過ぎゆく夏


 五月蝿くて煩い女は嫌いだ。女はただの飾りもの。静かに自分を慰めれば良い。ずっとそんなことを思っていた。
 なのに目の前で舞うように笑う少女が現れてから、それが崩れようとしている。
「暑いときはアイス食べたいねー」
 のほほんと、知盛には解らない単語を呟き、望美は汗を拭っている。
「アイスなんかここにはねぇよ。氷だって貴重なんだからな」
 同じところからやってきた将臣もまた、訳の解らない単語を操り、同じような汗を拭っていた。
「…アイスって何だ?」
「アイスっていうのは、甘くて冷たい食べ物のことだよ。あっちにいた時は、暑い日はよく食べたんだよ」
 望美は懐かしそうに目を細めると、幸福そうな笑みを浮かべている。
「食べたい? ちもちゃん」
「…その言い方は…やめろ…」
「だってちもはちもじゃん。いつかさ、こうやって暑い日に、みんなでアイスクリームを食べられたらいいねえ」
 それが叶うはずのない願いであることは、知盛には解っている。
 だが横にいる少女は、その願いすらも叶えてしまうのではないかと想う。それほどの力を秘めている。
「だけどこう暑いと、溶けちゃいそうだよね!」
「…だったらどこかで水遊びでもするか…」
 薄く笑いながら目の前にいる少女を見つめると、ぽんと嬉しそうに手を叩いた。
「それいいかも。こんなに暑いと、涼まないとやってられないもんね。泥八丁とか行ったら涼しそう!」
「ったく…、ピクニックに行くんじゃねぇっての」
 笑いながら叱る将臣も、まんざらではないようだ。
 知盛は躰からの熱さを吹き出すために、息を吐いた。
 源氏の神子を中心に、平家の大将である将臣、そして中納言である自分。
 普通ではこんな組み合わせなど考えられない。この奇跡の組み合わせは、確実に知盛のなかで何かを変えようとしている。
 友情と恋情。
 この温かくて熱い想いが、三人のなかで微妙に渦巻いていた。
「…今年の夏は、熱いな」
 将臣は澄んだ空を見上げながら、どこか切なげに呟いた。
「ホントに熱いね…。だけどこんなに楽しい夏はないよ」
 望美の声もどこか愁いが帯びている。
「…そうだな…」
 知盛もまた、馴染みない胸の傷みを感じながら、空を見上げた。
 夏ははかないから楽しく、また美しい想い出に浸れるのかもしれない。これから迎える秋や冬に備えるために、 輝くような瞬間を記憶の奥に蓄えておけるように。
 いつ思い出してもその瞬間に戻ることが出来るように。
 ひんやりとした気持ちの良い森に入ると、暑さはなりを潜め、代わりに清涼感溢れる癒しを感じる。
 青々しく茂る緑と、小川のせせらぎが、気分を落ち着かせてくれる。
「あっ! 小川があるよ! あんなところでスイカを冷やしたら美味しいだろうね!」
 小川を見つけるなり、望美はちょこまかとまるで子ネズミのように駆けていく。
「将臣くん、ちもちゃーん、早くおいでよ! 気持ちが良いよ!」
 手を振る望美は、戦場での武功を感じさせないぐらいに、子供でまた可愛い。
 凛々しい眼差しを想像出来ないほどに、少女だった。
「ったく、あいつはしょうがねぇよな」
 将臣は慈しみに溢れる眼差しで望美を見つめながら、ゆっくりと歩いていく。言仁に向ける眼差しとはまた違い、どこかしらに華やぎすらある。知盛はそれを横目で眺めながら、妬けた。
「スイカなんかここにはねぇのにな。ったくアイツは食い物のことしか考えてねぇな」
 将臣の一言、一言には何故か愛の重みがあり、それが知盛を苦しめる。
 こんなに誰かに対して、劣情を抱くことなど、今まではなかった。
「こんなところに、李か…。これぐらいで我慢して頂かないとな。わがままな神子殿にはな」
 将臣は李を四つ木からもぎ取ると、それを嬉しそうに抱える。好きなひとに喜んで貰えるようにと気遣う、男の顔がそこにはあった。
 望美がぱたぱたと駆けてくるのが見えた。
「ちょっと! 待っているのにふたりとも遅いよ!」
 望美はニッコリと笑うと、知盛と将臣の手をそれぞれ取る。
「行こうよ。将臣くん、ちもちゃん!」
「…その呼び方は止めろ…」
 何度言い聞かせても、目の前にいる神子殿は、少しも聞き入れようとはしない。
「いいじゃない、可愛いから。行くよふたりとも!」
「はい、はい。しょうがねぇな」
 望美に手を取られ、ふたりは引っ張られるように小川に向かう。
 今はこの状況が苦しくもあり、楽しくもあった。

「ああ、やっぱり気持ちが良いねえ…」
 空気よりは冷たい水の流れに両足を浸しながら、望美はホッと溜め息を吐いた。
「お前はスニーカーだからな。ムレムレ足臭でしょうがねぇだろ!?」
 将臣がからかうように言えば、望美はたちまち唇を尖らせてしまった。
「やっぱりデリカシーのかけらもないね、将臣くんは!」
「俺にそんなものを求めても今更だろ? な、知盛?」
「…神子殿が水虫でなければな…」
 ニヤリとからかう笑みを浮かべると、望美は激しく怒る。
「ったく! ちもちゃんのほうがデリカシーないじゃないっ! バカっ!」
「ちもちゃんと呼ぶ女のほうがバカだろ…?」
 冷ややかな笑みを浮かべると、望美はそっぽを向いてしまった。
 こんな反応をひとつ取っても、なんと退屈しない女なのかと感心する。
「望美、李があるぜ。そこに冷やしてあるから、冷えていて美味いだろう」
「え!? ホントに!」
 先程まであんなに拗ねていたうえに、半ば怒っていたにも関わらず、望美は直ぐにご機嫌な表情になった。
「食べる、食べる! 夏こそしっかり食べないと倒れちゃうからねー」
「お前はオールシーズンそうだろうが」
「いいんだもん」
 将臣と知盛はひとつずつ、望美はふたつ、李が宛てがわれる。
「わーい! 私のほうが一個多いー」
 望美は鼻歌まじりに呟くと、李を噛った。
 李の甘くて芳しい香りと供に、何故だか胸の奥が甘く擽られる。
 望美が噛んだ痕が、とても艶めいたものに感じられた。
「美味しいね! ちもちゃんにはあげないもん」
 望美が無邪気に笑うのが愛おしくて、だが、からかいたくもなる。
 パクリ。
 知盛は望美が噛り付いた同じ場所を噛み付き、食べてしまう。
 望美は、李を食べる知盛を見つめながら、唖然としていた。
「あー! ちもちゃんが望美の李を取った!」
 大騒ぎになる望美を見つめていると、とても幸福な気分でいられる。
 この感情の名前は、なんというものなのだろうか。
 だが、そんなことはまだいい。
 この感情を持て余してしまうだろう自分に、知盛は苦笑する。
「ったく…、知盛も望美もガキくせぇんだよ」
 将臣の呆れ果てた声を聞くのもまた一興だ。
 この感情の意味はきっと、神子と剣を合わせれば解ること。
 だから今はいい。
「休憩は終わりだぜ」
 将臣の声に、望美は手を差し延べてくれる。
「行こう! ちもちゃん」
「その呼び方は…止めろ…」
 口ではそう言いながらも気に入ってしまっている。
 この呼び名に馴れる頃に夏は終わる。
 恋情。それはやがて愛情へと育つもの。



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