空気みたいな存在だったから。 そこにいるのが当たり前だったから。 恋をしていることに、気付かなかったんだよ----- 灰色の厚い雲に覆われる寒い季節に、事は起こった。 それは引き金にすぎなかったかもしれない。 期末考査も近い、クリスマスの声も聞こえる、そんな時期だった。 「有川、春日とおまえは付き合ってるのかよ?」 あまり交流のない隣のクラスの男からイキナリ声をかけられた上に、唐突に何を言い出すのかと思った。 イラつく。 将臣は眉間にシワを寄せて。更なる不機嫌な顔になる。精微な将臣がそんな表情をすれば、益々冷たさが頭を擡げてくる。 少しだけ間を開けた後、将臣はぶっきらぼうに口を開いた。 「…んなんじゃねえよ。アイツとはただの幼なじみだ」 本当のことを言ったまでだが、妙に胃が強張りを見せてムカつく。だいたいどうして望美のことを聞いてくるのか。本人に直接聞けばいいのに。 こういった遠回しな臆病なやり方が、姑息にすら思えた。 本人に直接訊けばいい。 将臣のものでなかったとしても、他の男のものの可能性も否定できないのに。 そんな男に望美を渡すわけにはいかなかった。 「用はそれだけかよ?」 怜悧でどこかドスの利いた将臣の声に、相手の男は、後退りするほどに戦く。そんなことびびるヤツには、望美の隣にいる資格などない。 今将臣が決めたこと。 「そ、それだけだ」 「んなことぐれぇで呼び出すなよ。自分で確かめろ」 将臣は捨て台詞を吐いて踵を返すと、制服のポケットに両手を突っ込んで、肩で風を切るように歩いた。 何だか気にいらない。どうしても気に入らない。 だいたい、誰のものであろうとも、本人を奪うぐらいの覚悟がない男に、大切な幼なじみは渡せない。 そう、簡単には。 将臣が庭を突っ切って行くと、望美の姿を認めた。 いつも以上に眩しくさえ感じる。 真っ直ぐと伸びた髪を靡かせて、ネイビーブルーの制服を翻す姿は、闘いの女神アテナに見える。 将臣は無意識に見惚れていた。 まるで女神のように、天使のように軽やかな羽根が、望美の背中に見える。 いつかその羽根を広げて、誰か知らない者のものになって行くのだろうか。 そこまで考えたところで、将臣は、目の前の世界が、音を立てて崩れて行くのを感じた。 そんなことは赦さない。 望美は誰にも渡さない。 取られたくはない。 この何もないかもしれない手だが、それでしっかりと握りしめたい。 将臣は、顔も覚えてはいない先ほどの男の影を思い出し、キリリと唇を噛み、拳を握り締めた。 「あ! 将臣君!」 元気印そのものの笑顔を将臣に向けて、望美がこちらにやってくる。 いつか、この笑顔が誰かのものになるのだと、考えるだけでムカついてしまった。 「どうしたの? 何かあったの?」 望美は表情を覗き込むように、顔を無邪気に向けてくる。小さい頃から、ほんの小さなことだけでも心配するのが癖みたいになっている。それが大きなお世話なところはある。 「うるせぇな、おまえには関係ねぇだろ」 「ホントにどうしちゃったのよ?」 お節介な望美の眉がヘの字に曲がり、困ったような顔をしてきた。 「何でもねぇよ。マジで」 「ホントに?」 こうやってしつこいぐらいにとことんまで心配をする望美がうざったく感じ、将臣は、不機嫌さを宿した眼差しを、切れるように向けた。 「イチイチ、おまえも俺のことを心配するな。だから彼氏ひとり出来ねぇんだぜ!? 俺にオンナが出来ねぇのも、おまえが四六時中くっつくからせいかもしれねぇけれどな」 そんなことを心から思っている訳ではないというのに、どんどんと口についてしまう。 それもこれも、顔すら思い出せないあの男のせいだと、苛立たしく思った。 当然、ここまで言えば、望美が爆発するのは、目に見えている。事実爆発して欲しかった。 だが目の前の望美は、驚いたように大きな瞳を見開いただけだった。 そこには傷ついた小動物のような雰囲気がある。 いつものように、ぴしゃりと言ってくれ。 将臣の願いは、その瞳に吸い取られてしまう。 「-----そ、だね。今まで、気付かなかったね。ごめんね・・・」 声が少し震えている。 今まで、どうして気付かなかったのか。そんな望美の想いが声に滲んでいた。 「自分のことしか考えてなかったね、ごめん」 それはまるっきり自分のことだと、将臣は感じていた。 いつもの勝ち気で生命力の溢れた望美の瞳が、今、将臣自信のせいで愁いが滲んでいる。それが将臣を余計に苛立たせた。 「だが事実だろ? お互いに近付かないぐらいのが、ちょうど良いのかもな」 将臣の言葉に、望美が傷ついたのは明らかだった。 大きな瞳は人形のように見開かれたまま、動揺を映している。 「-----解った」 望美は泣き笑いのような切ない顔を一瞬だけ将臣に向けると、静かに目の前から立ち去った。 振り向いてくれ-----我が儘にそう思っても、たとえスローモーションでも、望美は振り向かなかった。 こんなに女の背中をしていたのだろうか。 後ろ姿を見ながら、将臣は思い切り周りの土を蹴っ飛ばす。 「くそっ!!」 ちっぽけな感傷で、望美との関係が、ぎくしゃくとしてしまった。それがムカついて、更に不機嫌になってしまった。 きっと俺は嫉妬している。 望美に近付く総ての男に----- 翌日から、望美が有川家に迎えに来ることがなくなった。 譲が随分で訝かんでいたが、将臣は何も言わなかったし、何も言えなかった。 