願い川


 七夕は願いが叶うお祭り。
 綺麗な空を横たわる川が、ロマンティックな願いを叶えてくれる。
 小さな頃の願いは、何だったのか上手く思い出せない。
 だが、今の願いなら直ぐに解る。

 鏡を見て、何度もチェックをする。ぬかりがないことは解ってはいても、とても不安になる。
 望美は、ちゃんと髪をアップ出来たか、ちゃんと浴衣を着られたのか、こと細かくチェックをした。
「まあ、よしとしないといけないのかなあ」
 日焼け止めを塗り、少し眉を整えて、後はアプリコットのリップグロスを塗る。
 何度鏡を見ても同じことは解っているはずなのに、つい見てしまう。
 それは誰かさんに綺麗だと思われたいからに違いない。
「ねえお母さん、私、おかしくないかなあ」
 母親にきけば、どこか華やいだ嬉しそうな笑みを浮かべてくる。
「うちの娘は、私に似てべっぴんさんです。綺麗だから、ちゃんと将臣くんを誘惑出来るわよ!」
「もう…お母さんのバカ…」
 指摘されることはやぶさかでないが、何だか妙に照れ臭い。
 最近、将臣がすごく男らしいせいか、こうして釣り合うように望美は背伸びをしている。
「そんなに見なくても大丈夫よ。あなたは充分に綺麗よ。まあ、将臣くんとのデートだから、気合いが入っているのは解るけれどね」
「デートって…」
 ごにょごにょと言いながら、望美は真っ赤になって俯く。
 今まではそんなことを意識したことなどなかった。デートだとか意識をするなんてことも。だいたい望美と将臣はボーダレスな関係がずっと続いていたから、一緒に出掛けたりはしょっちゅうだった。
 だが今は、ふたりのなかで変化があるのは事実だ。
 あの頃にはなかった、淡いときめきがふたりを支配する。
「こんばんは」
 将臣の声が玄関先に響き渡り、望美は心臓が跳ね上がる。
 耳の裏の脈拍が早くなり、唇が震えてしまう。
「いらっしゃい、将臣くん、望美もお待ちかねよ」
「はい、お邪魔します」
 将臣の声を聴くだけで、胃の奥が滲んでいるようなときめきを感じずにはいられない。
 あの声にときめく。
 いつの間にか、甘くて優しく響くテノールに変わっていた。
 嬉しいのに胃の奥が滲むような感じがして、お腹がときめきの余りに優しく痛む。
「準備出来たのかよ」
 日に焼けたこんがりとした逞しい肌が眩しい。なんてことのないカジュアルな、男子らしいスタイルなのに、どんな素敵なタキシードを着た男性よりも素敵に思える。
 思わず見惚れてしまい、望美はじっと将臣を見た。
 将臣もまた、目をスッと細めて、望美を見ている。こんなに危険な艶やかさを見せ付けられると、望美は喉までがからからになって飢えるのを感じた。
「行くか」
「うん」
 将臣を独り占めするように望美はぴったりとくっつくと、玄関に向かう。
 母親の嬉しそうな眼差しが、妙に恥ずかしかった。
「馬子にも衣装だな」
「言うと思った」
 たまにはストレートに褒めてくれても良いとは思う。けれどいつも将臣は、からかうことを言う。それが何だか切ないような、照れ臭さが嬉しいような。
 家を出てすぐ、将臣は手を繋いで来た。
 暑くなってきたので、指を絡め合うように手を繋いでいたのに、今日はがっつりと冬以上にしっかりと繋がれている。
「お前が迷子にならねぇように、しっかりと手を繋いでおかねぇとな」
「大丈夫だよ、小さな子供じゃないんだから」
「お前の場合は何でもありだからな。しっかりと捕まえておかねぇと、後で困るからな」
 いつもよりも今日の密着は強い。
 今日の将臣はステキ過ぎるから、こちらも捕まえておかなければならない。誰にも渡すつもりなどないから。
 ただ独り占めをしたいだけ。
 望美は暑いのも構わずに、将臣にくっつき、そのストライドに追い付くためにちょこまかと歩いた。
「将臣くん、七夕さまの願い事を決めた?」
「ひみちゅ。お前は?」
「勿論、ひみちゅ」
 お互いに顔を見合わせてーくすくすと笑ってみれば、将臣とじゃれあうように躰を密着させた。
 暫く歩いた後、ふたりは海が見える神社にたどり着いた。今日はロマンティックな七夕様だということもあり、殆どがカップルだ。
「あ、将臣くん、短冊だよっ! 願い事を書こうよ!」
「はい、はい」
 短冊を一枚貰い、ふたりは神妙な顔付きで睨む。
「大学受かるようにとか、解りやすいのを書くなよ」
「そんなグレーロマンスは書かないもんー。もっとこうロマンティックにね…」
 望美が短冊と睨めっこをしていると、将臣の視線を首筋に感じる。じっと見つめられて、呼吸が止まってしまいそうになるぐらいにドキドキを感じた。
 意識しないようにしようとしても、花盛りの恋心がそうはさせてくれない。
「…えっとやっぱりこれかな…」
 望美が声を震わせながら、筆ペンを取る。その間もずっと見つめられて、肌が将臣色に滲んでくるような気がした。
「…えっと、やっぱり…」
 短冊に集中しようと決めると、望美は考えて来た願い事を短冊にしたためていく。
 ”ずっと将臣くんの手を離すことがありませんように”
 ただひとつの今の願いをしたためる。
「私は出来たよ! 将臣くんも…あっ…!」
 急に引き寄せられたかと思うと、将臣は望美の首筋に唇を寄せてくる。
 アップして、むきだしになったうなじを、思いきり吸い上げられてしまう。
「ま、将臣く…んっ!」
 ひとが見ているというのに、望美は思わず甘い声を上げずにはいられない。
 痣が出来てしまうと思うほどに、将臣は強く吸い上げてきた。
 このまま立ってはいられなくて、望美はバランスを崩してしまう。
 すると将臣は鍛えられた腕で、望美を抱き寄せた。
「大丈夫かよ?」
 からかう艶やかな視線を、望美は睨みつける。すると将臣は更に強く抱き寄せて来た。
「誰のせいでこうなったと思っているのよー」
「さあな」
 くつくつと笑う将臣に、望美はぷいっと口を尖らせた。
「将臣くんは願い事は書かないの?」
「あ?」
 将臣は短冊に目を落とすと、そこに”願いは春日望美と同じ”と、さらりと書いてしまった。
「同じなんだ…」
 そう言って貰えるのが、飛び上がってしまうぐらいに嬉しい。望美は、将臣の腕をぎゅっと掴むと、もう二度と離さないと誓った。
「次が待っている。行くぜ」
「うん」
 短冊は将臣が持ってくれ、それを境内に飾ってある笹まで運ぶ。
 将臣は長身を活かして、高いところに飾ってくれる。
「有り難う。確実に叶うね」
「そうだな」
 望美はふと、人々の視線が自分のうなじにきていることに気付いた。
「ま、将臣くん、何だかー首筋を見られているような気がするんだけれど…」
「そりゃそうだろう。お前に迷子札を付けたんだから。
「迷子札?」
「キスマーク。お前が迷子になっても、他の男が寄り付かないように」
 いけしゃあしゃあと言ってのける将臣に、望美は真っ赤になって俯く。
 ふたりは手を繋ぐと暫く、夜の河を見つめる。
 願いは必ず叶うと確信しながら。
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遅刻七夕





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