ロマンティック・トレイン


「もう少し早く起きられたら、こんなにラッシュに巻き込まれなくて済むのになあ」
 望美は雨で滑る路面に辟易しながら、将臣に愚痴をこぼした。
「んなこと言っても、俺たちは譲じゃあるめぇし、無理だろ」
「そうだけれどね。将臣君は私よりも更に寝ぎたないから、譲君を見習うのは無理羽化。私が起こさないと起きないもんね」
「うるせ〜」
 二人は肩がぶつかってしまうほど混み合った駅のホームへと向かう。
 短い会談なのに、混み合いと雨で濡れている性でかなり歩きづらい。
 多くの学校が建ち並ぶ文教地区ならではの朝の風景。
 小さくクラシカルな車両では、なかなか生徒たちを裁ききれないのが実情だ。ある高校など、始業時間を遅らせているくらいだ。その高校は、望美と将臣が通う高校の生徒とバッティングして、バカにされないようにという、配慮があるからだとか。そんな噂も信じてしまえるほどの、ラッシュの盛況ぶりだ。
「あっ!」
 ホームまで昇ろうとしていたラッシュ時の駅階段で、望美は思わず声を上げた。誰かに思い切りぶつかられて、お約束通りに足を踏み外してしまったのだ。
 このまま短い階段真っ逆さまに落ちると思っていたのに、がっしりとした腕が抱えてくれた。
「ったく、おまえドンクサ過ぎ」
 呆れるような物言いが聞こえ、ときめきとちょっとした怒りが同時にやってくる。
「有り難う、将臣君。だけど、”鈍臭い”は余計」
 望美が語尾に不機嫌さを滲ませると、将臣は余計にご機嫌ななめになる。
「鈍臭いからだろ。ったく、階段でこけるのが日常茶飯事だなんて、これが鈍臭くなくて何なんだよ。おら、つかえてるからとっとと上がれ」
 面倒臭そうに将臣は言うが、望美は一歩前に進むことが出来ない。将臣の腕がしっかりと望美を支えていたから。
 腕がしっかりと躰に絡まって恥ずかしい。
「将臣君、ひとりで立てるからさ、もう放してくれても良いよ…」
「ああ。解った」
「うん、有り難う」
 将臣の束縛から逃れて、望美は少しばかりホッとする。だがどこかで残念に思っている自分を、望美は否定出来なかった。
 将臣の腕から開放された途端に、望美はまたバランスを崩す。上から舌打ちする音が漏れたかと思うと、将臣が望美の手を自分の手にしっかりと繋いできた。
「あ…」
 指と指がしっかりと絡み合っている。汗ばむぐらいの固さに、望美は鼓動コントロールを上手く出来なかった。
「おら、とっとと歩く」
「はあい」
 こうして恋人未満な関係なのに、手を繋ぐというのは、幼なじみの特権のように思える。
 とにかく将臣は容姿はその辺りのモデルよりも整っているせいか、とてもモテるのだ。
 混みあった階段を昇りきったところで、将臣のエスコートはおしまい。誰かに気兼ねするように、手をすっぱり放されてしまう。
 それが何だか切ない。
 ひょっとすると、誰か好きなひとがいるのかもしれない。ここに見られては困るひとがいるのかもしれない。
そう考えるだけで、朝から暗い気分になってしまうのだ。
 望美が一緒にいるのが嫌なのかと、離れたこともあるのだが、直ぐに将臣が傍に呼び寄せる。
「あ、あの…」
 恥ずかしそうな声に、望美も将臣も振り返る。そこには、近くの名門女子高校の生徒が直立不動で立っていた。かなり緊張しているように見える。
「すみませんっ! ずっと好きでした、将臣さんっ!」
 目が合うなり、挨拶代わりに大きい声で言うと、将臣の目の前にラブレターを差し出す。
 名字が解らなかったのだろう。望美がいつも”将臣くん”と呼ぶのを聞いていたのだろう。可愛い文字でアルファベットを使って名前を書いている。
 いつも同じ車両に乗り合わせる、可憐そうなかなりの美少女だった。目につくので、望美が覚えていたぐらいだ。
 目をつむって、震える手で将臣にラブレターを差し出している。しかし、当の本人はクールな表情を崩していない。
 この時の返事は解っている。いつも将臣に告白をしては、同じ理由で玉砕している女の子を、望美は沢山知っていたから。
 だが、横にいる望美もいつも不安だ。常套句を言うのは予想出来ているとはいえ、”将臣が受けてしまったら、どうしようか”。そればかりがいつも頭に過ぎっていた。
