小さな恋の約束


「将臣くん、お誕生日おめでとう!」
 麦藁帽子を被りながら頬を真っ赤にさせて、望美は顔を僅かに泥で薄汚れさせている。
 その表情には、どこか得意げな誇りがあった。
「これっ! 誕生日プレゼントだよっ!」
 望美が差し出した小さな箱を、将臣は受け取ると、恐る恐る中を開けた。
「わあっ!」
 そこの中にあるものは、思わず歓声を上げたくなる。
 凛々しい角をしたオオクワガタが、に躍動感に満ちて威張り散らしている。
 これぞ”男のロマン”。
 将臣は興奮をして、瞳を輝かせてじっと見つめた。
「すげーよ! 望美! こんな立派なクワガタ、早々いねぇぜ!」
 興奮気味に言う将臣を。望美は見守るように見つめる。
 ホッとしたのか、幾分か力が抜けたようだ。
「有り難うな、望美」
「よかった…!」
 望美はひまわりのように微笑んだ瞬間、か細い躰から力を抜く。
「お、おいっ! 望美っ!」
 気が抜けたのか、望美はくったりと座り込んでしまっていた。
「大丈夫かよ!?」
 将臣が慌てて目線を合わせると、望美は頭を横に振った。
「頑張りすぎちゃったみたい…」
「限度ってもんがあるだろうが! ったく!」
 将臣は玄関先にクワガタの入った箱をおくと、望美の前に屈んで、背中を向ける。
「おら、おぶって家まで連れていってやるから」
「うん」
 望美は素直に頷くと、将臣の背中に負さってくる。
 隣の望美の家に連れて行った時には、母親が驚いてすぐに望美を涼しい場所に寝かせる準備をしてくれた。
 将臣もその手伝いを一生懸命する。実際には、何をして良いのか解らなくて、望美の母の後をちよこまかと着いていただけだが。
 冷たいドリンクを飲み、ようやくひといきついた時の、望美の愛らしい表情に、将臣は保護欲にかられた。こんなに愛らしい感謝の笑みをくれるならば、どんなことをしてやっても良い。
 つくづく思った。
「有り難う!将臣君のお陰だよ!」
「困ったことがあったら、何時でも俺に言えよ。絶対に助けて、守ってやるから」
 暑く柔らかな手を握ると、胸の奥が甘く痛い。それが心地良い理由を、まだ幼い将臣には、解らなかった。
「将臣君が、望美の騎士様だね!」
 童話が大好きな望美は、クワガタよりも何よりも嬉しい言葉をくれた。
「ああ。ずっとお前を護ってやるよ。お前は俺のお姫様だからな?」
「うん!!!」

 ----真夏の誕生日。
 忘れられない瞬間が、ありありと瞼の奥に焼き付いている。
 純粋な望美の気持ちに触れてから、ずっと、ずっと、好きだったかもしれない。
 間抜けなことに、望美を”女”と認識したのは、中学に入ってからだったが…。


