満月が美しい夜に生まれたから名付けられた名前は、余り好きにはなれなかった。 厳かに静かな力で輝く月よりも、様々なものに力を与えて輝く太陽のひかりのほうが、素敵にも素晴らしくも思っていたからだ。 けれども…。 満月の夜に見る夢が、恋しいひとの夢と繋がっていると知ったとき、ようやく月を好きになれた。 自分の名前が好きになれた。 大好きなひととの唯一の繋がりが、月のひかりのように思えたから。 将臣くんもまた、月のひかりに導かれて、元の世界に戻ってきてくれた。 嬉しかった。 嬉しくてたまらなくて、言葉に出来ないぐらいに嬉しくて。 だけど同時に、呼吸が切なくなるぐらいにこころが痛んだ。 将臣くんのこころのかけらは、そのままあの時空に、平家に置いてきてしまったような気がしたから。 いつも寂しげに、屋上から空を見上げるあなたの瞳のなかに、私は住めない。 あなたのひとみの奥には、懐かしい平家のみんなが映っている。 昼休み、あなたはいつもと変わらない。 食堂の購買で、いつものように競争に勝ち抜いて、焼きソバパンとカツサンド、それにカレーパンを買って、嬉しそうにそれを食べる。 「…やっぱこの味、美味いよな。久しぶりに食うと、マジでそう思うぜ」 ガツガツと小さな子供が夢中になるかのようにパンを貪る将臣くんが可愛いくて、私は思わず目を細めた。 「購買のパンはかなり美味しいからねー」 「そうだよな。何度も懐かしいなって思った」 パンに落とす視線が、どことなく色気があり、私は思わず見入ってしまう。 今までは将臣くんは豪快に男の子そのもので、憂いだとかそんなものは縁遠いように思っていたし、実際にもそうだったのだと思う。 なのに将臣くんは変わってしまった。 私を見つめる瞳に、時折、愁いが帯びる。 その瞳が、時空を越えた時間の流れを表わしていた。 昼食が終わると、将臣くんは必ず屋上にあがる。 湘南の海と空が勇壮なまでに美しく輝いて見える、一番のスポットに必ず立って、遠い遠い時空に想いを寄せている。 「綺麗だね、空も海も。あと少ししたら、春を運んできてくれるよ」 「そうだな…。こっちにいる頃は、綺麗だろうな」 「うん」 フッと寂しそうな笑みを浮かべる将臣くんは、きっとあの時空の海を思い浮かべているに違いない。 「あっちの海を思ってた?」 将臣くんは私の顔を一瞬だけちらりと見ると、また遥か遠くを見つめる。 「…まあな。ただあっちの海を見るとこっちの海が懐かしく思え、こっちの海を見つめると、あっちを思い出すんだよ」 将臣くんはしみじみと呟くと、また空を見上げた。 「…私は、湘南の海を将臣くんと一緒に見られるのは嬉しいかな」 私が素直に自分の気持ちを将臣に話すと、にっこりと笑った。 「湘南の海は俺も好きだ。お前と一緒にいるから尚更かもしれないけれど…」 「私もだよ。将臣くんと一緒に見る海だから、一番の海だって思うんだ」 空色の笑みを浮かべると、将臣もそれにつられて笑う。 「お前、恥ずかしいことを言い過ぎ」 「だって言わせたのは将臣くんじゃないーっ!」 定番のようにじゃれてからかわれるのが恥ずかしくて、私は耳まで真っ赤にさせて怒った。 将臣くんの表情には愁いはなく、いつものような屈託ない明るさになる。 それゆえに切なかった。 「…将臣くん、何かあったらさ、何時でも私に言ってくれたら良いから。将臣くんのことなら、この春日望美にどんとお任せあれ!」 私が笑うと、将臣くんはまた陰りのある表情になる。 そんな傷付いたような表情を浮かべられると、こちらが重くて切なくなる。 どうかそのような表情をしないで欲しいし、させたくない。 私は無意識に泣きそうな顔をしていたからなのか、将臣くんは困ったように眉を寄せると、私の髪をくしゃくしゃにした。 「んな顔をするな。どんと、春日望美に預けるかな。俺自身を」 「…ん、任せてよ」 将臣くんの大きな手が切なくて、私は思わず目を伏せる。 帰ってきてくれたのは、本当に嬉しい。 けれどもそんな切ない顔を本当にさせたくないんだよ。 「…そっか。お前にそんな顔をさせてんのは、俺なのかもな」 将臣くんは以前よりも愁いがある優しさを滲ませながら、私の頬を柔らかく撫でた。 「…そんなことないんだよ…。本当にそんなことは…」 将臣くんの優しさで、不覚にも涙が瞳の奥から滲んでくる。 私はそれを必死になって隠すために瞳をわざと閉じた。 「…そんな顔をさせるために帰って来たんじゃねぇから。…だから、笑えよ」 「そうだよね、うん、私だって本当は…笑いたいんだよ」 私は一生懸命に笑おうとしたけれども、なかなか上手くいかなかった。 将臣くんを切なくさせる気はさらさらないのに、どうして上手くいかないんだろう。 私は思いなおして、また、笑ってみた。 「笑ってるほうがお前は良いさ。だってお前は、太陽よりも眩しい月なんだからな…。俺にとっては…」 太陽よりも眩しい月だなんてこれ以上の褒め言葉はないと思いながら、私はまた笑った。 少しずつこころからの笑顔が戻ってくる。 「将臣くんも、いっぱい笑ってね。将臣くんがこころから笑うことが出来たら、私はもっともっと笑うことが出来るから」 「望美」 将臣くんはフッと笑うと、まるでふざけているかのように私の頭ごと抱き締めてきた。 「…そうだな。お前がいつも泣きそうな顔をしているのは、俺がちゃんと笑わなかったからだろ? 前のようにちゃんと笑えるように努力する」 「焦らなくて良いんだ。少しずつ明るく笑ってくれたらそれで良いんだ」 将臣くんを急かす理由なんてもう私にはない。 だってもう、将臣くんが側にいるのは分かりきっていることだから。 「…ふたりでさ、一緒に笑い合って生きていければ良いじゃない? ゆっくり。だから、全部預けてね。将臣くんの笑顔になるように、ずっとずっと側にいるから」 私は今、言葉に出来る限りの想いを伝えて、将臣くんを見上げた。 「…そうだな。きっとお前と時間の流れが、何よりもの薬になるだろうからな」 「ん、そうだね」 私が潤んだ瞳を将臣くんに浮かべると、それを癒すように瞼のギリギリのラインでキスをくれた。 「…しかし、全部預けろって、まるで信託銀行みてぇだな、お前」 将臣くんは苦笑いを浮かべたが、そこにはもうどこにも愁いなどはなかった。 「いいんだもん、将来、銀行員にでもなるから」 「だったら俺専用の信託銀行員になれよ。俺のお月様」 「どうしようかな〜。永久就職なら考えても良いよ?」 わざとからかうように茶目っ気を含めてつぶやくと、将臣くんは眩しそうに笑う。 「オッケ、覚悟してろよ、望美」 将臣くんの力強い声にドキドキして、のどがからからになるぐらいに緊張とときめきが襲ってきた。 私は将臣くんを見上げると、少し背伸びをして胸を張る。 ドキドキしているけれど、とても気持ち良い。 「臨むところだろ?」 「もちろん」 「受けて立ってやるぜ、望美」 将臣くんにきっぱりと宣言するように名前を呼ばれる。 私は、にっこりと笑って、しっかりと頷いた。 |