夕立


「天気ワルイな…。一雨来るかもしれねぇぜ」
「嫌だね…」
 夏期講習に参加した後、極楽寺の駅に着いた途端、将臣は空を見て、眉を潜める。やはりスキンダイビングを趣味にしているせいか、空模様には敏感だ。
「雷のひとつやふたつ、簡単に落ちるかもしれねぇな…」
「ちょ、ちょっと。恐ろしいことを言わないでよ」
 望美は、雷の音を想像するだけでその身がすくんでしまい、唇が僅かに震えた。
「お前、小さな頃から、雷嫌いは治っていねぇようだな…」
 将臣はどこか楽しそうに言うと、望美の手をしっかりと握ってくれる。その温もりに、望美は緊張を僅かに解した。
「…ちょっと安心したかな」
「安心しただろ」
 将臣はしっかりと望美の手を握り締めると、家まで導くように歩いていく。
「マジすげぇ灰色の空だな。まるで俺達の受験の色みてぇだよな」
「なんか嫌な空だよ。早く家に帰りたい…」
 望美が心許ない気分で空を見上げると、派手に雷が鳴り響いた。
「うわっ!」
 望美は可愛いげのない声で叫ぶと、将臣の肩に縋り付く。
 縋り付く度に逞しくなる将臣の肩のライン。
 まるで望美の心ごと包み込んでくれるようだ。
「…ったく。雷が止むまで、俺の家にいるか?」
「いる、いる」
 将臣は唇を歪めるように笑うと、望美の華奢な肩を抱き寄せてくる。
「や、やらしいことするの?」
「するって言ったら?」
「ダメ」
 望美はキッパリとお断りを入れたが、将臣はそんなことはお構いなしとばかりに、耳たぶに唇を掠らせた。
「俺に抱かれている間は、恐いことは忘れちまうんじゃねぇのか?」
「な、何を言っているのよっ!」
 強い調子で言ってしまうものの、頬はばら色に染まっている。望美は全く説得力なく視線を伏せた。
「えっち…」
「お前としたら、すげぇパワフルになれるの」
「もう…」
 ふたりでしっかりと抱き合って、愛を交わし合うのは嫌いではないし、それどころか将臣の愛情を確かめられるのは嬉しい。
 だが望美も乙女だ。あからさまな欲望を出すには、まだまだ恥ずかしいお年頃なのだ。
「…まあ、うちには寄るだろ? まあ、強制的にお前なら寄るだろうけれどな。小さい頃から、雷と言えば、いっつも俺に抱き着いていたからな」
「もう…」
 小さな頃から知り尽くされているせいか、幼なじみが恋人というのもどこか恥ずかしところはある。
 だがその分、しっかりと理解してくれているから、安心出来る部分も大きかった。
 ふたりで手を繋ぎながら、緩やかな坂を上がっていく。
 騒ぎながら、じゃれながら。
 直ぐに横に将臣がいるから、凄く恐いということもなかった。
「しっかし、白龍の神子様が雷が弱点だなんて知られたら、きっと誰もが雷ごいをしていただろうな」
「そんなことはしなくていいの」
恥ずかしくて望美が僅かに顔を背けると、将臣は豪快に笑った。
「もうすぐうちだからな。ふたりで雷から避難をしようぜ」
「そうだね」
 頬を大粒の雨に濡らされる。
「急ぐぞ」
「うんっ!」
 二人は手をしっかりと握りあったままで、家に向かって駆け出していく。
 雨足は激しくなり始めたが、雨に濡れて不快というわけではなく、逆にふたりでこうして走るのが嬉しかった。
「ゴール!」
「たどり着いて良かったね!」
「ああ」
 将臣は素早く家の鍵を開けると、望美を家の中に招き入れる。
「おばさんは?」
「今日はカルチャースクールのはず。夕方までは帰ってこねぇ。で、譲はいつもの通りにクラブ。県内の高校チャンピオンは、しっかり練習しねぇとな」
 将臣はキッチンに向かい、望美はその後をちょこまかと着いていく。
「昼飯はテキトーにしておけって言われてるから、テキトーにするけど、お前も喰っていけよ」
「うん」
 将臣は冷蔵庫を開けて、食材を捜し始めた。
