白い雪の華を見ると、どうしてこんなにも切なくなるのだろうか。 白い雪の華は、どんな色にも染まるくせに、本当は染まらない。 望美は海に輝く雪の華を見つめながら、胸の奥が染みるほどに痛んだ。 寒いから、早く温かい場所にいけば良いのに、そんな気分にはなれず、ただ鈍色の空を見上げた。 冬の湘南は寂しい。 夏は乱痴気騒ぎなのに、冬はそんなことすら忘れてしまうほどに、胸がきゅんと唸るような寂しさがある。 灰色の重たい砂浜とくすんだ空の色。 だが望美はその冬は悪くないと思っていた。 少し寂しいぐらいのほうが、温かな幸せを感じてくれるような気がするから。 それは今までは、将臣が傍にいたから。 なのに隣には、将臣がいない。 必ず戻ってくると約束をしたのに、将臣はまだ戻っては来ていない。 早く帰って来て欲しいと思うわがままなこころと、総てを納得がいくまでやって欲しいというこころがせめぎあいになる。 望美は将臣を思ってまた一粒涙を零した。 将臣はいつ帰ってくるのだろうか。 この灰色の砂浜にたっぷりと涙が吸われるまでは、帰って来ないのだろうか。 「…先輩っ!」 声を掛けられて振り返ると、部活動中の譲がいた。心配そうに望美を見つめている。 「こんなところでぼんやりとしていたら、風邪を引きますよ!?」 「そうだね。だけど寒くないんだ。雪の華って凄く綺麗だなって思って見ていただけだよ。だから心配しなくても大丈夫だよ」 望美はやんわりと譲に言うと笑ってみせた。いつもよりは寂しげな顔に映ったに違いない。 「…また、兄さんのことを考えていたんですか?」 譲の声が強張り、まるで望美を責めるかのように響く。 望美は薄い笑みを浮かべると、力なく首を横に振った。 「そんなことないんだ。何だか色々あり過ぎて、まだ受け入れられない自分がいるっていうか…。将臣くんが まだ帰って来ないっていうのも心配だけれど、色々と考えることがあって…」 「そうですよね。解ります、その気持ちは…。余り、根を詰めて考えないようにして下さい。それにいつまでここにいても、躰が冷えて、風邪を引くだけですから」 「有り難う」 譲は頭をぺこりと下げると、再びランニングに戻って行く。 日常に回帰しようと努力する譲と、そうは出来ない望美。 その原因が何かは、望美は充分過ぎるほどに解っていた。 いつも当たり前のようにいた将臣がそばにいない。 将臣なくして、望美の日常回帰なんてありえなかった。 雪の華が舞う。 清冽にそしてどこか力強く。 望美は手のひらに舞降りた花を握り締め、涙を一粒また零した。 温めて欲しいのはただひとりだけと決めているので、寒くなっても、望美は極力暖を取らなかった。 こんな時期に薄着をしたままだなんて、誰もが怪訝そうに見ていたが、それでも望美は止めなかった。 この冷えきった躰を温めて貰うのは、将臣だと信じていたから。 洟を啜り、咳をしながらでも薄着をしていると、流石に母親が注意をしてきた。 「もうっ! 薄着は止めなさいっ! こんなにも寒くなっているのに、呑気に薄着をしているのは、あなただけよ」 「いいの! 人間、着脹れをしているほうが躰に悪いんだよ!」 「お隣りの譲ちゃんが凄く心配していたんだから」 「解っている」 大概はいつも母親と痴話喧嘩から朝が始まる。 いくら言われたとしても、望美は曲げる気には一切なれなかった。 この冷えきった躰とこころを芯まで温めてくれるのは、将臣しかいないと解っていたからだ。 「いってきます」 今朝もひとりで登校をする。 横には幼馴染みはいない。 温かで逞しい背中を思い出して、望美は泣けて来た。 早く、早く、帰ってきて欲しい。 将臣が帰ってこなければ、望美の日常回帰は始まらない。 昨夜は満月だったのに、将臣は戻ってはくれなかった。今宵は十六夜の月。 また、僅かな期待だけを抱いて、将臣を待たずにはいられなかった。 薄日がさす、鈍色の空を眺める。望美は将臣が帰って来ることを祈らずにはいられなかった。 もうすぐ冬至のせいか、日が傾くのが早い。その分、寒くなるのもかなり早くて、望美はコートも着ることなく、月を見るために屋上へと向かった。 今日は不思議な感じがした。 空気がいつもよりも清らかで、躰に染み込んでくる。 こころが震えて、不思議な高揚感があった。 寒いのに寒くなくて、こころや躰の隅々までが純粋になっていく。 月が空に昇るのを見ていると、不意に時空が止まってような感覚がした。 温かな気配がする。 振り向かなくても解る。 だが振り向くのが怖い。 こころは高まるのに切なくて、望美は肩を震わせた。 「…ただいま…」 将臣の低い声が聞こえたかと思うと、背後から強く抱き締められる。 優しい強さに涙がこぼれ落ちた。 「遅くなってごめんな…」 将臣の切ない声に、望美のこころは震える。涙で揺れる声を、望美はやっとの事で呟いた。 「…おかえり…。待ちくたびれて、全身が冷えちゃったよ…」 「温めてやろうか?」 「うん、全部冷えちゃった」 望美が甘えるように言うと、将臣は躰をしっかりと擦り付けて来る。 将臣を感じる。 切ないぐらいに将臣の匂いがして、息苦しくなる。 鎖骨が軋むぐらいに抱きすくめられて、望美は呼吸をすることを忘れてしまうぐらいに喘いだ。 「…将臣くん…っ」 強く将臣の手を握り締めると、感きわまったように首筋に唇を深く押しつけられる。 「…んっ、将臣くん…。まだ、まだ足りないよ…。まだまだ寒いよ…」 「解ってる。俺も同じだ…」 将臣は腕のなかで望美をくるりと回転させると、顔を近付けて来る。 月光に晒されて将臣は、キラキラしていてとても綺麗だ。 十七の姿に戻った将臣は、時空に向かう前よりも艶やかさが滲んでいる。 二十一の将臣にもドキドキして、喉がからからになるぐらいにときめいた。 今は、まるで初恋のひとが、想像よりも素敵になって現われたような気分だ。 将臣は十七には思えないほどの艶のある笑みを浮かべると、望美にゆっくりと唇を近付けて来る。 呼吸困難になるほどに唇に欲望を感じる。 まるで憬れていた王子様にキスされるようだ。本当は、それ以上かもしれない。 「…望美…温めてやるよ…。もう、お前が寒いって言えないくらいに」 将臣の声がとても心地良くて、望美は微笑む。 「温めて…。唇も…」 望美の甘さが滲んだ声に、将臣もまた笑うと、深い角度で口づけてきた。 将臣の唇の熱が伝わる。 望美の躰にこころに唇に…。 もう二度と将臣の温もりを離さないとばかりに、望美は深い部分に浸透させる。 寂しさが浄化した瞬間、雪の華がふたりを祝福するように舞い上がった。 |
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