『将臣君、おはよう!!』 あの元気な声を訊くことが出来ない朝が、こんなに絶望的な朝になるなんて、将臣には思いも寄らぬ事だった。 遅刻しそうになった朝には、自転車で二ケツして一緒に江ノ電の駅まで向かっていた。 あの騒がしくも幸せな朝が、今日は訪れなかった。 自分のせいなのに----- 教室で望美の姿を認めた。いつもよりかなり早く登校したのだろう。 ぎこちない挨拶しかしては貰えなかった。 いつもなら素直に話をしたり、ふざけあったりするというのに、今日に限っては無口だ ふたりはお互いに近付きにならぬまま、鈍色の時間を過ごしていた。 「次は体育だっけ?」 「うん!」 望美はクラスメイトに明るく答ええると、体操着の入った巾着袋を持って更衣室に向かった。 今日の体育は体育館でのバレーボール。幾つかの班に分かれて、男女合同で行うのだ。 望美はと言えば、珍しく将臣とは敵対するチームに振り分けられていた。 そこに望美がいるだけでも我慢ならない。 おまえのいる場所はこの傍なのだと言って、強引にこちらに連れて行ってしまいたいとすら思った。 我が儘独占欲に支配されながら、将臣は、益々苛立ちを募らせていく。 コートにはいると、将臣は機嫌が悪いのを通り過ぎて、まさにクールな域に入っていた。女子生徒たちは、皆、黄色声援を上げている。 そんなものはいらない。 望美がいつものように応援してくれれば、それで良かったのだ。 視界には望美しか入らない。 無意識に望美だけを追ってしまっていた。 「将臣!」 セッターが将臣に絶妙なトスを上げてきた。 視界と意識は望美にしかなく、将臣は高くジャンプをしながら、望美に向かい、無意識にスパイクを打ってしまった----- 「きゃあっ!」 望美の恐怖に戦く悲鳴と共に、将臣はコートに着地をする。 男の将臣が思い切り放ったスパイクは、望美に見事に命中し、その勢いで望美が飛ばされた。 「…望美…?」 悪夢だと想った。 ただでさえ敵のコートにいる望美に、思い切りスパイクを打ち付けてしまうなんて。 「望美!!」 将臣はそのまま相手のコートに容赦なくはいると、倒れ込んだ望美を抱き起こしに行った。 心臓が早鐘のようになる。 望美に何かがあれば、どうかなってしまうかもしれない。 「望美、望美?」 何度か名前を呼んだが、望美の瞼は僅かにぴくりと動くだけで、それ以上の反応はしない。 望美に何かがあれば、きっとここから消えてしまいたくなるだろう。 それしか頭になく、抱き起こしたときにはぐったりとしていた望美を、しっかりとお姫様抱っこをする。 その途端、将臣のファンの生徒からは、羨望の溜息があちらこちらで聴かれる。 「保健室に連れて行きます」 「あ、ああ。そうしてくれ」 素早い将臣の行動に、体育教師ですら呆気にとられる中、保健室に向かった。 途中、ほおっと軽い脳震盪を起こしたような望美が意識を戻し始める。 「望美!?」 「…将臣君…、有り難う、私、気絶してた…?」 まだ夢の国にいるかのような声で、望美は将臣に問う。そのどこか遠くを見ている眼差しが、とても美しく思えた。 「ばか、俺が打ったスパイクがおまえに命中しちまったんだよ!? すまねえ、平気か?」 「平気だよ、全然」 望美がぼんやりと微笑む姿は、この世界のものとは思えないほどに神気に溢れ、清らかで美しい。 ----いっそ、その清らかさを汚してしまえたら。 将臣の中で、望美への渇望が大きくなっていく。自分でも抑えきられないぐらいに。 保健室に到着すると、望美を抱いた将臣を見るなり、保険医が驚いた。 直ぐにベッドに寝かせるように指示を受け、将臣はパイプベッドに望美を横たえた。 「有川君は授業に戻りなさい」 「いいえ。俺もここにいます。こいつをこういう風にしちまったのは、俺だから」 誰にも命令は受けないとばかりの覇者の風格を漂わせながら、有無言わせないように将臣は言う。たとえ教師であろうとも、そんなことは関係なかった。 「しょうがないですね、この時間だけですよ。有川君」 「有り難うございます」 教師ですら、屈服してしまうほどの意志を突きつけ、将臣はぶんがしたいことをする。 「有り難う。ちょっと休んだら治るよ。将臣君がいて、よかったよ、本当に!」 眩しいばかりの笑顔を、ただ将臣だけに向けてくれる。 胸の奥が甘酸っぱくて、どうしようもないぐらいに切ないのに、なぜか幸せだ。 日差しが入り、望美の横顔を照らす。 神々しいほど美しく、誰にも渡したくないと、将臣は強く確信した。 美しい、望美を自分だけのものにしたい。 もう二度と離したくはない。 いっそこの腕の中虹と閉じこめて、離したくはない。 今まで知らなかった。 気付かないふりをしていたのかもしれない。 余りに身近な相手過ぎて、気付こうとしなかったかも知れない。 将臣は望美の手を取ると、真っ直ぐとその心に入りたい一心で見つめた。 「----なぁ、今年のクリスマスは、俺とふたりきりで過ごさねぇか?」 ぽっと望美の頬が赤く染め上げられる。 ずっと待ってくれていたかも知れないという、満足感が将臣を満たしていく。 「----いいよ。ふたりで、過ごそう、将臣君」 将臣はホッとしたように柔らかな微笑みをフッと望に浮かべた。 叶えられない約束----- まさかあの運命の渦の中で、消えてしまうとは、少しも想わなかった----- |
| コメント ゲーム直前の、ふたりのエピソードを捏造。 将臣→望美です。 |