「鬼やらいをしなくちゃねぇ。だけど鬼やらいって、なんか抵抗しちゃうなあ」 望美は溜め息を零しながら、豆菓子に付いているお面を眺めた。 「リズ先生を思い出すからか」 「そうだね。京の基準で見れば、私にとって、鬼は素敵だから」 懐かしくて、望美は思わず目を細めると、柔らかな気分になった。 ふと、無言になった将臣を見つめると、少しムッとしているのがありありと解る。 「どうしたの?」 「何でもねぇ」 プイッと顔を背ける将臣の瞳の周りは、うっすらと紅く染まっている。 きっと嫉妬してくれている。 そう思うと嬉しくて、望美は思わず微笑んだ。 まだ、好きだとかきちんと告白をしたわけではないが、以前に比べると男女としての距離は縮まったような気がした。 「…ね、嫉妬した?」 ほんの少しドキドキワクワクふわふわ。望美はほんのりと照れながら、将臣に訊いてみた。 将臣の表情が、可愛いと思えるほどに初々しく照れている。 魅力的だなあと、こころの奥底から思える表情に、夢中になっていると、将臣は睨み付けてきた。 そこにはいつものクールさなんて何処にもないから、こちらが吹き出してしまう。 「何だよっ!」 将臣は照れたままで望美の頭を抱えると、ぐりぐりと拳を押しつけて来る。 「もうっ! 痛いよーっ!」 「ったく、ひとをからかうな」 「もうー!」 ふたりは子供の頃から繰り返されて来た取っ組み合いにも似たじゃれあいを、声を上げて繰り返している。 以前と何も変わりがないはずの関係。 なのにどこか違っているように思えるのは、きっとお互いに命懸けで戦い、相手の無事を思った結果なのだろうか。 ふたりのあいだには、通常とは異なった時間が流れているのだから。 ふたりは、小学生のままのように、子猫のようにジタバタとじゃれあう。 「観念しろよっ」 「きゃん!」 将臣が望美を組み敷く形になったあとで、ふたりの視線が絡み合った。 まるで紅い糸のように絡み合った視線は、暫く解けない。 時間が止まってしまったかのように、ふたりはピッタリと止まってしまった。 この体勢に、今までは感じることがなかったドキドキを感じる。 こころが熱くなって、自分では押さえ付けることが出来ないほどに、暴れている。 こんなにドキドキしたことなんて、なかったかもしれない。 こんなにときめいたことも、恐らくはなかった。 まるで世界がキラキラと輝く場所へと姿を変えたように思えた。 「…あ…」 お互いに意味のある言葉なんて、紡げるはずもなく、ただ見つめあっている。 こうしているのがお互いにごく自然なのかのように、ぴたりと止まってしまっていた。 将臣の綺麗すぎる顔が近付いて来る。 薄くて整った唇に、どうしてもキスをしたくなった。 キスがしたい、キスがしたい、キスがしたい。 望美の頭のなかにはそれしかない。 だけどキスがしたい相手は、あくまでも将臣だけなのだ。それ以外の男なんて、望美には考えられなかった。 将臣も同じ気持ちだったのだろう。 体温と同じ温もりを持つ吐息が、望美の唇に吹きかかる。 瞳を閉じれば、世界で一番幸せなお姫様になれる。 目を閉じようとしたところで、ドアが勢いよく、かつ楽しそうに開く音が響いた。 「兄さん、先輩! 巻き寿司の準備が……!」 ふたりの余りにも余りな体勢に、意気揚々とドアを開けた譲が絶句した。 絶句したいのはこちらのほうだ。などと、こちらが思っていることも知るよしもなく、譲はただ固まっている。 将臣と望美は、急に現実に押し戻されたような気がした。 その途端に、ロマンティックが羞恥心に変わる。 蒼白の譲を尻目に、ふたりは真っ赤になりながら、お互いに素早く離れた。 