 望美もドキドキとする一瞬、将臣はゆっくりと口を開く。
「…ごめん。俺にはコイツがいるから」
 また、いつもの言葉だ。将臣は望美をだしにして、最もらしい言葉を呟いている。一番相手に納得をさせることが出来る台詞だからだ。
「…うん、解ってたけれど…。。言わずにいられなくて…。有り難う、失礼しました」
 女の子は素直に頭を下げると、切なそうに違う車両前に並ぶ。
 少し泣いているように見えて、望美は胸が痛かった。
 いつもこの瞬間、望美の胸は苦しくなる。
 自分がもしこれと反対の状況だったらどうしただろうか。
 息が詰ま、自分こそがり泣きそうになった。
「また、だしにした?」
 茶化してきくと、咎めるように睨みつけられる。
「んなんじゃねぇよ」
 不意に将臣が、また指を絡めてきた。まるで恋人同士のように、望美と自然に手を繋いでくる。
 横顔を覗きこむと、怒った顔をしていた。
「あの…!」
 今度は誠実そうな男の子の声だった。
 雇用は良く声をかけられるものだ。
 顔を上げるなり、彼は困ったような顔をしている。
 横の将臣はと言えば、明らかに威嚇するような視線を向けていた。
「あ…、イキナリ玉砕かな?」
 近くの男子校の制服を着た彼は、既に苦笑いをしている。
「君のことが…」
 そこまで言いかけたところで、将臣が強引に間に割って入った。
「すまねぇな。コイツには俺がいるんだよ」
 望美が返事をする前に、将臣はピシャリと言ってのけた。
 望美は嬉しいような、嫌なような複雑な気分になる。
 眉間に皺を寄せて、困ったように笑っていると、彼は仕方がないとばかりに立ち去ってしまった。
「…嬉しかったよ、将臣君。だけど、自分で言えたよ」
 ハッキリっ言うと、将臣は更に表情を曇らせた。
「今の返事じゃ不服だったのかよ…」
 かなり怒っていることは、その声を聞けば解る。望美は誤解を解き、宥めるような視線を将臣に向けた。
「ちゃんと断るつもりだったよ。だけど、私の口で言ったほうが失礼にならないと思っただけだよ。ちゃんと、将臣君の真似をして、”私には将臣君がいるから”って言ったよ。だって、せっかく告白してくれたんだもの」
 望美が正直に自分の考えを言うと、将臣はすまなさそうに眉尻を下げた。
「そうだな。すまなかった」
 幾分か表情も和らぐ。望美は柔らかに笑った。
「有り難う」
 話していると、電車がゆっくりと電車がホームに入ってくる。
「乗るぞ」
「うん!」
 手を離さないまま、ふたりは電車に乗り込む。いつものように窓際にいき、将臣が守るように立ってくれた。
 いつもと同じポジションで、いつもと同じように護られているのに、今日は特別に強い護衛が付いているような気がする。
 短い時間に二人して告白をされたのがもう遠い昔に思えてしまうぐらいに、色あせたものになっていた。
 ゆっくりと電車が進み、窓の外には海が広がった。
「海って見馴れているけれど、安心するよねぇ」
「そうだな…」
「梅雨の海もいいかもしれないよ」
 屈託なく望美が言うと、将臣は優しい表情になる。
「そうだな。放課後、見に行くか?」
「うん!!!」
 望美が飛び上がらんばかりに喜ぶと、将臣は見守るような瞳を向けて来た。
「俺がいるからって、言ってくれようとした、ご褒美だ」
 将臣はもっとふたりの距離をつめてきた。密着した躰の熱はとても気持ちが良い。
 何時もの通学風景。だが今日は少し違うような気がする。
 ときめきがあちらこちらで光っていた。
「…きっと放課後はもっと綺麗だよ」
「違いねぇ」
 ふたりでじっとグレーで素敵な海を見つめる。
 守るように包まれた手と、将臣の吐息を感じながら、明日はもっとこの電車が混めばいいのにと、思わずにはいられなかった。
 告白されたことは色あせる。
 だが将臣と見た風景は、決して色あせることはない。
 そんなことに気づかされた、とっておきの朝。
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幼なじみです。



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