑んだ蟒蛇のような形をした江ノ島を指差すと、望美は得意げに将臣を見る。 「江ノ島って、モンサンミッシェルみたいじゃない?」 「何だ、それ」 「フランスの有名な島みたいなところだよ」 望美が明るく言うと、将臣は眉を軽く上げるだけだった。 「フランスねぇ…。こんなに重い砂浜と、あっちの白い砂浜じゃ、全く違うと思うけれどな」 「だけど似ているんだよ。あっちほどロマンティックじゃないかもしれないけれど、私には江ノ島のほうがロマンティック」 望美は嬉しそうに笑うと、まだ肌に痛い潮風にその身を任せるかのように、腰を下ろした。 「まあな。俺もダイビングとかしたり、あっちの世界とかで色んな海を見て来たが、やっぱりここが最高だって思っちまうんだよな。特に夕陽は、お前が言うモンサンミッシェルとやらよりも、ずっとずっと綺麗だと思うぜ」 「うん。私もそう思うよ。ね、夕陽の時間までもうすぐだから、見て帰ろうよ」 「そうだな」 ふたりは寄り添って腰を下ろしながら、湘南の海を眺める。 春からは都内のアパートで暮らし始めるから、今のように思い立ったからと言って帰ってくることは出来なくなるだろうから。 こうして高校生のときに眺めた夕陽を、いつまでも忘れない様に、瞼にしっかりと焼き付ける。 ときにはコンビニで買った肉まんやカレーまんスペシャルを食べながら海を眺める。 話さなくても、お互いに何を言いたいのか解っていたがら、言葉なんていらなかった。 ただ手を繋いだまま、水平線を眺める。 やがて一日の疲れと、明日へのエネルギーを蓄えてくれるような見事な夕陽が、海へと沈んでいくのが確認出来た。 春夏秋冬。それぞれの顔を見せてくれたこの海とも、後しばらくすればお別れだ。 その証拠に、何だか、“少しの間だけはさよなら”と、囁いてくれているような気がした。 「…綺麗だね…」 「ああ…」 将臣の視線が夕陽から、オレンジに照らされた望美の横顔に向けられる。 「少しの間、サヨナラしなくちゃね」 「寂しくなったら、また戻ってきたら良いさ」 「そうだね」 望美が寂しげに笑うと、将臣がそっと引き寄せてきた。 「それに、この夕陽に照らされているお前が、一番綺麗だからな」 「将臣くん」 お互いに照れくさいまなざしを重ねあった後、唇を重ね合う。 また何時でも会える夕陽だから。 それまでは暫くの間、サヨナラ。 自分達を見守ってくれていた湘南の母なる海。 望美と将臣は、海に礼を言いながら、再びここに戻ってくることを誓っていた。 |