あと少しで『幼馴染み』の壁をぶち破れたかもしれないというのに。 結局は健全な押し倒しで終わってしまった。 「あ、手巻き寿司だったか。有り難うな」 将臣は何もなかったことを装うとするのだが、その動きも口振りも余りにぎこちない。 それに対して望美も、声を上づられて答えるだけだ。 「そ、そうだよね。うん、手巻きって美味しいもんねー」 ふたりは何もなかったように笑ったが、譲の表情は冴えなかった。 ふたりだって散々な気分なのに、なかなか立ち直るきっかけを掴めない譲を、とことんまで気遣うはめになってしまった。 お互いにちらりと顔を見合わせる。 中断されたキスは、もっともっと熱い想いを生む。 キスをしたい。キスをしたい。キスをしたい。 その想いがかえって強くなってしまった。 有川家、春日家合同の節分パーティー。 毎年、手巻き寿司で無病息災を祈っている。 いつも一つ目の寿司は、無言で食べる習わしになっていた。 願い。 先ほどキスをしそこねた望美は、将臣の唇ばかりを想像してしまう。 あの唇は硬いのだろうか。 それとも。ほんのりとした柔らかさがあるのだろうか。 盛りのついた男子中学生のように、様々な想像をしてしまう自分が情けなくてしょうがない。 望美は寿司を食べながら、ただ、キスをしたいとばかり思っていた。 手巻き寿司パーティーはなかなか楽しくて美味しかった。 だが視線は将臣をちらちらと見るばかり。 望美の意識は完全に、キスにしかなかった。 将臣もまたそれしかないのか、ちらちらと望美を見ている。 ふたりして、キスのことしか考えていないかのようだった。 お互いに、恋心を告げるには至ってはいない。 だが、その雰囲気や空気は誰よりも感じることが出来る相手だからこそ分かるのだ。 お互いに男女として意識しあっていることを。 食事のあと、子供騙しのような豆撒きをした後、ふたりのキスへの情熱は、最早、止められないところまで来ていた。 自然に不自然に、隣りあって並んでいると、将臣が手を繋いで来る。 熱い指先に、望美は思わず息を呑んだ。 「厄除け参りにいかねぇか?」 「…行く…!」 「極楽寺に行こうぜ」 将臣は望美の手を引くと、平然と家を出て行く。誰の視線も全く気にはならない。 「兄さんっ! 先輩を連れてどこに行くんだよ!?」 「厄除け参りに決まってるだろ。じゃあな」 将臣は、譲を近付かせないオーラを放つと、無言で家を出た。 「極楽寺まで歩いていくか」 「そうだね。今夜は十六夜の月だし」 ふたりで闇のなかを、極楽寺へと向かう。 「厄除けが出来ると良いねー」 「そうだな。だけど手っ取り早く厄払いをしてやろうか?」 「何をするの?」 「こうするんだ」 将臣は立ち止まると、腰を屈めて、そっと唇を近付けて来た。 節分、十六夜の月。それなりにロマンティック。 触れた将臣の唇は意外なほどに冷たかった。 何かの本で読んだことがある。唇の表面は、女の子のほうが温かいから、キスのときに冷たく感じると。 少し冷たい将臣のキスは、クールでロマンティックだった。 触れるだけのキスのあとで、また手を繋いで歩き出す。 「厄除け出来ただろ?」 「うん、そうだね」 望美は真っ赤になりながら呟く。外の空気がちょうど良かった。 好きだと言葉に出来ずにもじもじしながら、望美は真っ直ぐと前を見る。「気持ち良いね」 「そうだな」 「なあ」 「何?」 お互いに気持ちを探る時間が続く。 「好きだから」 まるで当たり前の空気のように将臣が呟く。 「私も、好きだから」 声がいつもより大きくて高くなる。 ふたりは顔を見合わせると、お互いに微笑みあった。 言葉ととっておきのキスが、ひとつハードルを越えさせてくれた。 |