「あ、将臣くん! 来てたんだ!」
 暑さに肌を紅潮させた望美が、ばたばたとと部屋に入ってくる。ピンクのキャミソールから、すんなりとした腕が伸び、とても美しい。
 思わず見とれてしまったが、そんなことを知られたくはなくて、将臣はわざと知らん顔をする。
「来てたんだ、はねぇだろうが」
「そうか! 譲君やお父さんたちは、バラバラで家を空けているんだもんね」
「ああ。譲は合宿、親父たちは旅行。で、バイトに明け暮れる憐れな俺は、お留守番。飯は春日家にごしょうばん」
 将臣は食卓に並べてある昼食を食べながら、淡々と説明をしてくれた。
「望美も突っ立ってないで、早く座ってごはんを食べさない」
「はあい」
 望美は将臣と向かい合わせにちょこんと座ると、同じメニューを食べ始めた。
「何だか、食堂にいるみたいだよね」
 望美は可笑しそうに含み笑いをしながら、綺麗に切られた焼き豚をかざす。それを難しい顔をしてぱくんと食べた。
「食堂じゃ、こんな美味いもんは食われないだろうが」
 将臣は何気なく言いながらも、望美のキャミソールから見える白い谷間に注目してしまう。
 何でもないと装うのがやっとだった。
「ま、そうなんだけれどね」
「将臣君はこれからバイト?」
「ああ。色々と入り用でな」
「ふうん。私のバイト期間は取りあえず打ち止めだよ」
 望美は何気なく言うと、ちらりと将臣を見た。何か様子を窺っているようだ。
 一瞬、先程のイケナイコトが思い浮かび、ドキリとした。
「そう言えば、もうすぐ将臣君の誕生日ね! 何かお祝いでもしなくっちゃね!」
 望美の母親は、明るく屈託なく言う。
「有り難う、おばさん」
「将臣君、当日は、その…ひ・まかな?」
 望美は将臣を伺うような眼差しで見つめてくる。幼なじみの上目遣いは犯罪ものだ。
 可愛いすぎる。
 そんなことを思っていることを差散られたくはなくて、将臣はわざとクールに望美を見た。
「予定はある」
「そ、そうなんだ…」
 明らかに肩を落とし、小動物のように目を伏せる姿に、将臣の胸は痛い。
 だが、17の誕生日には計画がある。その為に、こんなに一生懸命アルバイトをしているのだから。
 望美は何かを言い聞かせるように頷くと、もう一度子供のように純粋で無邪気な目を将臣に向ける。
「だったら、11日は? 空いてる?」
「ああ。11日だったら大丈夫だぜ」
 その途端、望美の表情はぱああと、雲が開けたように明るくなる。
「だったら、一緒にランチ食べて、映画に行ったり、遊びに行こうよ! 横浜でみなとみらいで遊ぶのもいいし」
 望美は躰を乗り出して、将臣に強請るように言う。キャミソールの隙間から胸の谷間が覗き、将臣は、正直目のやり場に困ってしまった。
「いいぜ。行こう」
「やったね!」
 望美が無邪気な笑顔で言うものだから、将臣もまたつられて笑ってしまう。自分でも驚くぐらいの穏やかな微笑みを浮かべると、望美は真っ赤になって頷いた。
 この純粋な心の持ち主である望美を、汚してしまいたいと思ってしまう。
 この腕に閉じこめて、女にして、自分というオスを教え込ませたいと。将臣は深く思っていた-----


 11日。
 玄関先に現れた望美は可憐だった。
 厚い雲に覆われた関東地方だったが、そんなものなど吹っ飛ばしてしまうほどに、望美は美しく輝いていた。
 薄い紫のノースリーブワンピースを着こなしている。
 手には小さな紙袋を持っていたが、それが自分へのバースディプレゼントであることは、直ぐに解った。
「行こうぜ」
「うん!!」
「じゃあ、お母さん、いってきま〜す!」
 望美は軽快に母親に挨拶をすると、将臣に甘える子猫のように駅に向かって歩き出した。
「たまに歩くのもいいものよね。楽しい」
「ああ。いつもは全速力でチャリだもんなあ」
「あれは、将臣くんが寝坊ばっかりするからだよ〜」
「はい、はい」
 望美がぷりぷりわざと怒る姿も、将臣にとっては宝物に他ならない。
 眩しい夏の光の化身のように思えた。
 駅まで歩いて、電車に乗り込む。
 車窓から見える鎌倉の海も、いつもに増して美しく見えるのは何故だろうか。
 こんなに曇天なのに。
 それはきっと望美がいるからだということを、将臣は潜在意識で気づいていた。
 乗り換えた後、短い横浜までの道程。
 望美はすっかり疲れてしまったのか、うとうと横でまどろんでいた。
「おい、眠いのか?」
「だって、今日お出かけすると思ったら、すごく興奮しちゃって、あんまり眠れなかったの…」
「ったく、お前は遠足前の子供かよ」
「子供で良いもん」
 望美はぶうたれながら、将臣には凭れまいと必死に我慢している。
 それが可笑しくて、思わず笑ってしまった。
「おら、肩ならいくらでも貸してやる。ゆっくり、寝ろよ。桜木町に着いたら、起こしてやる」
「うん。有り難う…」
 望美は安心しきったように頷くと、短い時間の間、まどろみに身を任せる。
 望美の髪からは甘いシトラスの香りがして、将臣はドキリとする。
 いつから、こんなにも大人の色香を感じられるようになったのだろうか。
 甘い甘い花に吸い寄せられるハチのような気分になる。
 きっともう、この想いを押さえ込める自信などない-----