「一応、ふたりぶんのサラダと簡単なおかずはあるな…。後はカップラーメンがあるから、それを喰うか」
 将臣は大きなお盆を取り出し、そこにお湯を注いだカップラーメン、ふたりぶんのサラダ、常備菜であるひじきの煮物をふたりぶん皿に盛る。もちろんミネラルウォーターも忘れてはいなかった。
「望美、先に部屋に行っていていいんだぜ」
「ひ、ひとりはちょっとね…」
 窓の外で光る雷を見つめながら、望美は顔を引き攣らせて笑う。将臣はそれを見るなり苦笑した。
「ったくしょうがねぇな。俺達の鞄持ちをしろよ」
「うん、解った」
 将臣が一歩先に階段を上がり、望美はその後ろを腰を引きながら着いていく。
 建物の中にいて安全なのは解ってはいるが、望美は恐怖を感じずにはいられなかった。
 遠くに聞こえる雷が、望美を震えさせる。
「…ま、将臣くん」
「もうすぐ部屋だから心配すんな」
「う、うん…」
 お盆を持った将臣は、器用に部屋のドアを開けて、望美を部屋に通す。飲食店での接客経験が長いせいか、スマートに身をこなしていた。
 将臣の部屋に入ると、望美は鞄を置いて窓辺へと向かう。
 将臣の部屋からは湘南の海が見え、空気が澄んだ晴れた日には、伊豆大島がくっきりと見ることが出来た。
「今日は海だけだね…。綺麗に大島が見えないよ」
「お前の家からも見えるだろうが」
「だって将臣くんの部屋からが、一番綺麗に海が見えるんだよ!」
「そういうもんか」
「そうなの」
 望美は、まるで車窓にへばり付いて景色を眺める小さな子供のように、外を夢中になって見つめる。
 それを優しい瞳をして将臣が見守ってくれていた。
「ほら、昼飯を喰うぞ」
「う、うん」
 ちょこんと小さな女の子のように座り込むと、望美はいただきますをして、ラーメンを啜る。
「こうしているとね、ふたりきりで遭難してしまったような感じじゃない?」
「そうだな」
 将臣はラーメンを啜りながら、軽く呟く。
「なんだかロマンティックだよね」
 望美がうっとりとした溜め息をつくと、将臣はどこかイタズラな子供のような表情をした。
「遭難したんだったら、飯食った後の男女がすることって決まっているよな」
 将臣の視線が、ベッドに投げ掛けられる。その瞳のエロティックさに、望美の肌は沸騰したかのように熱くなっていた。
「…もうっ! 将臣くんのスケベっ!」
 望美がいくら怒っても、将臣はどこ吹く風だ。
「そのえっちな男に、えっちなことをされて喜んでいるのは、どこの誰かよ」
 反論出来なくて、望美は言葉を詰まらせてしまった。
 望美がラーメンを食べ終わる頃、いよいよ雨と雷は激しさを増していた。
「…いやっ!」
 音の凄さと光の自己主張の激しさに、望美は思わず将臣に抱き着く。将臣はしっかりと逞しい腕と胸で抱き留めてくれると、望美の背中を撫で付けてくれた。
「…大丈夫だ、大丈夫」
「ま、将臣くん…」
 安心しているのに、まだ足りなくて、望美は恐怖の余りに涙を滲ませる。
 鼻を啜ると、将臣はより強く抱きこんでくれた。
「…望美…」
 背中を撫でてくれるリズムと将臣の鼓動のリズムが、望美には子守歌のように聞こえる。総ての神経が安らかになるのを感じた。
 いつの間にか安堵の波がやってきて、たゆたゆと望美を安楽の海原へと運んでくれる。
 いつしか夢の中に身を寄せていた。

「ったく、寝たのかよ…。目が覚めたら覚えていろよ」
 将臣はこの上なく優しい声で囁くと、望美の瞼に口づける。
 将臣の眼差しの向こうには、あっという間に澄んで晴れ上がった空と、大島にかかる虹があった。
コメント

夕立と言えば雷。





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