 話題の恋愛映画を選択しふたりで仲良く見た後、みなとみらい近くのカフェでランチを取ることにした。
 お盆前のせいか、かなりの人手だ。
「おい、望美。はぐれるんじゃねえぞ」
「うん! 将臣君!」
 望美はぴったりと着いてきてはいるもノン、なんだか心許ないような気がする。
 将臣は、自然と望美の手を繋いだ。
 一瞬、望美の小さな手が震える。
 不安げに、将臣を見上げた。
「いいの?」
「何で?」
「将臣君、こうやって手を繋いだりするのは、昔から苦手じゃない? 彼女さんとも絶対に手を繋がないし」
「お前はいいの」
 将臣は望美の杞憂を吹っ飛ばしてしまうかのように強く言うと、更に手を握りしめてやった。
 望美は甘い声を一瞬上げたが、その後ははにかみながら手を握り替えしてきてくれた。
 曇り空の下で、こうしてぶらぶらと歩いていても、うきうきするのは何故だろうか。
 歩いているだけで、楽しいのだ。
 ふたりでカフェを覗き込み、手軽にフレンチが食べられる店を見つけ、そこに入った。
「将臣君と、こうして顔を合わせてランチをするなんて、今までなかったよね」
「不思議だよな、それも」
「本当に」
 こうしてふたりきりで外でご飯を食べたことが、今までなかった。
 常に誰か一緒か、将臣は彼女とふたりきり、望美は友人たちとわいわいがやがやというパターンが多かった。
「何だか新鮮で、楽しいね」
「そうだな…」
 将臣は目をすっと細めながら、望美を観察する。
 こんなに長い間ずっと一緒にいるのに、なんと知らないことが多いのかと、改めて思い知らされる。
 望美の窓の外を見つめる眼差しが、こんなに憂いのある美しい色をしていたなんて、将臣は今まで知らなかった。
 ドキドキする。
 心臓が飛び出してしまいそうだ。
 ヤバイぐらいに鼓動が跳ね上がってくる。
 食事する姿というのは実に官能的で、セクシャルなシーンすら想像させてしまう。
 将臣は熱くなり、シャツを少しだけはだけさせた。
「あ…」
 望美が切ない声を上げたので、将臣は目をすっと細めた。
「何だよ…?」
「ううん。何でもないよ…」
 望美ははにかむと、そのまま恥ずかしそうに俯いてしまった。


 楽しい時間は直ぐに過ぎ行き、暗くなった頃ふたりは観覧車の前にいた。
「将臣君、一日早いけれど、誕生日プレゼント…。受け取ってくれる?」
 望美はかしこまって言うと、将臣に小さな紙袋ごと差し出した。
「サンキュ」
 将臣が受け取ったことをホッとしたのか、望美は肩から緊張を緩めた。
「将臣君…、彼女がいるのに、こうやって今日、私のためにあけてくれて有り難うね」
 彼女がいる-----どこをどうしたらそんな思考になるのか。
 将臣は眉根を寄せた。
「別に彼女なんかいねぇよ」
「だって、明日は誰かと約束しているんでしょ!?」
 将臣は凍てつく眼差しで望美を見つめると、その手首を取った。
「望美、着いてこい」
 将臣は望美の手を取ったまま、みなとみらいにある豪華な外資系ホテルに入っていく。
「ま、将臣君!?」
 望美は明らかに戸惑いを隠せないでいたが、将臣は堂々としている。
「予約しているんだ。お前と過ごす為に…。明日の誕生日は、俺が考えたお前との約束が入っている」
 望美は俯いたまま、ただ返事をするように将臣の手を握りしめた-----

 幼い頃からの恋。
 それが今、大きなうねりを上げながら、ふたりを結びつけようとしていた----





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